ランディ=ジョンソン
1956年生まれ。内野手。右投げ右打ち。
1987~88年カープ在籍。背番号42→5
浩二と衣笠が引退したシーズンを救ったユーティリティープレイヤー。
もくじ
■ランスとともに来日
■開幕戦はショートでデビュー
■プレースタイルと風貌
■矢野に強い
■名前で損している
■引退後
■ランスとともに来日
1986年のカープは外国人抜きでリーグ優勝。
オフに山本浩二が引退。
カープはポスト浩二の新外国人としてリチャード=ランス外野手を獲得。
んで同時に衣笠のバックアッパーとして獲得したのがランディ=ジョンソン内野手。
1985年も外国人抜きでしたから、3年ぶりの助っ人外国人だったのです。ランスとジョンソン。
■開幕戦はショートでデビュー
1987年、40歳の衣笠のバックアッパーとしてサードをメインに守るはずが、開幕直前にかの有名な「高橋慶彦ボイコット事件」が勃発。
開幕2日前に開催された「激励の夕べ」を慶彦(30歳)がボイコット。
若きオーナー代行、松田元(36歳)が激怒。慶彦2週間の謹慎処分。
この騒動の穴を埋めたのが、静かなる男ランディ=ジョンソン。
開幕から12試合、2番ショートで出場。打率.333、2本塁打←シブい
ちなみに4番レフト・ランスは12試合で7本塁打。春先のランスはポジポジでした。笑
■プレースタイルと風貌
足は遅い。守備範囲も狭い。腰も高くて片手で捕球。
今思うとメジャー流の内野守備。しかし当時のNPBは腰を落として両手で獲ると教わったのでG篠塚もL辻もみんな腰が低かった。
ジョンソンもエラーは少なく、グラブハンドリングが柔らかい名手でしたが、腰高な印象でした。
体も内野手にしてはちょっとデブ。スミマセン、正直で。
顔は1年目がちょび髭で、2年目には毛むくじゃら。笑
1年目がポンセなら、2年目はランスでした。
■矢野に強い
ヤクルトにいた矢野和哉投手。背番号12番。スリークオーターの左腕。
苦々しく覚えているオールドファンも多いのではないでしょうか。笑
彼、めちゃくちゃカープキラーで有名でした。
どなたか矢野投手の通算成績調べてくれませんかねぇ…笑
通算14勝しかしていない投手ですが、多分カープ戦で10勝くらいしてんじゃないか?←被害妄想
その矢野に強かったのがジョンソン。
ジョンソンのおかげでちょっぴり矢野にやり返せた記憶があります。
■名前で損している
ランディ=ジョンソンと言えば言わずと知れたMLBの300勝投手。
1990年代にシアトル=マリナーズの変則左腕が100mphを投げると日本で話題になった時、カープファンは「へえ、ジョンソンと同じ名前なんだ・・・」と思ったはず。
今じゃ逆ですけどね。
インターネットで「ランディ=ジョンソン」と検索するとパワースライダーのあの人ばかり出てくるし、「広島_ジョンソン」で検索すれば沢村賞のクリス=ジョンソンが出てきます。
名前で損しているカープのランディ=ジョンソンなのでした。
しかし浩二と衣笠が抜けた2シーズンを渋く穴埋めした名手でしたよ。
■引退後
1年目の1987年は6回から衣笠に代わりサードに入って打率.300超の活躍。
しかしこの年、投手から野手に転向した片岡光宏が神懸った代打HRを連発し、シーズン後半はその役目を片岡に奪われる。
1988年の開幕戦は衣笠の抜けたサードをジョンソンが守ったものの、今度は6月にジョンソンがケガ。
シーズン途中でカープから解雇されてしまい、そのまま引退。
アメリカに戻りスカウトを経て、なんとオークランド=アスレチックスのビリー=ビーンGM補佐を務めました。ソリアーノレベルの大出世でしょ、これ。
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