48石貫宏臣 [広島東洋カープOB]

石貫宏臣 (いしぬきひろおみ)

1969年生まれ。投手。左投げ左打ち。

1987年ドラフト2位でカープ入団。西日本短大附高校。背番号48→19

プロ9年。通算81試合登板。5勝3敗1セーブ。防御率3.32。現役当時は178cm、71kgの小柄な投手でした。

もくじ
■プロ入り前
■清川と野林のトレード
■1991年のV戦士
■引退後


 

プロ入り前

石貫は1986年夏の甲子園に出場。今では名門の「西短附」ですが初出場はこの時。

2年生エース石貫と3年生捕手青柳進(元ロッテ→ヤクルト)のバッテリー。この時は1回戦負け。

3年春のセンバツ甲子園にも出場。この時も1回戦負け。相手は1987年の春夏連覇を果たすPL学園でした。この試合で西短附は一気に有名になりました。

石貫は立浪和義らにタイムリーを浴びて3失点し、1対3で惜敗。PLは野村弘樹3イニング、橋本清6イニングの豪華リレーでした。石貫は完投。3番投手でキャプテンでした。2安打も放ち意地を見せましたがPLの好守備連発に敗れました。石貫は高校時代から球速140km台で変化球のキレもよく、PLを苦しめた春には「石貫が大会ナンバーワン投手か?」と騒がれました。

1987年の夏は県大会決勝で敗退。相手は東筑高校でした。石貫の夏が終わりました。西短附の1年生に新庄剛志がいました。

石貫不在の夏の大会では東亜学園の川島堅や尽誠学園の伊良部秀輝が強烈な存在感を見せ、一躍ドラフト好捕の目玉に躍進。彼ら3人が立教大学の長嶋一茂とともにドラフトの目玉となる。

注目の川島は3球団競合の末、カープに入団。伊良部はロッテ。立浪は中日、橋本は巨人でした。

石貫は2位でカープ入団。「キレが良くて将来楽しみ。でもちょっと時間がかかりそう」というのが私のイメージでした。

 

清川と野林のトレード

1989年、1年目の石貫は二軍でじっくり鍛えるものと思われました。しかし石貫の実戦デビューは意外に早く訪れます。

と言うのも当時のカープが「絶望的左腕不足」であったことに加え、ライバル巨人の主力にも左打者が多かった。クロマティ、篠塚、吉村に加え、岡崎と駒田が急成長していた時期。

1988年のカープはベテランの山本和男を放出し、ドラフト3位の畝龍実も絶望的にタマが遅かった。

大野川口は先発ですから、リリーフ左腕は清川一人だけでした。

1990年はさすがの清川も勤続疲労で球威が落ち、左打者に打たれるシーンが増えました。

山本浩二監督は大野豊をリリーフに回したり、故障明けの高木宣宏(27)を一軍復帰させたりと、苦しい舵取りを迫られました、3年目、21歳の石貫宏臣はこの年一軍で3試合に登板しています。

 

1991年、石貫は5月2日に初登板。

清川のトレードと石貫の本格デビュー、どっちが先だったかは覚えていませんが、ほぼ同時期です。1991年の5月。

清川は野林大樹との交換トレードで近鉄へ移籍。野林大樹は2008年に入団した中田廉のお父さんです。

石貫は5月から大車輪の活躍を見せ、6月にプロ初勝利、7月に初セーブもマークします。

 

1991年のV戦士

このシーズンの石貫は登録抹消されることもなく、ずっと1年間チームに帯同しました。「大量失点した」とか「四球で試合を壊した」とかもなく、22歳なのにとても安定感のある投手でした。

ノビのあるストレートは球速140km台半ば。当時としては立派な速球派でした。

変化球はカーブとスライダー。フォークも投げてたかもしれません。忘れました。

右打者もよく抑えてましたし、とにかく130試合中、チーム最多の46試合に投げ、50回で自責点11。防御率1.98。5勝1敗1セーブです。

令和の今日、この成績だと「普通の好成績」に見えるかもしれませんが、1991年にMVP級の活躍をした大野豊(36)のスタッツが37試合、46回で自責点6、防御率1.17、6勝2敗26セーブですから、石貫も遜色ないMVP級のピッチングと言えましょう。

立派なV戦士でシンデレラボーイ。私も大いに将来を夢見た投手でした

 

引退後

しかし22歳の若者をシーズンフル回転させた代償はあまりにも大きく、石貫宏臣が現役投手として光り輝く姿は二度と戻りませんでした。

カープは再び左投手不足の時代を過ごします。

前間卓、佐藤貞治、菊地原毅、池田郁夫、ここらへんが出てこないかなと夢を見る日々でした。

トレードで前田耕司とか小早川幸二を取ったのも石貫を壊したからです。高橋建は左の方が苦手でしたし。

 

1992年から95年までの4年間、私は石貫を探し続けていました。

しなやかなフォームからキレのあるボールを投げ込む石貫の輝きはもう一度戻ると思ってました。

先輩の高木宣宏や、後に入団する河内貴哉らと並ぶ「惜しい人材」でした。カープ球団の罪も重いです。

石貫は金銭トレードや入団テストを受けて頑張りましたが、1991年の栄光から5年後の1996年に現役引退。27歳の若さでした。

その後、ロッテで打撃投手を20年務めました。大偉業です。日本記録じゃないの?

スコアラーを経て2017年に伊東勤監督の元、石貫は突如「戦略担当コーチ」として一軍ベンチ入り。ヘッドコーチなのかスコアラーなのかよくわからないお仕事でした。1年で退団。

石貫は1991年の日本シリーズで伊東勤に2回四球を与えていますから、伊東はそのお礼のつもりだったのかもしれませんね。んなわけないですね。

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おしまい
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