鈴木誠也年表vol.1 生い立ち~神ってるまで

広島カープの鈴木誠也の成長曲線年表を記録します。生い立ちから神ってる2016年まで。

 

生い立ち

1994年8月18日誕生。

2002年、誠也7歳。東京都の荒川リトルで野球を始める。  

この時期が人生で一番のモテ期だったとか。※情報ソース:創建ホーム様の公式チャンネル

2006年、誠也11歳。テレビ東京「アド街ック天国」で鈴木家が紹介される。

2007年、誠也12歳。中学生となり荒川シニアに所属。誠也は130kmの豪球投手として名を馳せる。全国の強豪チームから荒川シニアに練習試合の申し込みが殺到した。

2009年、誠也14歳。数々の有名高校からスカウトが訪れるようになる。

2010年、誠也15歳。二松学舎大付属高校に進学。1年の秋からエースナンバー背番号1を背負う。

恩師である市原勝人監督は鈴木誠也に「常に全力疾走をしろ」と教え続けた。カープの苑田スカウトは誠也の全力疾走を高く評価した。プロ入り後も誠也は変わることなく全力疾走を続けている

誠也の高校3年間、甲子園出場の夢は叶わなかった。最速148kmを記録するエースだったが、プロのスカウトはみな誠也を野手として評価していた。長打力と50m5.8秒の俊足が高く評価された。

2012年10月25日、誠也18歳。ドラフト会議で広島東洋カープから2位指名を受ける。私は非常に喜ぶ。

カープは1位で平安高校の高橋大樹外野手を指名していたので、カープが2位でまた高校生野手を指名するかなあ?と私はヤキモキしていた。

「鈴木は3位では獲れないだろうなあ」「でもピッチャーも欲しいしなあ。則本昂大もイイよなあ」とか考えていたらカープが2位で誠也を指名。これは嬉しかった。

2012年12月13日、入団会見。鈴木誠也は目標とする選手を聞かれて「野村監督です」と答えた。隣に座っていた野村謙二郎のこと。

誠也「僕が目標とするトリプルスリーを達成した選手なので」

野村「あれ何年前だっけ?きみは見たことないでしょう。笑」

ノムケンのトリプルスリーは1995年。誠也1歳でした。  

 

2013年~プロ1年目

誠也18歳。カープは誠也をショートとして鍛える方針を打ち出す。【二軍成績】93試合 335打数94安打 .281、2本、38点、10盗塁

1年目の誠也はウエスタンリーグでサードを60試合、ショートを30試合ほど守る。2013年7月フレッシュオールスターに初出場。不慣れなライトで強肩を披露しました。

2013年9月14日、マツダスタジアムでプロ初出場。代打でセカンドゴロ。初対戦投手はG澤村拓一。

9月15日も代打で登場。プロ2打席目の相手はなんとG一岡竜司(笑)。結果は三振。

9月16日も代打で登場。プロ初ヒットはレフト前タイムリー。投手はG今村。初めてのヒーローインタビューで既に「最高でーす」を言っていた。インタビュー終了後は菊池涼介(23歳)にシャワーをぶっかけられた19歳の誠也。既にフラグを立てていました。笑

9月25日、カープがナゴヤドームで球団史上初のクライマックスシリーズ進出を決める。誠也1番スタメン。エルドレッド決勝2ラン。勝ち投手バリントン。Aクラス入りは16年ぶりでした。涙

9月26日、2年目の菊池涼介が二塁手の補殺記録を塗り替える。

10月3日、マツダスタジアムで前田智徳の引退試合。前田が代打で登場し、その後初めてマツダスタジアムで守備についたあの試合。あの試合のスタメンライトは鈴木誠也でした。後に誠也は前田の背番号を引き継ぐこととなる。

10月18日、カープCS敗退。ルーキー誠也に出番はなし。

  

2014年~2年目

誠也19歳。野村謙二郎監督4年目。

【二軍成績】50試合 183打数52安打 .284、4本、19点、8盗塁

一軍成績】36試合 64打数22安打 .344、1本、7打点、0盗塁

2014年7月2年連続フレッシュオールスター出場。2番ショート鈴木誠也。

春先は一軍で3試合ほどサードを守ったが、夏以降は外野手として一軍に定着した。

9月25日、神宮球場で石川雅規から先頭打者でプロ初本塁打。この試合は5打数4安打で初の猛打賞も記録した。ルーキー大瀬良大地が10勝目。

10月1日、マツダスタジアムで初めての誠也バズーカ炸裂。Tマートンのライト前ヒットを捕球すると三塁・梵へノーバウンド返球。このワンプレーだけでプロ野球ニュースのオフ企画「プロ100人が選ぶ100分の1位・強肩部門」で2票を獲得した。1票は梵英心。もう1票は不明。

10月12日、阪神とのクライマックスシリーズ1stステージ。0勝1敗で迎えた第2戦。誠也は7番ライトで初出場を果たす。相手先発は能見篤史。

0対0で迎えた7回表1死満塁で2年目の鈴木誠也(20歳)。野村監督は代打を送らない。私も燃えた。いけいけ誠也!しかし結果はサードゴロ。タイミングは合っていたが能見が上でした。結局この試合12回表で試合終了。0対0x。珍しい「X引き分け試合」となった。

10月15日、野村監督退任。緒方孝市新監督が誕生。

10月16日、緒方監督は秋季キャンプの指定強化選手に誠也の名をあげ「ショートを守らせたい」と発言。

10月18日、再び「アド街ック天国」であの時の小学生がプロ野球選手になったと紹介される。薬丸裕英さんが 「ウソ―!!」 とたいへん驚いた。

10月22日、ドラフト会議でカープは野間峻祥外野手を1位指名。

11月7日~16日、誠也は台湾で開催されたU21ワールドカップで日本代表に選出される。5割近い打率を残し首位打者とベストナインを獲得。

  

2015年~3年目

誠也20歳。2月1日にキャンプイン。誠也は内野手登録のままだがショートの練習は一切行わず。笑

キャンプ中のインタビューで誠也は「絶対にレギュラーを獲る。去年のCSで野村監督は最後まで僕を使ってくれた。今年やらないと野村前監督の顔をつぶすことになる」「野間さんは関係ありません。自分のことをやるだけ。今年レギュラーをつかめなかったら終わり」などと覚悟を語った。

2015年3月16日、ついに外野手として公示される。笑

3月27日、1番ライトで開幕スタメン。

2015シーズンの誠也は97試合に出場し、先発出場も51試合。3番も7試合。

【一軍成績】97試合 211打数58安打 打率.275、5本、25打点、6盗塁(7盗塁死)

レギュラー獲得はならなかったが一軍定着を果たした。オフの「100分の1」でも堂々の強肩部門第1位を初受賞。以後2017年まで3年連続1位。2018年以後はなぜか強肩部門が廃止された。

  

2016年~4年目

誠也21歳。石井琢朗の紹介で、誠也は小窪哲也と共にソフトバンクの内川聖一らと合同自主トレを敢行しました。以後、誠也の打撃が飛躍的に向上します。第1回内川塾。

春のキャンプあたりから2年目の先輩、野間峻祥(23歳)のことを「おい野間」と呼び捨てるようになる。

4月26日に神宮球場で新井が2000本安打を達成。この試合で誠也は2本塁打

新井がヒーローインタビューで「誠也に今日は2本ホームラン打ってくれよと言ったらホントに打っちゃいました!」と自分の記録より嬉しそうに語った。

6月4日、カープと巨人が同率で首位に並ぶが、ここからカープが抜けだす。6日にはプロ初の5打数5安打。

 

2試合連続サヨナラHRと流行語大賞

6月17日のオリックス戦(マツダ)で誠也がサヨナラHR。翌18日も2試合連続サヨナラHR。

6月19日にも8回裏に決勝HR。3試合連続サヨナラとはなりませんでした。

1本目は4対4同点の延長12回に飛び出したサヨナラ2ラン。興奮のあまりヒーローインタビューで「最高でーす!」を連呼。これが後に定着する。笑

この日は自らバケツを持参し私の大好きな「セルフシャワー」を初披露した。

ちなみに誠也シャワーは実は誠也の考案ではない。2013年6月23日に梵英心と菊池涼介がサヨナラHRの堂林翔太にかけたのが初めてである。お立ち台の裏側に隠れるスタイルもこの時からである。その後、誠也に引き継がれた・・・というか誠也が自主的にパクったのでした。笑

 

※参考記事:誠也シャワーの歴史

2本目は3対1の9回裏に飛び出した逆転3ラン。 試合後に緒方監督の「神ってる」発言が飛び出し、この年のユーキャン流行語大賞を獲得することになる。

ヒーローインタビューではアナウンサーに何を聞かれても「最高でーす!」を連呼。この時、多くのカープファンが「アホな子ほどかわいい♡」と感じる。

この交流戦での誠也の活躍でカープは勢いに乗り、シーズンを独走。25年ぶりのリーグ優勝を果たす。MVPには101打点の新井貴浩。黒田博樹は200勝を置き土産に現役引退を発表。

シーズン後半に5番に定着した誠也は初めて規定打席に到達。

【一軍成績】129試合 打率.335、29本、95打点、16盗塁、OPS1.015、オールスターゲーム初出場、初ベストナイン、初ゴールデングラブ

日本シリーズでは大谷翔平(22歳)と対決。2打数2三振。1四球。

 

つづく...


おしまい
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ありがとうございました。

-赤辞苑