9緒方孝市 [広島東洋カープOB]

緒方孝市 (おがたこういち)

1968年生まれ。外野手。右投げ右打ち。

1986年ドラフト3位でカープ入団。佐賀県立鳥栖高校。背番号37→9

プロ23年。1808試合、1506安打、241本塁打、725打点、268盗塁、打率.282。盗塁王3回、ゴールデングラブ賞5回。

もくじ
■活躍する前の緒方
■盗塁王とショットガンタッチ
■プレースタイル
■意外な交友関係
■監督として三連覇


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活躍する前の緒方

1988年9月17日、甲子園球場でプロ初出場。初先発。

この日は阪神の山本和行の引退試合でね。たまたま私、阪神ファンの友人と現地にいたんですよ。

当時の緒方は2年目の19歳。プロ初ホームランは山本和行から打ったと思ってたんですが、記録で見ると4回表に2番手の野田浩司から打ってました。そうですか。山本は1イニングで交代でしたか。緒方は7番セカンドでした。

 

1989年は足立亘、片平哲也とともにアメリカ1Aへ野球留学。当時、若手が数ヶ月アメリカマイナーリーグへ野球留学するのが流行っており、山本昌はスクリューボールを覚えて帰国したし、真弓明信は「ジョー」というニックネームをもらって帰ってきました。秋山幸二がMLBに注目されるきっかけになったのもこの頃でした。

ちなみに清武英利が著した「サラリーマン球団社長」によれば、緒方らの野球留学に同行した球団職員は鈴木清明(35)だそうです。

マツダ株式会社からカープに出向してきたばかりの鈴木は半年間、アメリカで緒方らの通訳や移動を手伝ったそうですが、当時20歳の緒方孝市は後の球団代表を「ただのコックさん」だと思っていたらしい。

 

1990年、緒方はカープ一軍で32試合に出場。代走とアレンの守備固め。

1991年、緒方は102試合に出場。先発も52試合。この年は歴史的な貧打の年で、打率.185の緒方もパンチ力を買われて対左投手用に先発する機会が増えました。カープの外野陣は前田智徳(20)、西田真二(31)、アレン(32)、緒方(22)の4人で回していました。このメンバーでリーグ優勝しました。優勝決定の瞬間、緒方孝市はライトにいました。レフトは音重鎮。

1992年、江藤智(22)がサードに定着。前年ベストナインの山崎隆造(34)が古巣のライトに戻ったため、緒方は再び代走&守備固めに戻ることになる。vs江藤に敗れた緒方。

1993年、佐々岡真司(26)が5勝17敗。チームも大失速。最下位。浩二辞任。後任三村。

1994年、山崎の引退と、3年目のマーティ=ブラウンの調子が上がらず、外野のポジションが二つ空きました。ここに若手の緒方、町田、金本、河田雄祐、仁平馨などがひしめき合うが、緒方はまだ抜け出せずにいました。最多出場は17本塁打の金本と打率3割の音重鎮でした。

なかなかレギュラーに定着できない緒方でしたが、快足だけは誰にも負けていませんでした。

代走で4年連続2ケタ盗塁。成功率の高さは当時から有名で、盗塁阻止率.633の日本記録を持つ古田敦也が「緒方だけは刺せない」と言っていました。

 

盗塁王とショットガンタッチ

1995年5月、不動の3番センター前田智徳がヤクルト戦でアキレス腱を断裂。今シーズン絶望。

プロの世界はピンチがチャンス。掴んだ男が緒方孝市でした。

夏場以降、打撃のコツを掴んで1番に定着。緒方孝市27歳になるシーズンでした。

塁にさえ出られたら、緒方はもう誰にも止められない。あの古田でさえ止められない。

規定打席不足ながら47盗塁で盗塁王。以後3年連続盗塁王。緒方孝市は3連覇が好きなのである。笑

トップバッターだった野村謙二郎が3番に入ってトリプルスリーを達成。

ケガの治った前田智徳が5番に回り、二冠の江藤は不動の四番。100打点のロペスが6番、7番金本。8番西山。

いわゆるビッグレッドマシンが完成。その切り込み隊長が緒方でした。切り込みすぎてグラビアアイドルと結婚しました。

 

緒方は1998年の元旦に放送されたテレビ番組「筋肉番付スポーツマン大会」で並み居るライバルを押しのけ総合優勝しています。

優勝候補のライバルは野球界では秋山幸二飯田哲也松井稼頭央ら。

他にもアメリカンフットボールの河口正史や芸能界のケイン=コスギも優勝経験者。

スピードだけでは優勝できないのでパワーファイターが優勝する年もあります。

そんな中、緒方は自慢の快足を活かしショットガンタッチという種目で13m20cmの日本記録を打ち立て総合優勝しました。こいつは春から縁起がいいぜと嬉しいお年玉をいただきました。笑

2020年には周東佑京が「13試合連続盗塁」の日本記録を打ち立てましたが、セリーグ記録は緒方孝市の「10試合連続盗塁」です。

 

プレースタイル

緒方のプレースタイルは何よりもその脚力を活かしたダイナミックな守備と走塁です。カープ野球の申し子。

加速するスライディングと強肩。ケガを恐れないガッツとヘッドスライディングも緒方の代名詞でしたね。

何度もフェンスにぶつかって足や腰をケガしましたが、そのたびに不屈の闘魂で復活しました。

2009年に開場したマツダスタジアムの外野フェンスがラバークッションである点と、ホームランキャッチできる高さになっている点は当時40歳だった緒方孝市の発案を鈴木清明・球団本部長が汲み取ったものです。未来の若い外野手が緒方孝市のガッツプレーを引き継ぐための仕様になっているのです。緒方のガッツは永久に不滅なのであります。

 

後年は足が遅くなりましたが、その分今度は打力で魅せるようになりました。

緒方はサヨナラホームランも多いし、印象に残る劇的な一発が多い。延長戦でサヨナラ満塁ホームランを打ったこともある。

打球速度が速いから印象が強いのだと思います。ボールを前で捌く打ち方がクラシカルでカッコ良かったです。

東京ドームの開幕戦で4番ラロッカがダン=ミセリから同点HR打って、6番緒方が勝ち越し2ラン打った試合も燃えました。

 

当時の草野球仲間から「参考になる右バッターは誰?」と聞かれると、私は決まって

広島の緒方孝市と答えてました。実話ですよ。忖度ナシ。「右打者は緒方の打ち方を真似しろ」といつも言ってました。

1990年代の左打者は綺麗な人が多かった。高橋由伸、前田智徳、イチロー。

しかし右打者はクセのある人が多かったんですよ。落合博満、古田敦也、中村紀洋。

ちなみに緒方以前の「右打者の手本」はヤクルト池山隆寛でした。

 

41歳となった緒方は引退試合で

「試合の後、ユニフォームが汚れなくなった。だから引退します」と言って引退しました。

この一言が緒方のプレースタイルを何よりも雄弁に語っていますよ。

 

意外な交友関係

さて緒方の人物像はガンコでストイック。冗談が通じない堅物。

実際、緒方本人もそういうキャラクターなんですが、緒方の周辺には意外な交友関係が見られます。

 

まず仲が良さそうなのは前田智徳と木村拓也

前田は緒方の弟分。キムタクは緒方の引退試合でわざと緒方の守るセンターを狙い打つ仲。

 

恩師は三村敏之。

ただ緒方本人は三村の背番号9は欲しくなかったらしい。37が良かったらしい。笑

 

仲が悪そうなのが高橋慶彦と金本知憲。

緒方本人は「少年時代は高橋慶彦選手に憧れていた」と語っており、慶彦の応援歌まで引き継いだのに慶彦退団後はあまり接点がないようでした。

金本知憲とは同い年のライバル。なのであまり口を利かないらしい。

巨人の緒方耕一は同姓同名でしかも同学年。実は盗塁王を先に取ったのはこっちの緒方。アホの巨人ファンがキャーキャー言ってアイドル扱い。アホか。実力も無いくせに。左では打てないくせにスイッチやりやがって。95年に本物の緒方が盗塁王を取った時、「巨人の緒方選手をどう思いますか?」と聞かれて「眼中にありません」みたいなことを言い放ったことを覚えています。

 

愛読書は「松下幸之助

緒方は意外と「投資」や「自己啓発セミナ-」とかに興味あります。実はイチローも小学生の頃から「株」を買ったりしてたそうです。スピードスターは投資がお好き?

 

監督になった緒方が寵愛を注いだのが野間峻祥

自分は三村の背番号を断ったくせに、野間には自分の背番号を与えました。親心ってオモシロい。笑

 

監督として三連覇

2009年に41歳で現役引退した緒方はすぐにカープのコーチ就任。

2010年の野村謙二郎新監督とともに新しい球場で新しいチーム作りに乗り出しました。

まず目を付けたのがキクマル。菊池涼介、丸佳浩。

後に社会人ルーキーの田中広輔が加わりタナキクマルが完成。

 

2015年、緒方が監督就任。なんと1年目に黒田博樹が復帰するというビッグプレゼント。しかも新外国人のクリス=ジョンソンも大当たり。ウハウハ緒方。しかし4位に沈む。アホ。

2015年は東京ドームで巨人に3連勝しました。それがなんと10年ぶりだったそうで、10年前の3連勝と言えば緒方が自らミセリから決勝ホームランを打って以来でした。

 

2016年には鈴木誠也がチームに加わり、以後セリーグ3連覇。名将の仲間入り。「神ってる」で流行語大賞もゲットしました。

胴上げの場所は東京ドームでした。両手を広げて「おめでとうございまーす!」

 

2017年の胴上げは甲子園。優勝インタビューも慣れたものでしたが、

「思い出詰まった甲子園で優勝を決められて嬉しい」

と発言。私は最初、何の意味だかわかりませんした。

するとブログの常連さんから

「緒方のプロ初出場、初ホームランが甲子園だったんですよ」

と教えていただきやっとわかりました。難易度高いぜ、孝ちゃん。

 

2018年はマツダで胴上げ。また「おめでとうございまーす!」

 

2019年は苦しみました。4位。

イライラした緒方は愛弟子野間を鉄拳制裁。これはマスコミにも叩かれ、鈴木本部長にたしなめられました。

この年緒方は辞任。またカープに帰ってくる日もあるでしょう。

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