4小窪哲也[広島東洋カープOB]

小窪哲也(こくぼてつや)

1985年生まれ。内野手。右投げ右打ち。

2007年ドラフト2位でカープ入団。PL学園→青山学院大。背番号12→4

プロ通算712試合、1502打数386安打、打率.257

小窪哲也はキャプテンをするために生まれてきたような男である。

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シーツラロッカ時代

2004年の広島カープは二遊間を外国人で戦いました。

3番セカンドラロッカは打率.300、40本塁打。4番ショートシーツは打率.284、23本塁打。

プロ6年目の新井貴浩は4番の重圧に苦しみ、6番や7番で試合に出ていました。

ショートを守って4番を打てるシーツは2004年を限りにカープ退団。年俸2億円で阪神に移籍。カープは金本知憲に続いて4番打者を阪神に奪われることとなりました。

2005年オフにはラロッカも退団。この頃のカープには「年俸2億円の壁」がありまして、年俸2億円を超えた選手を次々に放出せざるを得ない時代でした。元広島カープのアルフォンソ=ソリアーノがメジャーリーグで40-40を達成したのもこの頃でした。

 

2006年シーズンはマーティ=ブラウン新監督のもと、ゴールデンルーキー梵英心とクビ寸前の中村奨成…じゃなくて東出輝裕が二遊間を組みました。

この年、梵は新人王を獲得。元ドラフト1位の東出輝裕もベストナインに迫る活躍。高年俸のラロッカシーツ時代が終わり、若くて足の速い二遊間コンビが誕生。「さあ、このコンビで新球場へ乗り込むぞ!」という雰囲気ができあがりました。

2007年シーズンも梵と東出は規定打席に到達しますが、前年より少し数字を落とします。カープは梵と東出に続く二遊間の内野手を欲していました。

 

ショート小窪

2007年10月のドラフト会議でカープは高校生の安部友裕と大学生の小窪哲也を指名しました。ともに将来の二遊間候補。

安部がバネとスピードのあるショートで、小窪はガッツとテクニックで勝負するタイプのセカンドでした。

小窪哲也の1年目は梵英心の不調もあり、84試合にスタメン出場、打率.270、本塁打3本の好成績を残しました。

んで実はこの年こそが小窪のキャリアハイとなるシーズンでした。

 

小窪って元はセカンドの選手なんですよ。だけど5歳年上の東出輝裕がセカンドに君臨していて、小窪はショートやサードで出ることが多かった。ショート小窪には梵英心のような広い守備範囲がなかったし、サード小窪には長打力が足りませんでした。

小窪の打撃には天才的なセンスと読みと勝負強さがありましたが、ショートとサードではそれを発揮しづらかった。

小窪の1~2年目は梵英心の不調でショート起用が多かった。しかし2010年に梵が復活、打率3割と盗塁王。これでショート小窪は完全消滅。

ならばと小窪はサードでスタメン出場を目指すが、今度は野村謙二郎新監督が20歳の堂林翔太をサードに抜擢ました。

2012年の小窪哲也は25試合の出場にとどまる。

小窪のレギュラー獲得への道はほぼ閉ざされかけていました…

  

代打小窪

2013年に流れが変わります。

カープは15年連続Bクラスを脱し、初めてのクライマックスシリーズ進出。

前田智徳の引退により、小窪が徐々に代打の切り札的な存在になってゆく。

2014年の小窪は代打で大活躍。安打数こそ1年目の70安打には届きませんが、打点は1年目を上回る30打点をマークしました。代打での打点は意味が大きいんですよ。

 

2015年には新井貴浩がカープに復帰。

私は「カープには小窪がいるから新井など全く要らん!」と激しく抵抗しました。

ところが阪神の補欠だった新井はカープのレギュラーに定着。小窪も小窪で代打率.380を記録。新井との相性は悪くありませんでした。

2016年、カープはついに25年ぶりのリーグ優勝を果たします。

25年ぶりのビールかけ。往年のカープファンには感慨深いものがありました。

その25年ぶりの音頭を取ったのが誰あろう、小窪哲也なのであります。

 

キャプテン小窪

小窪哲也はすべての年代でキャプテンを託されてきた男。

少年野球、PL学園、青学のキャプテンはもちろん、小窪哲也は日本代表チームでもキャプテン、プロ野球チームでも選手会長だったのです。

2016年のカープのビールかけ、小窪哲也の乾杯の音頭は「かんぱーい」じゃありませんでした。

小窪の音頭は「見たか!」であります。

正確には

小窪「僕が今から『まさかじゃない』と言いますんで、みんなは『見たか』でお願いします。せーの、まさかじゃなーい! 見たかー!」

です。

 

カープ優勝の原動力は巨人が作ったインチキドラフトルール「逆指名制度」が2007年に廃止されたから。

小窪は大学全日本のキャプテンでしたから、プロ入りがもう1年早ければ「逆指名」をできていたかもしれません。小窪は2007年ドラフト3位でカープ入団。同期に安部友裕、丸佳浩、篠田純平、松山竜平など。

現役時代の小窪は梵、東出、タナキクマルらに敗れてレギュラー獲得はなりませんでしたが、代打男や必殺仕事人として活躍しました。そして内野ならどこでも守れるユーティリティー性も備えていました。

 

カープ退団後は独立リーグ熊本と千葉ロッテへ移籍。

現役引退後はカープに復帰して一軍コーチを務めています。

小窪は全ての年代でキャプテンになったと書きましたが、私は新井貴浩監督の次の監督は小窪哲也じゃないのかなと見ています。