2022.7.13(水)
広島 4-1 DeNA マツダ
予告通り今日もオールスターゲームの話をします。意外な大長編になってしまいました。笑
全部読むのに10分くらいかかるかもしれません。ごめんねごめんね。
さらに昨日「カープの話もしろ!」とお叱りを受けたので、本編の前にちょっとだけカープの試合も振り返ります。
キャッチャーのベースカバー
昨日の試合では人気者の長野と會澤が打って勝ちました。おめでとうございます。
私はチョーさんが夏男だという話は信用しておりません。迷信だと思っています。カッコいい盗塁も決めましたが私は長野スタメンには依然として反対です。
あとアツ。追加点を取った直後、7回表の守りで先頭宮崎が投手強襲安打を打ちます。
ボールを拾った小園がギリギリのプレー。一塁に全力送球するもワンバウンドしてカメラマン席に飛び込みました。
この時、アツが一塁のベースカバーに一歩も走ってなかったんですね。
アツの気持ちにになれば投ゴロだと思ったのかもしれないし、床田が弾いてから走り出しても手遅れだから走らなかったのかもしれない。
実際に小園の送球は逸れ、カメラマン席に飛び込み打者走者を2塁へ行かせました。
私たち草野球界では「走者なし」の守りの時、打者がサードゴロとショートゴロを打てばキャッチャーとライトは一塁のベースカバーに走ります。
アマチュアではファーストゴロでも一塁へ走ります。これが野球の基礎。1年生が教えてもらうプレーです。
だが私は球場に行かないのでこういうところがあまり見えません。
私のイメージでは阪神の梅野隆太郎がベースカバーを一番キチンとやっている選手です。彼はサボりません。
阪神の内野ゴロアウトの時、一塁手のマルテや大山が捕ってアウト。1死無走者、ボール回しが始まるその時、マルテの後ろにいつも梅野がチラッと映っています。
ヤクルトも中村悠平も内野ゴロ一塁アウトの時、テレビに度々映ります。さすが古田敦也の教え子。古田もサボらない捕手でした。
ただカープのキャッチャーは伝統的にあまり一塁カバーに走りません。
あんなにクソ重たい防具をつけて一塁まで全力疾走。3月4月ならできるけど6月7月に入ると誰も走りたくありません。
達川はてれてれ走ってたけど悪送球のボールを拾ったことなど無いんじゃないか?覚えてません。
とにかくそれがカープのチーム方針かもしれないし、坂倉もあんま走ってません。中村奨成はさすがによく走るよ。打者走者を追い越しそうな時もあります。笑
オールスター監督推薦
オールスターゲーム2022。
カープはファン投票で一人も選出されないという11年ぶりの屈辱を味わいました。
監督推薦でやっとこさ3人選ばれました。小園海斗にも追加招集のチャンスがあります。吉川尚輝がショートを守れるようなら負けるかもしれない。
さてここからが本題。
オールスターのファン投票で史上最多の得票数を得た人気者はいったい誰か?
知ってる人は知っている。
知らない人は知らないだろう。阪神ファンはぜひ知っておけ。阪神の選手だよ。
1960年代のファン投票
NPBがMLBに倣いオールスターゲームを開始したのが1951年。
さすがの私も生まれてません。私の親父もまだ3歳。
漫画「三丁目の夕日」で見る50年代は白黒の街頭テレビとラジオの時代。
庶民は自宅でラジオを聞き、ビッグゲームの時は電気屋さんの街頭テレビだったのかな。21世紀の「パブリックビューイング」と何ら変わっていませんね。笑
この時代のファン投票、最多得票者は阪神の吉田義男さん。得票数は20万票。
そして1961年、プロ野球界に長嶋茂雄が登場。
新興のプロ野球が、歴史ある六大学野球の人気を超え始めたのはこの頃だと言われている。
1960年代のオールスターファン投票、最多得票数はONでした。ONって死語かね? 大谷翔平と中田翔じゃないぞ。
ところが意外なことに、ONの得票数は長らく10万票前後で推移します。阪神のヨッさんが20万でONが10万。
もしかするとセの一塁手と三塁手にに強烈なライバルがいたのかもしれないですね。田淵幸一とか衣笠祥雄とか。
1976年の変
1975年のオールスターで1回裏、3番浩二と6番衣笠アベックホームラン。
すると2回裏にも浩二衣笠アベックホームラン。これが噂の赤ヘル旋風。カープ初優勝。
んで翌1976年からオールスターファン投票の得票数が2倍に増える。
以降、王、福本、梨田昌孝、大石大二郎らが20万票を超え、両リーグ最多得票数を獲得する。
1980~90年代は原辰徳、秋山幸二、池山隆寛らが最多得票者。得票数は15万前後でした。
と、ここにケタ外れのお祭り男が現れます。得票数30万台の清原和博です。
さらに初めて50万票を獲得したのが1992年の亀山努でした。
1995年と1996年には広島カープの江藤智も50万票でセトップの得票数を誇りますが、12球団最多得票者はオリックスのイチローでした。99万票。笑
インターネット投票の時代
そして時代はインターネット投票時代に入ります。
得票数100万の壁を初めて越えたのは1999年のイチロー。セリーグでは2002年の松井秀喜でした。
そして2003年。ついに150万の壁を突破した選手が二人出てきます。
一人目は阪神の今岡誠。158万票。ちょいちょい話に出てきますけど、2003年の今岡がオールスターファン投票の史上最多得票者です。
この年の今岡は150打点を挙げた5番今岡ではなく、1番今岡、2番赤星で首位打者を穫った今岡です。
2003年の阪神は開幕からセリーグを独走し、甲子園でカープの鶴田泰からサヨナラヒットを打って18年ぶりの優勝を決めた星野監督2年目のあのシーズンでした。
だから150万票の二人目は我らの金本知憲であります。152万票。惜しい。
とにかくものすごいフィーバーでした。2003年オールスターファン投票。
この年のファン投票1位は投手を除く野手8人が全員阪神でした。矢野、桧山、今岡、アリアス、藤本、金本、赤星、濱中。全員ファン投票1位です。
なお阪神の井川慶を抑えて先発投手部門1位に輝いたのが、中日の川崎憲次郎でした。川崎は2年間試合で投げていませんでした。
そう。「川崎祭り」と言われたあの事件は2003年、今岡158万票と同じシーズンの出来事でした。
交流戦と有料テレビ
2004年、読売巨人軍がドラフト裏金問題(一場事件)や10球団1リーグ構想を掲げ、近鉄とオリックスを合併すると発表しました。
巨人選手をも含めたNPB選手会は読売巨人軍に徹底抗戦を宣言し、悪の金満ゴミ球団の征伐に成功。
なぜかそれを機に始まったのがセパ交流戦でした。2005年初優勝は千葉ロッテ。
んでここらへんからオールスターのファン投票がジワジワ減っていきます。
2007年の楽天・山崎武司を最後に2022年の今日まで100万票超えの選手は出ておりません。
2022年の最多得票者は西武のホームラン王山川穂高。46万票。
山川が悪いわけじゃなくて、ファン投票が減ったって意味ですよ。
野球ファンのオールスターへの関心が薄れてきていて、なぜかオールスターゲームのプレーボールも午後7時から。
選手交代が多いため、試合終了は11時近くになります。
お祭りにしてもちょいとだらけます。家に帰れない人もたくさんいる。スポンサーさんももう少し頭を使いなさい。
私は去年まで「交流戦が始まったからオールスターが盛り上がらなくなった」と思っていましたが、実はスカパーやDAZNなどの有料テレビの普及もかなり影響大かもしれません。
私のような大阪在住カープファンにとって、オールスターはカープの選手をテレビで見られる数少ない機会でした。
しかもレギュラーなのにいつ試合に出てくるかわからない。笑
「慶彦は昨日出たから今日は出ないかも・・・」
なんて思っていたら、バースの代走で慶彦が突然出てきたりするからホント油断ならない。
昔のオールスターゲームは一瞬たりとも目が離せなかったものです。
今は有料チャンネルで毎日カープを見られる。
なんなら見逃し再生でチョーさんの盗塁だけ見ることもできる。
便利な時代に古き良きオールスターゲームも悪くない。
でも私は今のスタイルを変えるべきだと思ってます。
過去にこんな記事を書いてます。まだまだオールスターにご興味ある方はご覧下さい。
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