7小川達明、10斉藤浩行、43榊原聡一郎 [広島東洋カープOB]

小川達明 (おがわたつあき)
1958年生まれ。外野手。右投げ右打ち。崇徳高校。1976年ドラフト5位でカープ入団。背番号30→7→10

斉藤浩行 (さいとうひろゆき)
1960年生まれ。外野手。右投げ右打ち。宇都宮商業→東京ガス。1981年ドラフト2位でカープ入団。背番号39→7→10

榊原聡一郎 (さかきばらそういちろう)
1962年生まれ。外野手。右投げ右打ち。宮崎日大高校。1980年ドラフト2位でカープ入団。背番号43→36

もくじ
■強肩小川と強打斉藤
■右打者不足
■榊原聡一郎
■背番号7と10


 

強肩小川と強打斉藤

1980年代の第1次カープ黄金期に、21世紀の鈴木誠也や堂林翔太並みに将来を嘱望されていた期待の若手。それが小川達明と斉藤浩行です。

小川達明は1976年のセンバツ甲子園で全国優勝。崇徳高校の1番ショートが山崎隆造、3番センター小川でした。

1976年の浩二衣笠は30歳でしたから、このタイミングで次世代のスラッガーをドラフト指名するのは正しい動き。小川は走攻守三拍子揃った右の外野手でした。

しかし1980年代に入るとカープの外野は山本浩二、長嶋清幸、山崎隆造でガッチリ固定されます。小川は長嶋とのセンター争いに敗れた格好です。同級生だった山崎もライトにやって来てしまい、しかも2人とも左を苦にせず守備力と走力もあったため、スタメンの日は必ず最後までフル出場していました。

このため小川達明の役割はもっぱらレフト山本浩二の守備固めに限定されました。

 

斉藤浩行は社会人ナンバーワンスラッガーとしてドラフト2位でカープ入団。この年の1位は津田恒美でした。

1982年、津田は新人王を獲得。斉藤も1軍で4本塁打を放つなど、確かな実力を見せました。

2年目の1983年、アーサー=ガードナーが退団して空いたポジションを小川、長嶋らと争うが、斉藤は練習中にイレギュラーした打球が右目に当たり、以後伸び悩みます。

斉藤が二軍で打ったホームランは通算161本。これはおそらく今でも日本記録です。ソース

1984年の日米野球で斉藤は2試合で7打数5安打1本塁打の活躍。オリオールズの監督にスカウトされそうになりました。ちなみに小川達明もホームランを1本打ってます。ソース

 

右打者不足

1980年代のカープはスイッチヒッターと左打者中心の打線でした。

このため阿南監督は1986年の日本シリーズで、西武の工藤公康に対し代打森脇浩司、代打木下富雄、代打小川達明を送り、ことごとく失敗しました。ベンチには西田真二長内孝がいたにもかかわらずです。

特に日本シリーズ第8戦では9回裏に3番小早川に代えて代打小川を送り三振。1点差で浩二の現役最終打席の直前に小川なんか送って、私はたいへんガッカリしたことを覚えています。ベンチには長内と西田がいたし、小早川のままで良かったくらいです。ソース

 

1988年には浩二も衣笠も引退したため、ますます右打者の需要が高まりました。2021年の誠也のポスティング移籍の時より遙かに深刻な右打者不足でした。

この時カープは新外国人ロードンアレンを獲得し、高橋慶彦を放出してまで高沢秀昭を獲得しました。私は小川、斉藤より片岡光宏に期待してたんですが、結局3人ともトレードされました。その結果、若手育成を放棄し、安易な補強に走ったカープは4~5年間貧打に苦しみました。私も一時期「こんなのカープじゃない!」と言ってカープファンをやめたことがあります。

長年苦しんだ貧打と右打者不足を解消したのは5年後の前田智徳江藤智の台頭でした。やっぱりカープは育成でしか勝てないようにできていると痛感しました。

 

榊原聡一郎

さて「小川・斉藤時代」と「前田・江藤時代」の間にキラリと輝いた右の強打者がいました。

その選手が榊原聡一郎です。

覚えている人、少ないでしょうね。笑

1980年のドラフト2位。この時の1位は川口和久です。

榊原の1軍デビューは1988年と少し遅咲き。だってカープの外野は強力だったから。

カープでの通算成績は46打数12安打0本塁打0打点。打率.261。

成績は平凡ですが榊原にはガッツがありました。スイングも打球速度も速くて、左投手にも強かったです。

榊原は敵にも味方にもぶつかっていくタイプだったため、山本浩二監督とは相性が良くありませんでした。浩二は実績ある高沢や西田をスタメン起用し、榊原を田淵ダイエーにトレードしました。その一方で三村コーチは榊原を信頼し、コーチとして榊原をカープに呼び戻し、楽天にも連れて行こうとしてました。ソース

私は榊原が好きでしたけど、榊原はアレンと高沢秀昭に負けました。

 

背番号7と10

最後にカープの背番号7と背番号10について書きます。

内田順三が引退して、期待のホープ斉藤浩行に背番号7が託されます。

1986年、心機一転、小川が30→7、斉藤が7→10に変更されます。

1989年、ドラフト1位の野村謙二郎が背番号7。小川は7→10。斉藤は星野中日へトレード。

1990年、高沢がトレードでやって来て背番号10。小川は田淵ダイエーにトレード。

1992年、高沢がロッテに帰り、ドラフト4位の金本知憲が背番号10。

 

金本が阪神に移籍すると10番は比嘉寿光と岩本貴裕へと受け継がれます。

野村が引退すると愛弟子の堂林翔太が7番を引き継ぎました。

昔も今も期待の若手に7番と10番を与えてきましたが、なぜかカープでは7番と10番でどーんと活躍する選手が少ないです。小園海斗や坂倉将吾がこうした番号を受け継ぐつもりなら要注意かもしれません。

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おしまい
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