34川口和久[広島東洋カープOB]

川口和久(かわぐちかずひさ)

1959年生まれ。投手。左投げ両打ち。

1980年ドラフト1位でカープ入団。鳥取城北高校→デュプロ。背番号34

最多奪三振3回、通算435試合139勝135敗4S、ERA3.38。2410回2092三振。

もくじ
■川口との出会い
■四球→三振→完投
■川口も実は色々考えていた
■ダンディズム


 

川口との出会い

私は川口和久がドラフト1位で入団していたことを長い間知りませんでした。

理由は私が小学生だったから。

1981年のオフに父親から「カープにスゴい新人が入ってくるらしい」と教えてもらってドラフト会議の存在を知りました。

そのスゴい新人が津田恒美(協和発酵)。鳴り物入りでカープ入団。1年目から颯爽と新人王に輝きます。

なので川口和久が高校時代にロッテから6位指名を受けていたことや、1980年の原辰徳(東海大)のハズレ1位だったことはだいぶ後になって知りました。

1978年に一度見てたはずなんですが、私のドラフト会議の記憶は1981年以降です。小学生にドラフト会議は難易度が高いんですよ。笑

 

なので私が川口の存在を知ったのは1981年のシーズン開幕後です。

世間は「漫才ブーム」で「セーラー服と機関銃」と「タイガーマスク」

1年目の川口はまだ先発ではなく、敗戦処理で登板してストレートとカーブだけでガンガン三振を奪っていました。

当時の背番号34と言えばスピードキングの小松辰雄金田正一の34番も伝説でしたし、川口の前任者高橋里志も剛腕でした。海の向こうじゃノーラン=ライアン。34番は超カッコいい背番号でした。

負けてなかったですよ、川口のの34番も。

私が初めて一目惚れした野球選手。それが川口和久でした。

 

1981年はスピードガンがテレビ中継に導入された頃で、江川と小松が150kmを出してた時代。

1981年のカープ最速はたぶん大野豊だったと思います。最速148km。当時は初速と終速が両方表示され、小数点1位まで表示する局もありました。

川口は平均137~138kmくらいでした。最速でも144km。

なのにプロのバッターがみんな川口のストレートに空振りするんですよ。

スピードガンでは北別府と同じくらいなのに川口のストレートはかなり速く見えました。この時期なら巨人の抑え角光男のストレートも球速以上に速く見えました。

 

川口はストレートだけでなくカーブの曲がり幅もスゴかった。あんなカーブはそれまで見たことありませんでした。

実はコレも後で知るんですがセンター左にテレビカメラがあるので左投手のストレートは速く見えて、カーブも大きく見えるんです。

とにかく川口は現役時代、ことあるごとに「左打者には打たれない」と豪語していました。このカープがあったからです。

 

四球→三振→完投

川口和久と言えば四球三振。語る上では欠かせませんね。

立ち上がりの悪さにも定評があり、めちゃくちゃ球数の多い投手でした。笑

10四球で完封したり、200球で完投勝利なんてお手の物でした。

 

初回に四球を出して満塁から打たれて2失点。

でもその後は立ち直って粘りの投球。

終わってみれば9回2失点12奪三振で完投勝利。ヒーローインタビューでダンディズムが定番でした。

川口って1試合の中で尻上がりに調子を上げるタイプで、なおかつシーズンも尻上がりで夏場に強い。

さらにさらに1打席の中でも初球→2球目→3球目と進むにつれてボールの勢いが増すタイプ。どこまでも尻上がりで後半に強い男でした。

 

若い頃はカーブとストレートだけで真っ向勝負。ピンチになればなるほどストレートが増える川口投手でしたが、年齢を重ねるにつれスライダー、フォーク、シュートを覚えていき、時にはノーワインドアップで投げたりサイドスローで投げたり、クロスステップで投げたりと様々なワザを使い始めていきました。

令和の今日で言うと、鈴木誠也が打席ごとに違うスイングを試しているようなイメージでしょうか。

あるいは日本ハム時代のダルビッシュ有のような研究心とか。

とにかくシーズンごとに引き出しを増やしていった川口のピッチングはプロ野球人生においても尻上がりだったのです。年々引き出しが増えたという意味です。

 

川口も実は色々考えていた

落合博満は川口和久を「天敵だった」と言い、バースとクロマティも川口が大嫌いでした。

※通算対戦成績
vs落合 118打数32安打 打率.271
vsクロマティ 107打数26安打 打率.243
vsバース  91打数24安打 打率.263

 

川口は1984年の日本シリーズでブーマーを押さえ込み、1991年の秋山幸二を打ち取ったボールについて二宮清純が何度もコラムを書きました。

落合には結構打たれましたけど、確かにバースとクロマティに打たれたイメージは皆無ですね。

川口は巨人キラーで「槙原桑田vs大野川口」は平成の名勝負でした。この頃の川口は江夏豊に次ぐ史上2番目のスピードで次々と奪三振記録を打ち立てていました。

 

1986年から川口は先発1本で6年連続2ケタ勝利。「三本柱」とか「北別府大野川口」と呼ばれました。

若い頃は真っ直ぐ1本でしたが、シュートスライダーを投げたり牽制球やクイックモーションも上達しました。

当時、阪神にも背番号34の長身左腕がいて川口に似た四球&三振タイプでした。川口がマイク仲田と違ったところはピッチング以外の細かな所作だったと思います。テンポとかメンタルとか。

川口は単なるノーコン投手ではないってことです。

日本シリーズで突然シーズン中に投げない球を投げたりするのです。それが秋山に投げたハードスライダーでした。

巨人に移籍後はリリーフとして活躍し、今はよくしゃべる解説者として饒舌に毒を吐いています。

やっぱいろいろ考えているみたいです。笑

 

ダンディズム

プロ野球選手で誰がイケメンかというと私は川口和久がナンバーワンじゃないかと思います。

顔だけでなくスタイルも含め、川口と慶彦はエロ格好いいです。

顔は田村正和っぽくてスラリとした高身長。手足が長くて肩幅が広い。セットポジションでもワインドアップでも達川のサインをのぞく時のお尻がプリプリ。

たぶん川口が変装してスーツ着てても一瞬で「この人は投手だ!」とわかる体形

イケメン川口が投球する時だけ口をとがらせて「ひょっとこ顔」になるのも、たまらなくセクシーでした。

1990年代になるとメッシュを入れたのか白髪になっただけなのか、ロマンスグレーの渋味を出してきた。

 

んでスゴいところは引退後も体形が変わっていないとこ。

しれっと映画の「走れ!イチロー」(2001年)にも出演していますし、巨人のコーチ時代(2011~2014)もスリムでした。

現役時代はプリティー=ウーマンのリチャード=ギアに似ているとよく言われました。

私はサッカーの三浦知良を初めて見た時、川口に似てると思いました。

モテたでしょうけどあまり浮ついた噂は無かったです。

大野豊vs川口和久。平成のイケメン論争は今も続いている・・・

 

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おしまい
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