山田和利 (やまだかずとし)
1965年生まれ。内野手。右投げ右打ち。
1983年ドラフト4位で中日入団。東邦高校→中日→広島→中日
プロ通算366試合、865打数227安打22本塁打、打率.262
安打数も多いが、四球数と犠打数も多い。通算打席数は1000打席を超えています。山田ってそんなに打ってたっけ?すげえな。
山田の守備位置
昨日は月曜日でカープの試合はありませんでした。
んでたまたま山田和利の息子が出てるバラエティ番組を見たんですよ。
山田の息子は山田裕貴。34歳。有名な俳優です。
山田裕貴のお父さんがプロ野球選手だと聞いてざわつくスタジオ。私に言わせりゃ山田の息子がテレビに出ていることの方に驚く。
「元カープなら徳井は詳しいだろ」
と上田晋也が徳井義実に話を振るが、現在50歳の徳井は
「山田選手ねえ… ええ、よく覚えてますよ」
と目が泳ぐ。
本当は徳井も山田和利をよく覚えてるんだと思いますが、バラエティ番組的にはここで通算200安打の山田和利を詳しく解説するべきではない。徳井はワザと息子の前でボケたのだ。
上田「ねえ徳井さん、山田選手は内野手だったんですか、外野手だったんですか?」
徳井「え、ええ。内野手であったような外野手だったような…そう。山田選手は内野とか外野とか、そういった括りで測れないような、そんな選手でした」
上田「どういうことですか? 内野手でも外野手でもなかったと?」
徳井「そうですね。内野と外野の中間を守っていたというか…」
息子「そうです、そうです。父は内野と外野の中間でした。」
面白いやり取りでした。
山田和利の本来のポジションはサードでしたが、カープには江藤、中日は宇野や仁村がいたため、山田はセカンドや外野も守ることが多かった。
番組の中で「山田選手は二ケタ本塁打したことがある」と紹介され、
「ハッハッハ。そんなバカなw」
と思って調べてみたらマジでした。1995年に12本塁打してました。打率.270。
背番号とプレースタイル
案外スゴイ山田和利。
山田は音・山田⇔長嶋清幸のトレードでカープに来ました。
この時、長嶋清幸がつけていた背番号0は高信二に。
高の付けていた30番が音重鎮。
山田の背番号は25番に決まりました。新井貴浩の前の前の25番で、木下富雄の次の次の25番が山田でした。
山田は12本塁打したように小力のある内野手でした。
ドアスイング気味でしたが、右にもまあまあヒットを打てた。
私は足の速い緒方孝市をスタメンで使いたかったのですが、緒方は空振りが多く、足がメチャクチャ速かったため、切り札として温存されることが多かった。
そこでセカンドスタメンで出てたのが小力のある山田でした。守備も堅実で肩も強かったです。
山田の息子
そんな山田和利が1ヶ月前、癌で亡くなりました。60歳でした。
山田の息子は昨日の番組でよく笑い、よく頑張っていました。
私はそれでいいと思いますし、私が父でも元気に働けと願うでしょう。
山田の息子の高校時代の同級生が大勢スタジオに現れて、
「山田は昔からアホでいいヤツだった」
と口を揃えて言いました。
うん。番組見てたらすごい伝わってきました。
私はけっこう映画も好きで、邦画もたくさん見ますが、山田裕貴のことはマジで全然知らないんですよ。
私が好きな俳優は横浜流星とか北村匠海とか「主人公タイプ」ばっかりなんですよね。
山田裕貴は田中邦衛や西田敏行のような「オールラウンド脇役タイプ」になるのかもしれない。お父ちゃんもユーティリティータイプだったからね。
高倉健とか木村拓哉って一つの役しかできないと思うんですよ。彼らは主役以外できない。四番しか打てない。
しかし山田裕貴はいろんな役ができるんじゃないかな。んでモーガン=フリーマンのように60歳過ぎて主役をやってアカデミー賞取ったりとかさ。
夕べ、私は山田の息子を初めてじっくり見ましたよ。番組はすごく面白かったし、山田裕貴はめっちゃ好青年でした。
山田和利が亡くなった時、山田裕貴は「父は4年間、闘病生活をしていた」と告白したそうです。
山田和利はカープに2021年まで所属していました。亡くなったのは4年後の2025年でした。
山田は癌のせいでカープを退団したのでしょう。
家族も辛かったでしょうねえ。
私は山田裕貴を応援します。めっちゃいいヤツだったから。