25石井琢朗は大キライだったなあ…[広島東洋カープOB]

石井琢朗 (いしいたくろう)

1970年生まれ。内野手。右投げ左打ち。

1988年ドラフト外で大洋入団。足利工業→大洋・横浜→広島。背番号66→0→5→25

通算2432安打、358盗塁、打率.282、出塁率.356

 

野村緒方から石井の時代

昨日NHKの球辞苑に小園と石井琢朗が出てました。

流し打ちの話をする琢朗の理論を聞いていて、そういえば昔の俺は石井琢朗のことが大キライだったなあと思い出しました。

カープ3連覇時代に打撃コーチとして共に戦いましたから、琢朗はずっと味方だったように感じていましたが、こうやってファールを打つ、こうやってヒットを打つんだって話を聞かされるうちに、横浜ベイスターズの石井琢朗に当時のカープがボコスカ打たれた記憶がムラムラと蘇ってきました。

 

石井琢朗は初球をコーンとヒットするかと思えば、追い込まれるとネバネバネバネバ、ファールを打つんですよね。

三塁側にカットするファールじゃなくて、けっこう強く振ってバックネット方向にファールするのが琢朗の特徴でした。いかにも「打ちそう」なバッターのファールでした。腰の据わった強いファールでした。コワかったなあ。

全盛期の石井琢朗は1番ショート。低い弾道でライナーを右にも左にもセンターにもどこにでも打てるバッターで、ヘッドスライディングも石井琢朗の代名詞でした。日本シリーズ第1戦の初回の初球をセーフティバントしたこともあります。

1990年代前半は野村謙二郎緒方孝市が古田敦也から盗塁王を奪う時代でしたが、1990年代後半は石井琢朗が3年連続盗塁王に輝きました。私は松井秀喜の次に石井琢朗がキライでした。95~97の盗塁王が緒方、98~00が琢朗、01~05が赤星と覚えましょう。

 

石井琢朗はピッチャーとしても高卒1年目に1勝しています。めっちゃいいストレートを投げていました。あのピッチャーが打者に転向すると聞いた時はたいへん驚きました。

ゴールデングラブ賞はサードで3回、ショートで1回。ヤクルトに宮本慎也がいなければもっと獲れていたでしょうね。ショートからのスローイングは宮本より琢朗の方が上でしたよ。

 

カープ入団

若返りを図る横浜は石井琢朗に戦力外通告を告げる。2008年、琢朗38歳のオフでした。

あん時、カープが琢朗を獲るんじゃないかという噂があって、私は正直イヤでした。だって38歳のおっさんですよ。どこで使うのよ。

2008年は3年目の梵英心が全然打てなくて、ブラウン監督はショートに小窪哲也や木村昇吾を起用していました。

 

ルーキーだった小窪は98試合で打率.270、本塁打3本。まあまあ打てるんですが、肩が弱いので私はショート小窪はイヤでした。

木村昇吾は石井琢朗がいるから横浜を追われた選手。こちらは守備が良くて打撃がダメなタイプでした。

私は「ショートは梵でいいじゃん」と考えていましたが、まあ監督にしてみれば「保険」になる選手は欲しいよね。

結局また松田元オーナーが出てきて、「人格者だから」みたいな理由で琢朗を獲得。年俸2000万円も「琢朗に失礼だろ」と私は思いました。

 

カープの琢朗は最初にまず何をやったかというと、ブログの柄を赤に変えました。

2008年当時、ブログをやってたプロ野球選手は古田敦也と石井琢朗、あとは広池浩司くらいか。他にもいただろうけど覚えていない。

とにかく琢朗ブログはシュールで面白かった。河内貴哉のことをギラッチとか言ってよくいじってました。鈴川卓也トレーナーともよく絡んでた。

あとは1個年下の 前田智徳 をいじるのも楽しそうでしたね。前田をいじれるのは琢朗くらいだよ。

 

琢朗は前田健太とも仲が良かった。琢朗は誰とでもじゃれ合ってましたね。琢朗はこの時点でもう2300安打してた超大物です。

琢朗の背番号は25番に決定。シーボルの背番号を57番に変えてまで琢朗に25番を渡した理由はよくわからない。新井貴浩 のイメージを早く払しょくしたかったのかもしれない。

 

コーチ琢朗

琢朗は2012年を最後に現役引退。カープでは4年間プレーしました。42歳でした。

セカンドも守ったし、代打もやった。時には代走で出たこともありました。あれは驚いた。誰の代走だったっけ?松山かエルドレッドか…

 

引退後は内野守備走塁コーチに就任。適所に見えましたが三塁コーチャーでは「壊れた信号機」と呼ばれました。

2015年に打撃コーチに就任すると、鈴木誠也が覚醒しました。琢朗は左打者なのに右打者への指導も上手でした。迎祐一郎もよくいじられてたな。

石井琢朗がカープのコーチをしていた時期は、野村謙二郎監督でした。緒方孝市ヘッドコーチ。

盗塁王を争った3人がベンチに揃って、一回り年上の新井宏昌もいて、あの頃のカープには多様性がありました。新井と黒田も帰ってきたし。

 

2026年のカープにはエースと四番がいないと言うけど、3連覇したころもいなかったよ。新井は繋ぎの4番だったし、ジョンソンはエースだったけど外国人エースはちょっとズルい気がする。

琢朗が誠也を育てたように、2026年のカープも勝ちながら4番とエースを育てていけばいいと思います。

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おしまい
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ありがとうございました。

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