カープの新しい一軍投手コーチに元ヤクルトの石井弘寿コーチが就任すると報じられました。※サンスポ
カープには珍しい外部招聘で、これはどういう意図なのか少し考えてみました。
新井と弘寿
石井弘寿と言えば2000年代にヤクルトで活躍したセットアッパー。
イケメンの五十嵐良太ととともに155kmを叩き出し、「ロケットボーイズ」の相性で7~8回を担当しました。石井が7回、五十嵐が8回を投げるパターンが多かった。
んじゃロケットボーイズを抑えて、9回を投げてたヤクルトの投手は誰だろう?
135kmの高津臣吾でした。キャッチャーは古田。
高津がメジャーに移籍すると、五十嵐と石井が9回を投げてました。そのころのカープの二遊間はラロッカとシーツでした。2004年頃の話です。
石井弘寿は2006年の第1回WBC優勝メンバーの1人でした。そこで新井貴浩とチームメイト。おそらくそこが最初の接点なのか。
石井弘寿は千葉県出身で東京学館高校出身。カープとは何の縁もありません。東京学館時代は次期DeNA監督の相川亮二とバッテリーを組んでいたらしい。
現役引退後、すぐにヤクルトの二軍コーチとなり、以来12年間ユニフォームを着っぱなしだそうだ。
今年も一軍の投手コーチだったそうだが、石井なんかいたっけ? 伊藤智仁のイメージだったけど。
石井弘寿の「ペース配分」
そんな石井弘寿は新井貴浩の1個下の47歳。
週刊誌レベルの記事によると、今年5月に盟友・高津監督と投手の起用法について揉めたらしい。
高津は田口を連投させたがったが、石井はリリーフ投手を酷使したくなかったそうだ。
この話を聞いて真っ先に思い浮かんだのが、先だっての「栗林良吏、30歳で先発転向」の話です。
通算138セーブの栗林の転向は、やはり栗林本人のためだったのでしょう。
名球会入りが目標なら、栗林は来年もリリーフで良かった。
しかし5年も抑えをやれば誰だって疲れて壊れる。
先発ならば中6日だし、新井はおそらく来季は「1年間ずっと中6日」をやらない。今年の床田と森下の墜落を目の前で見たからです。
思えば新井は監督就任以来、一貫として「選手の体調管理」について熱く語っていた。
就任直後の前田智徳との対談でも、
「僕たちの時代の夏と現代の夏は全く違う」
と言っていた。
「じゃあ去年と今年の失速は何だよ!」
と言われたら、私も新井も何も言い返せないが、新井はとにかく選手コンディションに大いに気を配っている。そこらへんで石井弘寿と感性が合ったのではないだろうか。
私は高橋建と横山竜士はカープをクビになったのではなく、有能だからよそから引っこ抜かれたんだと思ってます。あるいは本人の体調が悪いとか、少し休みたいとか。
だから投手コーチ2人はどこから連れてくるのかなと思っていたら、まさかのヤクルトでした。
ヤクルトの投手がヘボいのはコーチの手腕ではなく、ドラフト戦略にあると思ってますよ。
オマケの石井弘寿
ここからは、私が石井弘寿について覚えてることをダラダラ書きます。
東京学館高校はあまり聞かない学校ですが、石井弘寿が入団する5年前に、ヤクルトが東京学館浦安高校の石井一久投手をドラフト1位指名したことで、野球ファンの間に名前が一気に知れ渡りました。
石井一久は1995年に13勝をあげ、チームは優勝&日本一。
テリー=ブロスがイチローをボコボコにぶった切ったあの日本シリーズです。その年の第2戦に若き石井一久が先発して、オリックスに勝利しています。
そのタイミングでドラフト4位指名されたのが、東京学館高校の石井弘寿でした。18歳。
ストレートが速いとは聞いてましたが、どうせノーコンで大したことないだろうと思っていたら、突然コントロールが良くなって、勝ちパターンで出てきました。
五十嵐良太がもう一人増えたみたいで、イヤでしたねえ。
ロケットボーイズは妻夫木聡と玉木宏のウォーターボーイズをもじったものでしたが、私は石井弘寿にはちょっと荷が重いなと思ってました。五十嵐は全然負けてなかったけどね。
顔の話ですよ。石井のタマは五十嵐に負けてませんでした。もの凄かったですよ。
そんな石井も若い頃は打者転向を打診されるなど、ケガ続きだったらしい。
石井は30過ぎて再びケガに泣かされました。同じ頃五十嵐もケガしたため、ヤクルトが補強したのがKBOの林昌勇でした。
イムも韓国でケガと戦ってたのですがヤクルトで復活。2009年のWBCでは韓国の抑えを務めました。
石井弘寿の黄金時代は誰でも知ってますが、実はその前後で長い間故障に苦しんだ経験を持っています。いいコーチになると思います。