6浅井樹[広島東洋カープOB]

浅井樹(あさいいつき)
1971年生まれ。内外野手。左投げ左打ち。
1989年ドラフト6位でカープ入団。県立富山商業。背番号61→36→6
プロ通算523安打ながら通算打率は.285。代打に限れば通算.315。
ワイルドな風貌と太い腕っぷしの割りにアベレージも残せる打者でした。

もくじ
■顔がデカくて腕が太い
■前田智徳との絆
■町田とコンビで代打男
■守備が巧い
■引退後

■顔がデカくて腕が太い
1989年、平成元年ドラフトは2位で仁平馨、4位で前田智徳という夏の甲子園を沸かせた高校生外野手を連続指名。
そして6位でまた高校生外野手。それが浅井。3人とも100m11秒台のスラッガーというふれこみでした。
3人も外野手を指名したことに私はかなり驚きましたが、前年に入団した江藤智ともども将来の大砲たちには大いにロマンを感じました。
浅井は顔も体もいかつくていかにもホームランバッターという風貌。
腕も太く、現役時代は半袖のユニフォームとアンダーシャツをまくり上げ、わざと自分の二の腕を相手投手に見せつけていました。

■前田智徳との絆
1990年、当時の週刊ベースボールで「広島の高卒ルーキーが入寮早々いきなり大喧嘩」と話題になりました。
しかし選手名までは公表されず真相は闇の中。
私は「絶対に仁平と前田だろw」と思っていました。顔からして。笑
しかし17年後の2006年、浅井の引退試合で自ら「あれは僕と前田だった」とカミングアウト。
プロ6年目の1995年5月。その前田が神宮球場でアキレス腱を断裂。
8月に今度はレフト金本(27歳)まで骨折。
前田や金本の代わりに外野を守ったのが6年目の浅井と9年目の緒方孝市(26歳)でした。
浅井はこの年にプロ初安打を放つなど152打数46安打。打率.303をマーク。
ちなみに緒方孝市も272打数86安打。打率.316。なぜか47盗塁で初の盗塁王まで獲得。
緒方が代走要員からレギュラーとなったシーズンでした。
浅井と前田はカープの長い低迷期を共に戦いお互い認め合う強打者となりました。
30歳以降の浅井に私は「打撃は前田智徳と互角」と評価していました。
2人の17年目に浅井の病が発覚。浅井は引退を決意。
浅井の引退試合では前田が花束を渡し、浅井に抱き着き、浅井の胸で前田が泣いた。
涙もろいんですよ、前田って。

■町田とコンビで代打男
浅井の全盛期、カープの外野は前田、緒方、金本。
一塁は打点王のロペスや若手の新井貴浩が台頭。
浅井は故障した選手の代わりにセンターやファーストや時には代走に出て行くことまでありました。
浅井が最も輝いたのが代打稼業。
右の町田と左の浅井は三村監督時代のビッグレッドマシンの一員でもありました。
この頃からです。浅井が自分の二の腕を強調するようになったのは。笑
左投手にも強かったし、普通に3番や5番でスタメンを張ることも多かったです。
2019年の今日、もし浅井が現役だったらFAで移籍した丸佳浩の穴は浅井一人で十分埋まりますよ。
打撃フォームは豪快な一本足。
でもライトに引っ張るだけじゃなく、左中間にもよくツーベースを打ってました。
今で言えば小園海斗の打撃フォームに似ているかもしれない。浅井の一本足。

■守備が巧い
浅井はいかつい顔の割に守備が巧いんです。
ファーストも巧けりゃ外野も巧い。ライトに限れば木村拓也より巧い。肩もいい。
カープのファーストで守備力は歴代1位かもしれません。
新井、長内、岩本も巧いが浅井も候補です。
足も速くて代走の要らない選手でした。記録を見るとほぼ毎年盗塁を記録していますし、市民球場なのに三塁打も非常に多いです。これはハッキリ言って大偉業です。笑

■引退後
打撃コーチとしてベテランの前田とよくイチャついてました。笑
お互いの打撃理論で盛り上がっていたのでしょうか。
2013年からは3軍統括コーチに就任。
故障した選手へのリハビリメニューやトレーニングをサポートしています。
誰かが3軍に行ったら、浅井から届く「ここまで順調に来ています」コメントが待ち遠しくて仕方がありませんでした。
2018年の床田の時も2017年の誠也の時も。
2019年2月に高橋昂也がトミージョン手術を受けました。
また浅井の仕事です。明日のエースをよろしく頼む。

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おしまい
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