5ギャレットとデュプリーとガードナー[広島東洋カープOB]

ヘンリー=ギャレット
1943年1月生まれ。外野手。右投げ左打ち
1977~79年の3年間カープに所属。背番号5
5番レフトの長距離砲。

マイク=デュプリー
1953年生まれ。外野手。右投げ右打ち
1980年の1年間カープに所属。背番号5
ハッスルプレーの強肩外野手。

アーサー=ガードナー
1952年生まれ。外野手。左投げ左打ち。
1981~82年の2年間カープに所属。背番号5
ホームランのベース踏み忘れ事件で有名


ライトルと一緒に活躍したこの3人・・・
ハッキリ言ってよく覚えてません。笑
3人まとめて紹介します。

■ギャレットの思い出
私がカープファンになったのが1978年シーズンから。
お題目のように「3番ライトライトル、4番センター山本浩二、5番レフトギャレット」と覚えました。
ライトルには確実性がありました。
ギャレットは三振か本塁打の一発屋。
来日1年目の1977年はファーストでデビューするんですが、シーズン後半にレフトだった水谷がファーストに入り、ギャレットがレフトに回りました。
実はこの年、古葉監督は2~3試合で「5番キャッチャーギャレット」を試しています。
先発投手は外木場と高橋里志。
外木場さんはカープの大エースでしたし、高橋里志はこの年20勝を挙げる活躍。
古葉監督の采配って面白いですね。
後に「水沼と道原が全然打たないから一度やってみたかった」とおっしゃっていました。
ちなみに歴代のカープOBの中でシーズン40本塁打以上を記録しているのは山本浩二、ギャレット、ラロッカ、新井貴浩の4人だけです。2018年現在。

■デュプリーの思い出
ギャレットが退団し、デュプリーを獲得。
パワーはないが「ライトル以上の強肩」というふれこみで入団。
実は3Aでは投手と外野手の二刀流だったとか。
長い金髪をなびかせてヘッドスライディング。味方が打って大喜び。
シェーン→デュプリー→アイルランド→ブラウンと繋がるハッスル外国人の系譜。
1980年の開幕戦で9回表にダイレクト返球でホームインを阻止したかと思うと、その裏にサヨナラホームラン。
ただし年間成績は127試合で.266、10本。定位置は7番レフトでした。
当時のNPBでは外野からノーバウンドでバックホームできたのって浩二、ライトル、デュプリーの3人しかいなかったような気がします。
D平野やB蓑田は捕ってから投げるのが早いタイプ。カープの3人はバズーカタイプ。
デュプリーは日本シリーズでも全7試合に出場。日本一に貢献しました。

■ガードナーの思い出
ギャレットの再来。三振かホームラン。笑
しかしギャレットほど本塁打を打てず、2年で解雇されました。
1年目のホームベース踏み忘れ事件が有名。
1981年にホームランを打ったのに、ホームベース踏み忘れ。幻の本塁打。
長嶋茂雄以来2人目の珍事として当時けっこう話題になりました。長嶋は1塁ベースの踏み忘れ。
2017年にはオリックスのマレーロ選手がホームベースを踏み忘れて取り消しに。
この時に「広島のガードナー以来36年ぶり」と再び話題になりました。
ちなみにウィキペディアでは「アート=ガードナー」で記載されていますが、カープ時代の登録名は「アーサー=ガードナー」です。

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おしまい
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