清川栄治 (きよかわえいじ)
1961年生まれ。投手。左投げ左打ち。
1983年ドラフト外でカープ入団。京都商業→大商大。背番号48→19→47
通算438試合13勝10敗12S、ERA2.94
もくじ
■鮮烈デビュー
■美しい投球フォーム
■必殺仕事人
■人間性と歌唱力
■コーチとしてはイマイチ
鮮烈デビュー
清川栄治は京都出身で京都商業出身。
京都商業と言えば古豪。あの沢村栄治が京都商業出身です。
清川の名前も沢村からもらったと言ってたような気がします。
清川の実質デビューは1985年。12試合に登板。
「面白い投手がいるな、山本和男の後継者にちょうどいいな」
くらいの第一印象でした。
清川が光り輝いたのは1986年。巨人とデッドヒートを演じたドラマチックなシーズン。
87年も凄かった。86~87年の2年間の被打率は.192でした。リリーフばかりで27人連続アウト、完全試合も達成。
左対左の有利さはありましたけど、清川の相手ってバース掛布、クロマティ吉村、若松杉浦ですからね。
先発完投時代のリリーバーはザコ相手には登板しないものでした。
大野豊や川口和久に代わって清川栄治がバース相手に出ていってました。んで三球三振とかしょっちゅでした。痛快でした。
清川が一番カッコ良かったのは背番号48の頃でした。
左サイドハンドから投げ込むストレートの球速は132~3キロ。しかしみんな振り遅れの空振りでした。
清川栄治はプロ15年間通算で「奪三振数>投球イニング数」です。江夏豊でさえ通算では三振<回数です。
江川卓も自身の引退後にインタビューで「プロで一番速いと感じた投手は清川栄治」と言いました。
平成時代となり清川は背番号19に変更。
19番の清川も防御率2点台ですが、この頃の清川はちょっと変化球の割合が増えました。
美しい投球フォーム
清川の投球フォームは実に美しかった。
数多ある私のカープモノマネの中でも清川はかなり得意でした。
もうね、清川はね、
投げる前からカッコいいんですよ。
市民球場でラジコンアンテナの付いたリリーフカーで颯爽登場。
身長176cmで手足も短い小柄な投手でしたが、どんな大ピンチでもいつもニコニコ笑顔でボールをもらいます。帽子から長髪がはみ出てます。
ランナーなしの場面では、捕手のサインを見る時、両足でプレート踏んでヒザを曲げ、両手をヒザの上に置いて達川を見ます。
この時の所作が実に昭和で美しいんです。川口も同じようなスタイルでしたがケツの美しさが違いました。清川のケツの方がカッコ良かった。
山田久志や川口和久の細いケツはモデル体型。
清川栄治の四角いケツこそ野球人のケツでした。梵英心も野球人のケツでした。
ケツってお尻のことですよ、念のため。私、野球選手のお尻が大好きなんです。ええ変態ですよ。
いよいよ投球動作。
プレートの一塁側を踏み、腕をカクカクと曲げて右足は大きくインステップします。
リリースポイントは「打者の近く」と言うより「一塁ベースの近く」でリリースするイメージ。
ストレートもスライダーも両コーナーに投げ分けられる上、空振りも取れました。
ピンチになればなるほどストレート中心で押していた印象です。バースにもクロマティにもコントロールが乱れることはありませんでした。
清川は守備も牽制も上手でした。
打撃については一切記憶がありません。通算で12打数2安打です。
必殺仕事人
清川が出てきた時代、カープには3人の仕事人がいました。
代打の西田真二と代走の今井譲二。そして左キラーの清川栄治です。
私は「この3人がカープの強さの源だ」と強く思っていました。浩二と衣笠が引退した後、この3人でよく接戦を取ってきたからです。
当時のカープには接戦をものにするレパートリーが豊富だったのです。
私が今でも代打や代走の重要性を説くのはこの時代の名残であります。
メジャーリーグのワンポイントリリーフ禁止にも大反対の立場です。清川の美しさを覚えているからです。
後に代打男は原伸次に、代走今井は野村謙二郎や緒方孝市に、清川のポジションは石貫宏臣へと受け継がれてゆきます。
清川は1991年シーズン途中で近鉄にトレード移籍しますが、その時の交換相手・野林大樹は中田廉のお父さんです。
人間性と歌唱力
清川は温厚な人柄なのでしょう。怒ったり審判に不満顔を見せたことは一度も無いんじゃないでしょうか。
ただちょっと頑固者というかヘンな性格だったようで「先発したくない」とか「勝ち投手になりたくない」など、ユニークな談話をいくつも聞いた覚えがあります。
リードした場面で登板するリリーフ投手にとって勝ち星は恥だと思っていたのでしょう。
清川は生涯救援専門でした。先発登板ゼロ。
連続438試合救援登板は当時のプロ野球記録でしたし、連続勝ち星なしとか連続黒星なしとか、聞いたことのない記録をいっぱい持ってました。
んで私が強烈に覚えているのが清川の歌唱力です。
今では考えられないことですが、毎年お正月のゴールデンタイムに「12球団対抗歌合戦」みたいな番組があり、フジテレビで夜7時から9時までプロ野球選手がただ歌うだけという番組が10年くらい放送されていました。
各チームから3名出場し、だいたいどこのチームも3人一緒にシブがき隊とかチェッカーズを歌うんですが、カープの場合は植田幸弘や清川栄治がソロでちょっと渋めの曲を歌い、横でお笑い要員の西田真二がマラカスを振るというのが定番のパターンでした。
植田も歌唱力には定評がありましたが、清川がぶっちぎりで上手かった。
司会者も清川の顔を見ると「今年もカープが優勝候補だ」と褒めてました。笑
コーチとしてはイマイチ
現役引退後はカープやオリックス、西武などでコーチを務め、各球団のファンから
「清川サイドスロー工場」
と揶揄されました。
とにかく自身の成功例を元に、伸び悩む若手投手を左右関係なく続々とサイドスローに転向させました。
成功事例は林昌樹、小山田保裕。
失敗例は苫米地哲人、仁部智、河内貴哉など多数。西武の中﨑兄も犠牲者。
とくに苫米地のサイド転向に私は大激怒しました。
まあ清川だけの責任じゃなく肩の故障でやむを得なかったのかもしれませんけどね。
清川工場の成功率は極めて低いものでした。笑