2022年カープの考察は一旦置きます。次は2月のキャンプでお会いしましょう。
毎年楽しみですが今年もキャンプが楽しみですね。38や22はもちろんのこと、昨年の雪辱を期す29と36にも注目しています。62にもアツと坂倉のポジション争いをどんどんややこしくしてもらいたいです。
今日からキャンプまでの2週間はまた昔話やカープのOBの話でも書くことにします。
私の「夢を見た選手ランキング」はカープ限定のベストテンですが、カープ以外のチームにも「夢を見た選手」は当然います。
私が大いに夢を見て大成しなかった選手の筆頭は元南海・ダイエーの村田勝喜投手ですかね。
しなやかな右腕
1988.10.20(木)
ロッテ 5-2 南海 川崎
村田勝喜投手を初めて見たのは1988年、大阪球場での敗戦処理登板でした。ものすごく指に懸かったストレートを右打者のアウトローにズバズバ投げ込んでいました。
石川県の星稜高校出身と聞いて「ほう」と呟き、高卒1年目と聞いて「すごいな」と驚きました。
村田勝喜は松井秀喜の5学年上。まだ松井少年は中学生でした。当時、星稜高校と言えば「小松辰雄の母校」として知られていました。小松は村田の10個先輩。前年17勝で最多勝に輝いていました。
左右の違いはありますが、細身の体からグイグイストレートを押し込んでくる投球スタイルはカープの川口和久のようでもありました。村田は右投げ右打ちです。
当時の南海は10年連続Bクラス。福岡に移転後もさらにあと10年Bクラスが続きます。村田勝喜はこの20年連続Bクラスのチームのど真ん中に入団しました。
ホークス暗黒時代に、ガラガラの球場でフレッシュなストレートを投げる18歳の村田勝喜はとてもカッコ良かったです。広島市民球場で投げてる前田健太みたいでした。
「コイツは大物になる」
私は瞬時にそう思いました。1988年10月20日(木)のロッテ戦、南海ホークスとしてのラストゲームにも南海は負けるのですが、この時の敗戦投手が村田勝喜でした。南海最後の試合でプロ初黒星。
だがカープファンの私とホークスファンはみんな村田を見たいと思っていました。名門南海が新興ダイエーに身売り。時代は昭和から平成へ。村田勝喜はその象徴的な存在として福岡へ乗り込むのでした。
福岡ダイエーホークス時代
1989年、高卒2年目ながら村田は7勝(9敗)をマークします。防御率3.95
2022年の奥川が9勝、宮城が13勝、玉村は4勝。最下位のチームで村田の7勝がいかにセンセーショナルかわかるでしょう。
しかも村田は色白のイケメンでした。ヒゲの山内、ニャンコ藤本とは違うのです。1989年はトレンディエース加藤伸一も復活しましたが、それでも美少年・村田の人気には及びませんでした。
2年目3年目の村田は弱いチームの中で獅子奮迅の活躍。相手はAKD砲の西武、猛牛打線の近鉄、門田博光の加わったブルーサンダー打線でした。
4~6年目は3年連続二ケタ勝利をマーク。先発試合の半分は完投するという「ミスター完投」ぶりでした。
6年目のオフ、村田は世紀のトレードにより西武ライオンズに移籍します。
村田の交換相手は秋山幸二や渡辺智男らでした。実話ですよ。
晩年
西武時代は全く輝けませんでした。
管理野球が合わないとかホークスへの未練だとか言われましたが、実際は高卒2年目からフル回転で投げた勤続疲労でしょう。
西武では2年間で4勝。次は中日にトレードされました。
中日での1年目、村田は9年目の27歳になっていました。1996年はわずか4試合に登板して1勝3敗。でもナゴヤ球場には懐かしい大阪球場の香りがしました。
1997年の村田は11試合に登板。2勝3敗でした。最後の先発登板は7月17日の広島戦。ビッグレッドマシンにボッコボコにKOされました。ナゴヤドームに昭和の香りは1ミリも残っていませんでした。
村田はこの年限りで現役引退。事実上の戦力外通告だったかな。
他人事じゃありません
プロ2~3年目の村田は本当に良いタマを投げてました。
4~6年目は二ケタ勝利を挙げていますが、ストレートはおとなしくなってました。この頃すでに故障の兆しがあったのでしょう。
縁起でもないことを言いますが、若き村田勝喜のストレートはカープの遠藤淳志に似ていました。ひょろひょろとした体型もよく似てる。
玉村昇悟もそうですが、あまり酷使しないでもらいたいですね。高卒2年目でフル回転した今村はクビで、アドゥワ誠は現在行方不明ですからね。
小林樹斗や玉村昇悟はまだオマケでいいんですよ。主力となるのは6年目の高橋昂也と5年目の遠藤淳志です。