中日・中尾孝義のハナシ

1980年にドラフト1位で中日ドラゴンズに入団した中尾孝義選手をご存じだろうか?

ポジションは捕手。

若い方のために、パワプロ的評価をメモしておくと

DCBACだろうか。「ミート、パワー、走力、肩力、守備力」の順。ただし「ケガしやすい」が付きます。パワーはBでもいいよ。

ちなみに23歳時点の坂倉将吾への評価はCEBCDである。ただし坂倉には「キャッチャー○」が付きます。中尾にもキャッチャー○を付けてもいいよ。


 

小松辰雄の相棒

1981年、中尾はプロデビュー。

2年連続日本一を飾った広島カープに敢然と立ち向かう。

22歳の小松辰雄が先発に回り、中尾孝義とのコンビで広島や巨人をキリキリ舞いさせました。

この頃からナゴヤ球場の左中間に日本で初めてスピードガンが設置されました。小松辰雄の球速をファンに知らしめるためです。

小学生の私の見た目には、小松のほうが江川より速かったです。村田兆治も速かったがスピードガンで152~153kmを連発できるのは小松だけでした。テレビのスピードガンには初速と終速が同時に表示され、その差が小さいほど打者には速く見えると話題でした。初めて聞く概念でした。

 

MVPとオールスター

その小松をリードしたのが新人の中尾孝義。

1982年はエース小松、抑え牛島でリーグ優勝。2年目の中尾はセリーグMVPを獲得。打率.282、本塁打18、盗塁阻止率.429。ついでに言うと中尾本人の盗塁数も7個でした。私のイメージでは「意外に少ないな」です。俊足強肩の中尾ですから20盗塁くらいしてそうなイメージでした。令和で言うと中村奨成っぽい捕手でした。

中尾は強気の内角攻めに定評があり、こちらは會澤翼っぽいイメージです。笑

1984年のオールスターゲームで中尾は江川卓の8者連続奪三振を引き出しました。

4回表に江川が登板すると中尾はまっすぐ中心に三振を取りまくる。

5回表も三者連続三振で江川は6者連続奪三振。ここで一気に球場がヒートアップ。

この年の江川は不調で、後楽園で行われた第1戦には西本聖が先発し、江川は登板していませんでした。

江川はナゴヤ球場の第3戦に2番手として登板。2イニングを投げる予定で6者連続三振。

江川本人は「ボク、もういいですよw」と笑ったが、

「アホか!次の回も行け!」

とどやしつけたのが当時のミスタープロ野球山本浩二衣笠祥雄だったそうです。

 

とにかく江川と中尾はナゴヤ球場の6回表に臨みました。

8番の伊東勤はカーブに三振。

9番代打クルーズも三球三振。144km→146km→147km。江川のストレートもヒートアップ。

ここで1番セカンド大石大二郎。完全に目がビビってました。笑

まっすぐまっすぐでカウントツーナッシング。中尾のサインはストレート。江川が首を振って投げた球はカーブでした。超有名なセカンドゴロ。大石大二郎、満面の笑み。江川卓は苦笑い。中尾の顔は覚えてません。

 

捕手・中尾

江川の話が長くなりましたが、本題は中尾孝義の話。

1988年、中尾はケガで外野にコンバートされますが、捕手で使いたい巨人が西本聖との交換トレードで中尾を獲得。

平成元年、中尾は再び捕手でベストナイン獲得。ノミの心臓と呼ばれていた斎藤雅樹をリードし、11試合連続完投勝利と沢村賞へ導きました。

その後、大久保博元との交換トレードで西武に移籍。引退後は西武や阪神でバッテリーコーチを務めました。

 

中日の星野仙一は俊足強打の中尾を外野に回して、20歳の中村武志を正捕手に抜擢しました。

巨人の藤田元司は中尾を捕手に戻して、斎藤雅樹のノミの心臓を克服させました。

西武の根本陸夫は捕手・大久保博元に出場機会を与えるため、巨人にトレード。中尾は西武で伊東勤の控えを2年務め引退。

 

昭和50年代、22歳の小松辰雄と25歳の中尾のコンビはスゴかった。令和で言うと山本由伸か森下暢仁みたいな威圧感がありました。私は江川より小松の方が好きでした。

昭和63年、中尾とバッテリーを組んだ経験もある星野仙一監督は32歳の中尾孝義をライトにコンバートしました。当時の私も「外野の方が中尾の足と打撃を活かせるだろう」と感じていました。

しかし平成元年に中尾は巨人で再び捕手として輝きました。これはかなり意外でした。俊足、強肩、パワーを備えた中尾が外野を守ったのは1988年だけです。6番ライトが多かった。

中尾は捕手にもこだわりがあったのでしょう。

当時のプロ野球界に足の速い捕手は皆無でした。牛島和彦の相棒は香川伸行でしたし、里中智の相棒は山田太郎でした。

カープから中日へ行った水沼四郎も俊足でしたが、中尾の方が速かったんじゃないかなぁ。よく覚えてません。盗塁数は水沼が多いですけど、中尾もかなり速かったです。私は最初センターの選手かと思ったくらいです。

 

カープの捕手事情

ここでカープの捕手事情です。

カープの捕手陣もパワプロ的に評価しますと、

坂倉がCEBCD。キャッチャー○

會澤がDDEEB。チャンス○

石原がEDEBB。ムード○

奨成がCCAAE。走塁○

A~Eはミート、パワー、走力、肩力、守備力の順です。

中村奨成のミート力は坂倉と並んでカープ1位です。まあ坂倉がちょっと上ぐらい。

坂倉の足もかなり速いです。ベーランも上手い。

「キャッチャー○」が付くのは坂倉だけ。會澤には付かないし、甲斐拓也にも付かない。セリーグで「キャッチャー○」が付くのは坂倉と梅野隆太郎だけですね、私の評価は。

 

私が坂倉を捕手で使いたい最大の理由が「キャッチャー○」だから。

パワプロをご存じない方のために説明すると、「キャッチャー○」は先発投手の能力がアップする能力です。坂倉本人の能力は変わりません。坂倉と組んでいる先発投手のコントロールが良くなったり、スタミナが増えたりするのです。

第2の理由は坂倉が打てるからで、第3の理由は走れるからです。

 

佐々岡と河田が石原貴規を使う理由は私が危惧した通り、

石原貴規が打てるからです。守れるからではありません。

昨日の試合で、対田口の対戦成績4割の長野久義を先発させたことから私は確信しました。

「カープはやはりヒットの数を競っている」と。

 

どうぞご自由に。チーム打率がアップすれば朝山にはなんかインセンティブがあるのでしょう。

私はチームの勝率にしか興味ありません。

昨日の試合の2回裏、ヒット3本で満塁。9番と1番がボール球を振って2者連続三振。

これは私の知っている野球という競技ではありません。ただのヒット打ち競争。

2回裏でチャンネル変えました。

 

これで石原貴規の先発試合は2勝7敗2分です。勝率.222。しかし石原に罪はありません。一軍経験が足りないだけです。

ベイスターズ戦でもそうでしたが、相手に6点リードされてもカープは捕手石原を下げません。

これもベンチが石原を打てる捕手と見ている証拠であります。

上記のパワプロの通り、私は石原の打力を最も低く評価していて、石原の守備力を最も高く評価しています。

5点リードされた時、逆転するためには捕手奨成か捕手坂倉の攻撃的オーダーを組むべきです。1塁はクロン。百歩譲って1塁松山でも良い。いややっぱ松山はダメ。笑

試合を俯瞰できる坂倉を1塁に回して、実質ルーキーの石原を捕手起用するオーダーは愚かです。

例えるなら強気の中尾孝義を外野に回し、捕手に34歳の大石友好を起用するようなものです。

大石友好はキャッチングが超上手い守備型捕手。ただし打撃はピッチャー並み。近藤真一のノーヒットノーランの時の捕手。1988年の抑え捕手。

外野が中尾で捕手が21歳の中村武志なら、これはロマンがあります。中尾はトレード志願しちゃいましたけどね。笑

 

アツのいないカープが捕手奨成、1塁坂倉で戦うならまだワカル。

しかし捕手石原は一番中途半端。育ってきた坂倉をまたコンバートしてクロンがパー。

石原にキャッチャー○が付くのは2年後です。あいつなら1年後かもしらんが、とにかく今年は勝てません。


おしまい
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ありがとうございました。

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