東出輝裕(ひがしであきひろ)
1980年生まれ。内野手。右投げ左打ち。
1998年ドラフト1位でカープ入団。敦賀気比高校。背番号46→2
プロ通算1366安打。ベストナイン2回、オールスター4回。
もくじ
■1番投手でセンスの塊
■二岡智宏の代わり
■エラーとトラウマ
■飛躍
■靱帯断裂
■インテリの匂い
■東出とコンビを組んだ男たち
■東出の女性関係
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■1番投手でセンスの塊
東出がその名を野球界に轟かせたのは高校2年の夏の甲子園。1997年。
開会式直後の1回戦第1試合の1番打者。
5回2死から四球で出塁すると2盗3盗を決め、2番打者の内野安打でホームイン。
堀越高校を相手に1-0で勝利する。
東出は3年春と夏も甲子園に連続出場。背番号6ながら「1番・ピッチャー東出」で活躍しました。
3Aアジア選手権でも優勝&ベストナインに輝く。
実は当時の私は東出があんまり好きじゃなかった。
高校サッカーでもカッコつけてドリブルばっかりする選手が嫌いなんですけど、そういうイメージでした。東出。
塁に出たら盗塁ばっかり。バッティングも流し打ちばっかり。
カッコつけてる選手って印象でした。
■二岡智宏の代わり
1998年は松坂世代のドラフト。東出もその一人。
カープは広陵高校時代からマークしてきた二岡智宏(近大)の1位指名が既定路線でした。5年前から。
それを長嶋茂雄が横から出てきてガラガラポン。上原浩治&二岡智宏を逆指名制度で両獲り。
カープは1位で二岡を指名したいのに巨人の2位が優先。
ザッツナベツネ。ディスイズ巨人。理不尽を通り越す巨人のためのドラフトルール。
阪神も結構頑張ってたが、後に明かされる裏金を使って巨人が二岡を強奪しました。
巨人が2位で二岡を獲ったため、カープは別の選手を1位指名しなくてはなりません。
それが同じショートの東出輝裕。単独1位指名。
ちなみに松坂大輔は3球団。意外に少ないです。
■エラーとトラウマ
達川光男新監督の下、東出輝裕は高卒1年目から1軍で活躍します。
1年目78試合、2年目119試合、3年目は全試合出場となる140試合。
3年目の2001年にまた日本代表に呼ばれる。11月からのIBAFワールドカップ。
東出はサードでベストナインに輝くも、準決勝のシビれる場面でタイムリーエラー。
パワプロに「タイムリーエラー」というステータスが設置されたのは、このワールドカップでの東出の劇的な同点エラーの影響と思われる。←根拠はないが自信あり
市民球場で同期入団の新井貴浩とエラー王を争った若かりし東出。
4年目になって右足を故障。
2002年の東出は107試合で打率.237。
新井貴浩は140試合で打率.287、28本塁打。前田を殴ったロペスの穴を埋める活躍。
2002年はライバルの新井が活躍したのに対し、東出はケガの影響で攻守に精彩を欠いた。
特にもともと不安定だったショートの守備がこの年は本当に酷かった。
足が痛いのか、捕球だけでなくスローイングもグダグダでした。
まだ大学4年生と同じ22歳だったんですが、私も相当東出をヤジりました。
三村監督退任後の1999年頃からカープは暗黒時代に突入。
救世主と期待していた二岡は巨人に獲られるし。
東出には全く無関係なカープファンのイライラさえも東出個人に向けられていたんですよね。
後に永川勝浩が引き継ぐカープファンの暗黒時代のイライラを。
東出は「もっとできる子」というファンの期待が大きすぎました。ルーキーの時は立浪和義と比較されてたくらいですから。
翌年、カープはショートの外国人選手を獲得。23歳の東出は干されていくのでした。
■飛躍
2003年アンディ=シーツが守備で華麗なハンドリングを見せ、打撃もロードンばりの安定感で四番に定着。
開幕四番の新井貴浩はプレッシャーに負けて打率.236、19本塁打。
東出はわずか43試合の出場にとどまる。
2004年は嶋重宣が首位打者獲得。新外国人のグレッグ=ラロッカ40発。
セカンドラロッカショートシーツ。東出輝裕代走要員。
シーツのいる2年間で東出は一度もショートを守りませんでした。
シーツとラロッカが年俸2億円となりカープを退団。
2006年にマーティ=ブラウンがやって来ると、東出梵の二遊間が誕生。
26歳東出輝裕が復活してセカンドに定着。ルーキーの梵がショート。
オールスターにも初出場。夏場まで打率3割をキープします。
何があったのかこの2006年から東出の打率が急に良くなりました。
その代わり長打は劇的に減りました。「アヘ単」という言葉は東出がルーツです。←これは自信なし
2006年のオールスターでは「ショート二岡、セカンド東出」というコンビが実現。だから何だという話ですが。
■靱帯断裂
2006~2008年までは安定した成績でチームを引っ張りました。
新井と黒田の抜けた2008年は初のベストナイン獲得。
28歳でFA権を獲得し熟考。球団は宣言残留も容認していましたが東出はカッコいい名言を多数残してカープ残留。1億円×4年契約を結び、マツダスタジアム元年を迎えました。
マツダスタジアムでの4年間も安定した活躍を見せました。
2年連続ベストナインや3年連続ファン投票1位などがそれを物語ります。
東出がチームを離脱したのは2012年6~7月の2ヶ月だけ。試合中の骨折によるもの。
ただこの2ヶ月でチャンスを掴んだのがルーキーの菊池涼介(22歳)。
32歳の東出、ちょっと焦る。
んで2013年の春のキャンプで靱帯断裂の大ケガ。
開幕戦は1番セカンド菊池、2番センター丸。開幕投手はバリントン。
チームは初のクライマックスシリーズ進出。
東出がプレーヤーとして活躍した14年間、カープはずーっとBクラスでした。
■インテリの匂い
2015年オフ、ついに東出輝裕は35歳で引退を決断。
靱帯断裂後の2013~2015年の3年間は公式戦出場ゼロ。
2軍では結構打ってたんですが、1軍のセカンドには補殺記録を毎年塗り替える菊池涼介がいて東出に出番は回って来ませんでした。
現役晩年は2軍コーチを兼任し、鈴木誠也や堂林の打撃を見守ってきました。
2016年からは1軍打撃コーチとしてカープ3連覇に大きく貢献。
誠也の打撃が2016年に開花したのは、東出が脇を締める練習をさせたことも大きいのです。
東出は引退会見で「真剣に投手をやってみたかった」と発言しました。
元投手の石井琢朗と一緒にバッティングピッチャーをやりました。
迎コーチは他球団の投手のモノマネまでできるそうです。
若かりし東出選手は「現役引退後は早稲田大学に進学したい」と発言していましたが、非常に有能な打撃コーチとして活躍していますので、その夢はしばらくの間かなわないのではないでしょうか。笑
実は東出の実働14年間の通算成績は名二塁手の正田耕三とほぼ同等。
正田もケガで早く引退しましたが、この二人試合数も打席数も安打数もほんとよく似た通算成績です。
■東出とコンビを組んだ男たち
一番最初の東出の相棒は木村拓也。
1番セカンドキムタク、2番ショート東出の時代。
それまでの緒方孝市や野村謙二郎らの上位打線に比べて非力なため「ちびっこコンビ」と呼ばれたこともありました。
次のパートナーは「新井貴浩」でしょうか。
こちらは失策王コンビ。毎年三遊間の二人で50個くらいエラーしてました。
エラーの数が多い方が頭を丸めるのも恒例行事でした。
2006年からはルーキーで同学年の「梵英心」との名コンビで活躍。
1番ショート梵、2番セカンド東出。守備も打撃も美しいコンビでした。
引退後の東出の相棒は年下の迎祐一郎。
ともに一軍打撃コーチで石井琢朗の教えを引き継ぎ、ビッグレッドマシンガン打線という長い名前の強力打線を築き上げカープ3連覇。
アウト一つに意味を持たせる打撃指導です。東出コーチ。
■東出の女性関係
最後に下世話な話も。笑
東出は高校の同級生と結婚。26歳の時。
実は東出は奥さんとしかお付き合いしたことがないことをテレビ番組でカミングアウトしてました。笑
こういうとこもカープっぽいです。
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