0木村拓也[広島東洋カープOB]

木村拓也(きむらたくや)
1972年生まれ。無類のオールラウンダー。右投げ両打ち。
1990年ドラフト外で日本ハムに入団。宮崎南高校。
入団当初は右打ち。ポジションは捕手。日本ハム時代のキムタクは全く知らん。

■交換相手は長冨浩志
■キャッチャーキムタクについて
■東出とのちびっこコンビ
■ユーティリティ性への疑惑
■伝説のNPB新人研修
■木村拓也の親友
■くも膜下出血


■交換相手は長冨浩志
1994年のオフ、カープへトレード移籍。
交換相手は長冨浩志。これは驚いた。長冨33歳、キムタク22歳。
カープ入団時の背番号は41番。
最初の2年間も全く記憶にない。まだ右打ちです。
代走と外野の守備固めが中心。2塁は2年間で1試合だけ。
1996年のプロ野球は「がんばろうKOBE」のオリックスがパリーグ連覇から日本一。MVPはもちろんイチロー(23歳)。
1996年の松井秀喜(22歳)は3番ライトで38本塁打。セリーグMVP。
カープは江藤智(26歳)が眼下骨折後失速。巨人のいわゆるひとつの「メークドラマ」のシーズンでした。

■キャッチャーキムタクについて
キムタク(24歳)は96年オフにスイッチヒッター転向。
97年98年と出場試合数を伸ばし打撃も力強くなっていく。内野守備も増え始める。

99年から背番号0に変更。(高信二引退)
99年は達川新監督にいろいろ遊ばれる。
キャッチャーデビューもこの年。4試合に捕手で出場。
実はキムタクがカープでキャッチャーをやったのはこの99年の4試合のみ。
巨人ではあの有名な試合の1試合のみ。

キムタクは意外なことにたった5試合しか公式戦でキャッチャーをやっていないのです。
え? 5試合もありゃ十分ですって? それもそうですね。
1999年のキムタクはピッチャーと1塁以外の全ポジションを守りました。

■東出とのちびっこコンビ
2000年は開幕後に野村緒方前田智が相次いでリタイア。江藤はFA。
開幕直後に1番セカンドキムタク(28歳)、2番ショート東出(20歳)が誕生。
サードには2年目の新井貴浩(23歳)
この年のキムタクは初めての規定打席到達でキャリアハイの成績。
オールスターにも初出場。


 

■ユーティリティ性への疑惑
「内外野と捕手が守れるスーパーサブ」というのがキムタクの代名詞。
2004年のアテネ五輪に長嶋茂雄監督は前田智徳でも嶋重宣でもなくキムタクを選出。
その理由は限られたベンチ入り人数のなかでキムタクのユーティリティー性を必要としたからでした。これが後の巨人移籍へのきっかけになったかもしれません。アテネでもちゃんとヒット打ったんですよ。

過去にも内外野を守れる選手はたくさんいました。
カープの先輩では木下富雄、同時代には五十嵐章人(ロッテ)など。
しかしキムタクは規定打席に到達したレギュラー野手であったことに加えて、ユーティリティー度が誰よりも高かった。
木下は内野の名手でしたが外野は「守ったことがある」レベルでしたし、五十嵐も外野手時代は強肩でしたが内野に転向後はあまり名手の印象はありません。
外野とセカンドが両方守れるって人は案外いました。巨人の方の緒方耕一とかヤクルト時代の笘篠賢治とか。笘篠兄もけっこう外野がうまかった。
ところが彼らはショートを守れない。キムタクは守れる。

ここで問題発言。
私はキムタクのユーティリティー性を当時からほんのちょっぴり疑っていました。
なぜか?
「ショートとサードが下手だった」から。

外野もセンターは名手ですが、レフトとライトは実はそんなに上手じゃない。
この頃は緒方孝市がセンター、レフトに金本でした。
ライトキムタクは浅井樹とどっこいでした。肩は浅井の方が上でした。一塁はもちろん浅井が上。
とはいえキムタクも普通以上には上手いレベルですよ。

キムタクの「ポジション別守備力」をAからEの5段階で評価するなら
A センター
B セカンド
C ファースト、レフト、ライト
D ショート、キャッチャー
E サード
というイメージです。キムタクの能力。
ちなみに現在の背番号0、うえぽんと比較するなら・・・
A セカンド、ショート
B
C サード
D レフト
E
って感じです。センターとかファーストは見たことありません。

■伝説のNPB新人研修
キムタクが2010年に新人の堂林や筒香に語った伝説の講演。
素晴らしすぎて私の人生の教科書です。
参考記事:キムタクのNPB新人研修2010年

ついでに関係ないですが
ひがの[妄想対談]木村拓也vs木村昇吾

■キムタクの親友
2010年4月、巨人軍の木村拓也コーチがくも膜下出血のため37歳の若さでお亡くなりました。
巨人はキムタクのために追悼試合を開催してくれました。
巨人の選手は喪章を付けてキムタクのために頑張りました。
んで、なぜか追悼試合の対戦相手は広島カープ。こっちだって追悼したいのに・・・くそぅ・・・
2010年4月24日、東京ドーム。3対2。カープリードで8回裏。
ピッチャーはニューヨークメッツから復帰したばかりの高橋建(41歳)。

1死満塁で越智大祐に代わり代打・谷佳知(37歳)。
アテネオリンピックで仲良くなった谷。
奥さんともアテネで知り合ったとか。
谷はアテネで大けがをして選手寿命を縮めました。いろいろあったね。
その谷が建さんから美しすぎる逆転満塁HR!
谷は涙でベース一周。天国のキムタクさん、複雑な心境。
「カープが勝った方が良かったのに」・・・スミマセン妄想です
9回表に石井琢朗がクルーンから1点返すも、巨人の勝利。谷はヒーローインタビューで大号泣。
「タク・・・見てるか・・・」

■くも膜下出血
2009年9月4日、キムタク最後のキャッチャーの試合。
2009年10月10日、緒方孝市現役引退試合。センターフライを打って笑顔を見せる。
2009年11月7日、キムタクまさかの現役引退。巨人の内野守備走塁コーチ就任。
2010年3月4日、素晴らしすぎる新人研修での講演。
2010年4月2日、くも膜下出血で練習中に倒れる。場所はマツダスタジアム・・・

若すぎるし、突然すぎました。ご冥福を今でもお祈りしています。

■誰かに非常に似ているが思い出せない
キムタクの笑った顔が誰かに似ているが思い出せません。
キムタクはキムタクなのか?

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おしまい
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ありがとうございました。

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