長嶋清幸vs仁村徹

今日も軽く聞き流していただきたい話題。
NPB史上初の背番号0、広島カープ長嶋清幸。
彼、山本浩二からセンターのポジションを奪った男です。

その長嶋が1991年、中日に移籍。
カープのセンターには若き前田智徳。

当時の中日には仁村弟という「チャンスで必ず打つクラッチヒッター」がいて、1988年の星野仙一監督(41歳)初優勝の時もカープは6番の仁村弟、代打の仁村兄に非常に痛い目に合わされておりました。

そんで中日ファンの親友と「ドラゴンズの6番打者は仁村弟か長嶋清幸か問題」で毎晩飲み明かすのが定番となっておりました。
当時、巨人の6番打者は岡崎郁。
カープの6番は小早川毅彦。

「6番打者がチャンスで打点を稼げるチームが優勝する」
というのが仁村弟の教えでした。←妄想

1番2番は塁に出る人。
5番6番は返す人というのが昭和の野球でした。

セイバーメトリクスとか私はよくわかりませんけども、仁村徹と長嶋清幸が教えてくれた「6番クラッチヒッター」の様式美は40代のおっさんにはたまらん芸術であります。

んで何が言いたいかといいますと、昨今の2番菊池、6番野間という並びです。

・・・美しくありません。←主観

明日以降、更新しますけど、野間は完全になにかを掴みましたので、

1番野間(8)
2番広輔(6)
3番マル(7)
4番誠也(9)
5番
6番菊池(4)
7番
8番アツ(2)
9番投手(1)

を推していくことにします。野間は1番でしか輝けません。
野村謙二郎が6番とか7番で2000本を打てたか!?名監督になれたか!?