18白武佳久[広島東洋カープOB]

白武佳久(しらたけよしひさ)

1960年生まれ。投手。右投げ右打ち。

1982年ドラフト2位でカープ入団。長崎県立佐世保工業高→日体大。背番号18

通算282試合39勝39敗13S、ERA3.89。

もくじ
■アマチュア時代は大物だった
■投手王国の中の「金石白武」
■奪三振能力が高い
■世紀のトレード
■スカウト部長に就任


 

アマチュア時代は大物だった

アマチュア時代の白武は大物でした。高校時代に甲子園出場。

日体大に進学すると、当時最強の東海大学を破って3連覇を果たします。

東海大学の4年生には原辰徳と津末英明がいましたが、2年生エースの白武が圧倒。神宮大会も優勝。大学日本一に輝く。

3年生時にはリーグMVPや大学全日本にも選ばれました。本格派のオーバースローでした。

 

スター選手の白武ですが、大学時代は寮の食堂でアルバイトをしていたそうです。

当時、白武を担当していた苑田聡彦スカウトは

「親に迷惑をかけず自立しようと思っていたようだ。こういう人は少々苦労してもプロでやっていけるだろう」

と高評価したらしいです。

昔からカープのスカウト戦術は変わっていないのです。笑 ソース:アスリートマガジン

 

1982年、カープがドラフト2位で白武を指名。背番号18。

「なんで1位じゃないんだろ?」と思って調べてみると、この年は荒木大輔、畠山準の甲子園のスター選手や、新しい「法政大三羽ガラス」の田中富生、西田真二、木戸克彦がいました。

 

投手王国の中の「金石白武」

白武(22歳)のプロ1年目は1983年。

当時のカープ先発ローテションは北別府(26歳)山根(28歳)川口(24歳)津田(23歳)の4人。

北別府12勝、山根10勝、川口15勝、津田9勝。ストッパーは大野豊(28歳)

いわゆる投手王国が始まった時代でした。

ルーキー白武もリリーフに先発にと活躍しましたが、リリーフにも山本和男や古沢憲司がいて隙のない投手陣でした。

 

1984年には小林誠二がカープに復帰してストッパーに回り、大野豊が先発転向。

これでカープ伝説の三本柱「北別府・大野・川口」が完成。山根はシーズン16勝で日本シリーズも1人で3勝。

アセる白武。2年目はわずか2試合の登板に終わる。

しかし84年のオフに津田が血行障害の手術を受けチャンス到来。

1985年、白武のライバルは金石昭人、川端順ら。しかし先発4番手に躍り出たのは彗星・高木宣宏(21歳)でした。

高木はシーズン9勝。オールスターにも出場。

川端はリリーフメインで11勝。新人王。

白武は3年目も10試合の登板に終わった。

 

1986年以降も「谷間の投手」と言われることが多く、申し訳ありませんが私も金石と白武を一まとめに扱って

「金石と白武の試合は厳しいなあ」

と考えておりました。三本柱が偉大すぎたのです。

 

奪三振能力が高い

そんな白武ですがやはり潜在能力は高く、年に1~2度「狂い咲き」のようなスゴいピッチングも披露しました。

私、白武の「14奪三振完投」を2回くらい見てます。間違いありません。2回はあります。覚えてます。15個以上は記憶にない。

川口と紀藤真琴は16個や17個を何度もやってます。

リリーフでは清川も奪三振マシーンでしたし、大野や津田は言うに及ばず。

実は白武も奪三振能力だけなら・・・・、この面々と遜色なかったのであります。笑

カープの背番号18は佐々岡→マエケン→森下と来てすっかりエースナンバーですが、佐々岡の前の18番は白武でした。

 

勝てない理由はコントロールが悪かったから。

川口の場合は全然あさっての方向にボールが外れていましたが、白武にはそれほど荒れ球のイメージがありません。狙った場所から僅かに外れるというイメージ。もしかすると白武は当時の言葉で言う「ノミの心臓」だったのかもしれません。

低めに決まったストレートは速かったです。

津田が伸びるストレートなら白武は角度があるという感じ。空振りを取るのはスライダーやフォークで、低めストレートは打者の手が出ない感じの見逃し三振が多かったです。

あと白武で忘れてはならないエピソードは「カウント2-4からのホームラン」です。

1987年、後楽園球場で球審と吉村禎章がカウントを間違えており、本当ならフォアボールなのにカウントツースリーでプレーをかけて、その次のボールを吉村が白武からホームランしました。第30号。天才吉村ですが実は30本以上のホームランを打ったのはこの年だけでした。

 

世紀のトレード

1989年のオフに白武はロッテにトレードされます。

そうあの「高橋慶彦・白武佳久・杉本征使↔高沢秀昭・水上善雄」の一員でした。

当時はチームリーダーの高橋慶彦と1年前の首位打者高沢がトレードの目玉でしたが、このトレードで一番活躍したのは白武でした。

白武はロッテでも潜在能力を期待されて背番号20。通算100勝をあげた仁科の次の20番でした。

30歳となった1990年、白武はプロ初の二ケタ勝利をマーク。リリーフ中心に10勝4敗3セーブ。ERA3.33

慶彦と水上は1年限りで再びトレードされて、高沢も91年シーズン途中ロッテに復帰。杉本は一軍登板ナシ。

白武だけがロッテで6年間シブく活躍しました。

 

そして1995年オフ、ロッテを自由契約となりカープ復帰。背番号43。

うろ覚えですが晩年の白武はちょっとサイドハンド気味だったような記憶があります。

1996年は26試合に登板。ERA3.64。この年限りで引退。

 

スカウト部長に就任

引退後は自身をスカウトしてくれた苑田さんに誘われカープのスカウトに就任。

地元の中国四国エリアを担当し、過去には中田廉、塹江敦哉、藤井皓哉、アドゥワ誠、中村奨成らを獲得しました。

2014年度から苑田さんの跡を継いでスカウト部長に就任。

2016年から2018年のカープ三連覇は白武スカウトの連れてきた選手たちが大活躍した結果でした。

2020年、白武部長は60歳になられました。

もうちょっとだけスカウト部長を続けてほしいです。

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おしまい
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