今日は松本零士大先生の話をします。
先日お亡くなりになった松本零士先生は私の人生の師であります。古葉監督と水島新司も私の師。
若い人は松本零士を知らないかもしれないが、スマホとネットが全盛の今こそぜひ松本作品をご覧になっていただきたい。
宇宙戦艦ヤマトは少年の心を躍らせる男のロマン。
そして銀河鉄道999は成長する若者の姿を描いた大河ドラマです。
一回じゃわからないよ
このブログで過去に何度もヤマトとスリーナインの話を書いてきたので、常連さんには
「またかよw」
と思われるかもしれませんが、現在51歳の私にとって松本作品は人格の基盤になっているのですよ。
家で言うと基礎。野球で言うとキャッチボール。それが私のスリーナイン。
昨日から東映アニメーションの公式サイトで「ありがとう松本零士先生」と題して、劇場版・銀河鉄道999が無料公開されています。
128分の本編を全部無料でご覧いただけます。若き野沢雅子先生も絶好調。笑
ただし視聴は期間限定です。3月6日(月)~3月13日(月)までの一週間。
この映画が公開されたのは1979年8月。
この年は野球界にとって激動の一年でございまして、私の現在の人格が形成されたのはまさにこの年でありました。当時の私は小学3年生でした。
松本零士をご存じない方がこの映画を1度観ただけでは「松本零士のコンセプト」をいまいち理解できないと思います。
銀河鉄道999は何年も続いた長編作品で、そのエッセンスを2時間の映画にギュッと詰め込んでいます。1度観ただけじゃわからないんですよ。
こないだ書いた「風の谷のナウシカ」も原作が完結したのは映画公開から10年後のことでありました。
映画999が公開されたのは1979年ですが、当時は原作も連載中ならアニメも絶賛放送中。物語はまだまだ中盤でした。
ところが松本先生は映画999で原作より先に最終回をバラしてしまったんですよ。このあたりも松本零士らしく実に先鋭的です。スポンサーに忖度しない。笑
私はアニメ999も毎週見ていましたが、実は近所の銭湯に漫画999をおいてあったので、よくそこで原作も読んでました。自宅にも単行本が何冊かあったし。
だからアニメしか見ていない人より私はスリーナインに詳しい。ヤマトとハーロックはアニメしか知らない。
ゴダイゴの999
1979年、音楽業界を賑わせていたグループ、ゴダイゴ。
モンキーマジックとかガンダーラとか。ゴダイゴもかなり先鋭的でした。
21世紀の今ではゴダイゴの曲を聴くと「古くさい」と思われるかもしれません。
特にゴダイゴの「銀河鉄道999」という曲は他の曲に比べてあまり人気はありません。
そこそこの人気と知名度があったと思うんですが、カラオケでゴダイゴ999はあまり盛り上がらない。なぜか?
英語パートが長く、歌いにくいせいもあります。
だけど私はこう思うんですよ。
ゴダイゴの神曲は星野鉄郎を見ながら聞かないと感動しないんじゃないかと。
私の言ってることは松本零士のコンセプトをご存じの方にだけ通じると思います。映画を見ただけの人にはなかなかわからないと思います。
鉄郎は機械の体と永遠の命を求めてスリーナインに乗りました。
だけど1年の旅を経て「限りある命こそ美しい」という松本コンセプトに到達します。
便利な機械と永遠の命より親からもらったこの体がいい。
シュッとしたボディより短い手足と不細工な顔の方がいい。
「俺はこっちがいいんだ!」
旅を経て、いろんな試合に出て、鉄郎は少しずつ気付くのです。
映画999のラストシーンでは崩れ落ちる「惑星メーテル」の中を鉄郎とメーテルが走って逃げます。
小学3年生の私は
「このパターンは去年も見たよ。白色彗星の中を逃げる古代と一緒じゃないか。たく」
と冷めた目で見ていました。
んで鉄郎とメーテルはスリーナイン号にたどり着く。
「なんだよ。やっぱりスリーナインは無傷じゃないか。去年も古代のコスモタイガーだけが無傷だったんだ。おかしいだろ、こんなの。小学生をナメるんじゃねえぞ」
他の都市はボロボロに崩れてるのに、スリーナインと線路だけにはなぜか弾丸が当たらない。ご都合主義です。
んで鉄郎とメーテルが無事出発。一悶着あって地球に凱旋。
「あーあ・・・これで映画もおしまいか。長かったし難しかったな。結局メーテルは敵じゃなく味方ってことでいいんだよな?」
などと考えている時に、ナレーションが流れます。
「いま、万感の思い込めて汽車が行く。さらば銀河鉄道999・・・」
観客が席を立ちかけたその瞬間、あのゴダイゴのアップテンポなイントロが流れるのです。
「え? 何だこれ?」
衝撃的でした。
去年のヤマトは悲しげなバラードで締めくくられたのですが、今年のスリーナインはアップテンポでノリノリな曲。対照的でした。
映画も良かったですが、私は曲の方に感動しました。
冒険が終わった。男は愛する女性と別れ、一人で駅に残される。
落ち込んで涙を流してバラードをかけるのが当時の主流でしたが、映画999はここでゴダイゴを持ってきた。
んで鉄郎はキッと前を向いて走り出すんですよ。アップテンポな曲をバックにして。カッコよかったですねえ。
「さあ行くんだ。古い夢は置いて行くがいい」
別れも愛の一つであって、またすぐに新しい冒険が始まります。
若者たちの未来はこれからもずっとドラマが続く。だからいつまでも終わったことをうじうじ考えるんじゃねえ。
ちなみにゴダイゴ999は映画コマーシャルに使われていませんでした。映画の最後まで我々には一切知らされてこなかった。
しかもゴダイゴにはスローテンポな曲が多かったので、ゴダイゴのハイテンポには驚かされました。そういう条件が折り重なって小学3年生の私はビックリして感動が増したのです。
怒濤の一年
最後に私がカープファンになるまでの年表を貼っておきます。
これを読めば誰だってアンチ巨人となりカープファンになります。
古い夢を置いて俺に付いてくるがいい。若き巨人ファンたちよ。
1977年。私は小学1年生。
9月、巨人の王貞治が世界新記録となる通算756号本塁打を打つ。「ぴかぴかの、一年生」で有名な小学館の雑誌「○年生」シリーズで1年生から6年生までの6冊全部の表紙が王貞治になる。大阪でも王貞治フィーバーでした。実は私もこの頃巨人の帽子をかぶっていました。
1978年。小学2年生。
4月、ぼちぼちカープ選手の名前を覚え始める。浩二、衣笠、ライトル、ギャレット、池谷。
8月、夏の甲子園で逆転のPLを見る。エースが西田真二で控えが金石昭人。元カープの山中潔と阿部慶二もいた。映画館で宇宙戦艦ヤマト2を観る。がんばれタブチ君を読み始める。
9月、高橋慶彦が初めて規定打席に到達。北別府学も初の10勝をマーク。なんだ王よりカープの方がカッコいいじゃん。
10月、日本シリーズで阪急上田監督の2時間の抗議を生で見てました。
11月、江川卓をめぐる空白の一日事件が勃発。巨人は江川が欲しく欲しくてドラフト会議をボイコット。巨人と江川が全国民を敵に回した瞬間でした。
1979年。小学3年生。
2月、阪神の江川と巨人の小林が交換トレード。
4月、小学校のクラス替えを初体験。新鮮でした。ひげダンスとプロレスが空前のブーム。
6月、謹慎期間の解けた江川卓が甲子園でプロデビュー。史上最大級のブーイングを浴びる。
7月、高橋慶彦が33試合連続ヒット。私は帰省先の広島にいました。広島のじいちゃんばあちゃんも大フィーバーしてました。私が初めて市民球場でカープを見たのもこの頃でした。
8月、映画999を大阪で見る。ゴダイゴのレコードに感動して映画館の横のレコード屋ですぐに買ってもらいました。歌詞カードを穴が空くぐらい毎日見てました。
10月、広島東洋カープがセリーグ優勝。
11月、広島東洋カープが日本シリーズに勝利。球団初の日本一を決めたのは「江夏の21球」でした。
長々とすみません。
1978年から1979年の時代っていうのは、ウルトラマンがピンチになれば兄弟たちが助けに来るし、古代と鉄郎にはなぜか弾丸が当たらないし、巨人は国民中からブーイングされていて、カープはいつもドラマチックだったのですよ。足も速いしさ。
多感な小学生時代を私はカープとともに過ごして、松本零士先生に宇宙へ連れて行ってもらいました。
だけど手塚治虫もそうですが、松本零士の壮大な冒険の根底を流れているテーマはいつも人間の身近にある愛とか信頼とか優しさなのですよ。
巨人球団にはそういう部分が欠けていて
「自分さえ助かれば他人はどうなってもいい」
「お金で買えないものはない」
という香りをプンプンと漂わせていました。小学3年生の俺でも気付いたのに、なんでお前らはまだわからないのかねえ・・・笑
まずは銀河鉄道999を見なさい。
映画もいいけど原作はもっと良い。深いぞ。
今年阪神に入った天理高校の戸井零士。といれいじ。
お父さんが松本先生のファンなのかね。笑
戸井君は有名な甲子園のスターでした。んで背番号はなんと44番。期待されてるんだねえ。