アンディ=シーツ
1971年生まれ。内野手。右投げ右打ち。
2003~2004年カープ、2005~2007年は阪神で活躍。背番号4
カープでは主に4番ショートで活躍。阪神では3番ファーストが主戦場でした。
もくじ
■守備の名手
■打撃も良かった
■意外と短気
■当時のカープ
■鳥谷や金本との関係
■守備の名手
2001年カープ4位。高卒3年目の東出輝裕(20歳)が全140試合でショートを守る。ロペスとディアスが30発。
2002年カープは5位。東出(21歳)が故障し、ショートはキムタク(29歳)とノムケン(36歳)が務める。
そしてこのオフ、カープはポスト東出としてシーツ(31歳)を獲得。東出はちょっぴりグレる。
シーツは本当に守備が巧かった。間違いなくショートの名手。
グラブのハンドリングとハーフバウンドの捕球が凄かった。
記録上は失策数が多いが市民球場なので仕方がない。悪送球はほとんどないはず。
守備範囲は広くないが、手足の長さでそれをカバーしていた。
■打撃も良かった
シーツ1年目の2003年。年俸7000万円。期待値は.270、8本くらいだった。開幕戦は2番ショート。
しかしシーツは打ちまくり、前年28本塁打の新井貴浩(26歳)は四番の重圧に負けて絶不調。
打率.313、25本、75打点で四番を堂々と張ったシーツ。しかしGG賞は宮本慎也。ベストナインは二岡智宏。
2年目の2004年もシーツ(32歳)は好調。年俸は倍増し1億4300万円。
新外国人のラロッカ(31歳、2700万円)と二遊間を組む。
嶋重宣(28歳)が.337、32本で首位打者獲得。ラロッカ40発。
なのにチームはやっぱり5位。なんでやねん・・・
チームの二遊間を外国人2人が守るなんて前代未聞じゃないでしょうか。
シーツはオープンスタンから踏み込んで打ちに行くスタイル。
右方向の長打が多かった。右への本塁打や二塁打が多かった。
反面四球が少なく三振も多い。阪神時代も含め5年連続100三振。
積極的と言えば積極的でした。
■意外と短気
クールな表情とよく笑う性格ですが、試合中は意外にカッカすることが多かった。
三振した時にバットやヘルメットを放り投げたりすることもあったし、死球で投手をにらむことも多かった。
阪神時代に東京ドームでG李スンヨプと交錯し、原監督から「オマエ、わざとやっただろ!」と直接抗議される。監督が相手チームの選手に直に抗議するとはたいへん珍しいシーンです。
カープで2年終えて、年俸1億4300万円から2億円以上の契約を要求するも鈴木本部長は固辞。
交渉決裂でシーツは退団。ソフトバンクと阪神の争奪戦の末、阪神に入団。2年4億+出来高でした。妥当な金額です。
■当時のカープ
育成を諦め、補強に走ったスタイルに私はちょっとイラつきました。
シーツ、ラロッカに罪はありませんよ。
しかし若手(東出、福地、岡上)を起用せず外国人を二遊間に持ってきたことに反対でした。
1人ならまだわかるが2人も。
後のフィリップス&マクレーンも反対でした。
2003年4月に上土井本部長から鈴木清明本部長に交代しますが、鈴木さんも当時はかなり「ケチ」でした。
これは本部長の個性ではなく、球団の経営状態だからやむを得ないと思っています。←真相は知らん
93年から始まったドラフト逆指名、市民球場が閑古鳥な中で1998年から2012年まで15年連続Bクラス。
しかし補強ではやっぱり勝てないんだよなあ・・・
結局カープを強くしたのは前田健太であり、キクマルであり、今村中崎なんですよね。
鳥谷の連続試合出場はルーキーイヤー2004年9月から2018年5月まで1939試合。
そしてこれより有名なのがショートでの連続フルイニング出場記録。
2012年から2016年までの667試合が鳥谷の最長記録であるが、実は鳥谷は2005年5月から2007年9月にも398試合連続フルイニング出場を続けていたことがあります。
しかし横浜戦の死球で骨折し、2007年の9月30日でフルイニング出場記録は途絶えます。
鳥谷骨折後にショートを守ったのが田中秀太2試合、シーツ1試合。
プロ野球珍プレー史に残る「下柳剛の田中秀太激怒事件」はこの時のプレー。
2007年10月1日横浜スタジアム。あの珍プレーは鳥谷のフルイニング記録が止まった翌日だったのです。
そして秀太は自信を失い(←未確認)、その尻拭いでショートに入ったのがシーツでありました。
今岡がケガした時にはサードも守りました。シーツ。
やっぱり守備の名手でした。
シーツは2007年に成績を落として引退するのですが、現役最後に守ったポジションは鳥谷に替わる3番ショートなのでありました。
2006年も活躍しチームは2位でした。岡田彰布監督時代。
2008年に阪神に移籍した新井貴浩がシーツと入れ替わりでファーストを守るのでした。
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