ウェイド=ロードン
1960年生まれ。内野手。右投げ右打ち。
1989年カープ入団。背番号44。
同期入団はロデリック=アレン外野手。
もくじ
■入団背景
■銀行員
■1年目から大活躍
■応援歌
■山崎隆造と江藤智をコンバート
■現在
■入団背景
1987年に衣笠祥雄が引退。
カープは三塁手の後継者に片岡光宏を育てようとしますが、片岡は1988年も1989年も結果を出せませんでした。
んで、カープはランディ=ジョンソンを解雇して新外国人の三塁手を獲得しました。
それがロードン。1989年。平成元年。
■銀行員
カープ球団はアレンに大砲役を、ロードンには「守備&繋ぎ」を期待していました。
しかし1年目はロードンの打撃が爆発。ホームベースから離れて立ち、オープンスタンスから踏み込んで打つ打撃スタイルは当時は衝撃的で、多くの解説陣から「これでは打てない」と散々言われました。
同じ年にヤクルトに加入したラリー=パリッシュも似たような打ち方でしたが、こちらはメジャーリーグの四番打者でメジャー通算250本塁打。誰も叩けない。笑
ロードンのほうはいっぱい叩かれましたねぇ。おまけにロードンの風貌も野球選手らしくありませんでした。色白で細身。おまけにクラーク=ケントのような黒縁眼鏡。ついたあだ名は「銀行員」
ほんとに住宅ローンの相談に乗ってくれそうな雰囲気でした。ロードン。
■1年目から大活躍
期待していなかった打撃が開幕から大爆発。
1年目の成績は打率.300、22本塁打、79打点、8盗塁。私、今でもこの成績をそらで言えます。
シーズン終了間際に調子を落とすまで、ずーっと.320台の打率をキープしていました。
三塁の守備にも安定感がありゴールデングラブ賞を獲得。ワンハンドキャッチとかアメリカ仕込みのプレーをたくさん披露しました。エラーが多いって言いますけど市民球場ですからね。普通です。普通。
2年目は相手からも研究され、自身も不調で26試合の出場にとどまり退団。
■応援歌
ロードンの応援歌は「ふたりの愛ランド」チャゲ&優子
「ゴーゴーレッツゴー、ロードン。ホームラン、ホームラン、ロードン。かっとばせー、ロ・オ・ドン!」
「ふたりの愛ランド」はもともとティム=アイルランドの曲でした。ふたりのアイルランド。
リチャード=ランスの応援歌は「麦わらでランス」でした。
なんだか80年代の応援歌のセンスって・・・昭和です。さらにそれを使いまわすというセンス・・・嫌いじゃありません。笑
■山崎隆造と江藤智をコンバート
ロードンの1年目(1989年)の大活躍で衣笠以来の正三塁手が誕生したかと思わせておいて、2年目の1990年にまさかの失速。
この年ロッテからトレードで獲得した水上善雄(33歳)も全然打たないし、高信二はまだ23歳。
山本浩二は苦肉の策としてベテランの山崎隆造(32歳)を内野へ再コンバート。
これがまんまとハマりました。
外野でゴールデングラブ賞の常連だった山崎をサードに再転向。
90年は外野よりも三塁で先発する機会のほうが多かったです。山崎。
んで90年オフに来季3年目を迎える20歳の江藤智をサードにコンバートします。浩二&大下。
江藤の打撃を活かすためでもありましたが、ベテランで膝に故障のある山崎にいつまでもサードを守らせるわけにいかないからです。
ロードンが退団した翌91年、江藤は三塁と一塁で91試合に出場。
山崎隆造は自身初の「三塁手でベストナイン」を獲得。カープ優勝。山崎3割。
ロードンがいたら「三塁手江藤」の誕生は2~3年遅れていたかもしれません。
あとアンディ=シーツ(2003~2004)も守備の人と言われながら3割20発を放ちました。
この時、多くのカープファンは「シーツってロードンみたいだ」と感じました。これホント。
■現在
そんなロードン。実質1年しかカープでプレーしていませんが今なお多くのカープファンから愛されています。やっぱ顔とかキャラクターって大事ですね。笑
インパクト大です。ロードンの笑顔は。
ちなみにロードンさん。現在はマイアミに在住。facebookを見つけました。
Wade Rowdonでfacebookの中を検索すると2018年4月のお顔を見ることができます。
全っ然変わってません!
今日も笑顔が素敵です。笑
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