1山崎隆造[広島東洋カープOB]

山崎隆造(やまさきりゅうぞう)
1958年生まれ。内外野手。右投げ両打ち。
1976年ドラフト1位でカープ入団。崇徳高校。背番号23→1
プロ通算1404安打。通算打率.284。228盗塁。

もくじ
■崇徳高校3年時に全国制覇
■果てしなく万能でした
■「ヤマサキ」を有名にした
■代走を出されたことがある
■二軍監督として

 

■崇徳高校3年時に全国制覇
広島の古豪・崇徳高校で3年春に全国制覇。
当時の山崎は1番ショートでキャプテン。まだ右投げ右打ちでした。
同期に後の早稲田大学・野球部監督になった應武篤良と、カープに一緒に入団した小川達明ら。
應武は斎藤佑樹や福井優也の恩師。小川は山本浩二の守備固め。
蒼々たるメンバーでした。

 

■果てしなく万能でした

プロ入り後、山崎は2つ年上の高橋慶彦を追うようにスイッチヒッターに転向。
山崎は後に「割とすんなり左で打てた」と述懐。
プロ3年目21歳にして初先発、初安打、初盗塁、初安打をマーク。カープ初の日本一にも貢献。
しかし山崎の本職ショートには2歳年上の23歳高橋慶彦が存在したため、山崎は二塁や外野で出場することが多かった。
81年に大ケガでシーズンを棒に振るも、82年に華麗に復活。
山崎はなぜかこの時の大ケガの話をあまりしません。
おそらく「ケガを言い訳にしたくない」という理由だと思います。緒方と同じ。
83年はプロ初の打率3割をマーク。当時25歳。
ここから3年連続打率3割。1990年まで803試合連続出場を果たす。
守備もうまく肩も強い。足も速くてバントも上手い。顔までシブい。
5ツールどころじゃない万能プレイヤーでした。ケガにも強くてユーティリティー。おまけに両打ち。
私がテレビで見ていると全打席クリーンヒットを打っていたイメージ。
右打席でも左打席でも同じように、右に左にセンターに自在に打ち分けた山崎。
当時のカープには珍しく、慶彦とも北別府とも達川とも誰とでも仲が良かった。完璧人間です、山崎。

1983年に不動のセンター山本浩二をレフトにコンバートして以来、山崎はほぼ外野専任となる。
この時浩二36歳、山崎25歳。
以来7年間ライトとセンターを守ってきた山崎だったが、1990年にロードン不調、トレードでロッテからきた水上善雄も髪は長いがあんまり打たない。
んで、山本浩二監督はどうしたか?
しれっと山崎を7年ぶりにサードで起用。
そつなくこなす山崎隆造。当時32歳。だいぶヒザも悪かったはずです。当時の山崎。
しかし90年に84試合サードを守り、91年にも88試合サードを守る。
試合終盤にはサードの守備固めに高信二が入り、山崎はライトへ。
1991年、33歳で初めて三塁手としてベストナインを獲得。
自身も選手会長で打率3割。チームは逆転優勝。津田のお葬式で弔辞を読んだのも山崎。
凄い人です。パーフェクトヒューマン。野球サイボーグ。



■「ヤマサキ」を有名にした
そんな山崎ですが、当時のプロ野球で山崎と言えば「ヤマザキ」が一般的でした。

「長嶋茂雄二世」と言われて鳴り物入りでロッテに入団した山崎裕之が「ヤマザキ選手」だったから。

町中には「ヤマザキパン」の「食パンかじる女の子」の看板があふれておりましたし、ウイスキーも京都のヤマザキ。

そんな時代なので山崎隆造もよく解説者から「ヤマザキ選手」と呼ばれていました。
アナウンサーはちゃんと勉強して「ヤマサキ選手」と呼んでくれてましたが、ベテラン解説者ほどヤマザキ、ヤマザキ・・・
誰だったかなんて憶えていませんよ。金やんか別所か青田か、そこらへんでしょう。

しかしこの山崎隆造は静かに実績を残し、引退する頃にはすっかり「山崎と言えばヤマサキ」
全国のヤマサキさんを大いに勇気づけたのでした・・・←ホンマか?
釣りバカ日誌に浜ちゃんもハマザキと呼ばれていましたね。

■代走を出されたことがある
さてそんな万能選手の山崎隆造。
代打を出された記憶はあんまりないです。両打席とも3割打ってましたからね。
私が強烈に憶えているのは「1塁ランナー山崎に代わり今井譲二!」がコールされたこと。
テレビで見てたので阪神戦か巨人戦だと思います。
とにかく1点差で負けてて「とにかく1点取らないとダメ」というケースでした。
2塁慶彦で、1塁ランナーの山崎を今井に代えたような記憶があります。
古葉監督でなく阿南監督だったかなな・・・←未確認
スミマセン!憶えてないし、ちょっと調べたけどわかんなかったです。
今井穣二のウィキペディアによると、
「今井は慶彦や正田の代走にも出たことがある」
と記載されていますが、これはたぶん一度もなかったはずです。私の記憶にはない。
山崎でこんだけビックリしたんだから慶彦ならもっと憶えてるはず。

山崎隆造に代走は絶対に一度ありました。長嶋清幸もありました。
延長戦でもう守備がないとか、1点取らないと試合終了とかいう時でした。
しかし慶彦にはおそらくないはず。起用法を見ててもないと思う。
正田は知らんけど、首位打者獲得以降はないと思いますよ。
たぶんいらっしゃらないと思いますが、もし正確なことをご存じの方はどうかご指摘くださいませませ。

とにかく山崎に代走今井を出したことは絶対にあります。
だって俺、見てたんだもん。
だから私は今、勝負所では「タナキクマルにも代走ノマを出せ!」と言い続けているのです。
この山崎に代走の衝撃がルーツです。あれから30年。それほどインパクト大でした。

■二軍監督として

1993年、35歳で現役引退。背番号1は前田智徳が継承。
二軍監督や一軍コーチを歴任。引退後も17年間ユニフォームを着続けました。
2018年のカープ三連覇の主役たちはほとんど全員が山崎隆造の教え子たち。

特に山崎が二軍監督を務めた1999年~2000年の2年間と、
2006年から2011年までの6年間の間に2軍で鍛えられた選手には
第1期が東出、新井、河内。
第2期はマエケン、アツ、安部、丸、松山、堂林、中崎など。
層々たるメンバーです。
特にアツと丸は山崎監督への信頼が厚いようです。
2012年から解説者になった山崎は理論的な解説からオヤジギャグまで実に多彩。
やっぱり解説もオールマイティーでした。山崎隆造。

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おしまい
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