「妄想対決」広島東洋カープvs湘北高校 part1

井上雄彦大先生の大名作スラムダンク!
40代のおっさんにはたまらない不朽の名作。
40代のおっさんが最後に読んだ青春スポ魂マンガです。
もうスラムダンクはね、小学校の図書室に置くべき不朽の名作ですよ。←確信

スラムダンクの連載開始は1990年。週刊少年ジャンプ。私は18歳。
時代はドラゴンボールがちょっとキツくなってきた時代。
人造人間セルとか・・・ちょっと大人には読めません。苦笑

んでカープの優勝が1991年。
そこから25年間の暗黒時代。
読売と西武のお金持ちグループによるドラフト制度骨抜き戦略が始まったのが1993年。
同じ年に導入されたFA制度はまだいい。ダメージは少なかった。
ドラフト廃止はマジでキツかった。ドラゴンボールの寒さどころじゃない。まさに絶対零度の暗黒時代。
1993年の「逆指名制度」を皮切りに、批判が起こる度に名称を変え、2004年の一場事件後もまだ継続。後に朝日新聞がスクープするんですが阿部慎之助、二岡智宏、高橋由伸の裏金騒動も1990年代。上原浩治も野間口も5億とか6億とか。裏金システムの逆指名制度がはびこるも、まだNPBと読売巨人は「希望入団枠制度」と称しドラフト骨抜き政策を2006年まで継続しました。←事実

もう一度言います。
1993年から2006年までの14年間、プロ野球のドラフト制度は機能していませんでした。
この間、原巨人は三連覇×2回。
監督ご自身は黒い交際。しれっとヤクザに1億円を渡して解決。さらに清原はポイ捨てです。
勝って嬉しいんか!? このチームを応援する大人がこの国にいるのか!?
・・・と思った私の暗黒の20代でした。
もし私が17歳だったら盗んだバイクで校舎の窓ガラスを壊してまわるところです。笑

すみません。本題にはなんの関係もございません。
このカープが一番暗かった時代、1990年の三村&達川時代にスラムダンクの湘北高校に救われたってカープ男子はけっこう多いと私は思います。

私は大学生から会社員になる時代。
営業マンだったので仕事は外回り。
楽しみはランチタイム。
店選びの基準は値段とボリュームに加え、スポーツ新聞が置いてあるか、スラムダンクが読めるかどうか。

雨降りの日は週刊ジャンプでなく、スラムダンクの単行本が置いてある店に行ってサボって休憩していました。

スラムダンクの主人公は桜木花道。
彼の成長物語。
そんな桜木君が最終回で大活躍をします。

高頭力「堂本よ、湘北のこのリズムを生み出しているのは誰かわかっているか?」

堂本監督「おい河田・・・」

河田「ハイ」

堂本「桜木につけ」

コレ!
5年間スラムダンクを読み続けたおっさんにはたまらない瞬間です。
ハルコ「あの桜木君が」
水戸洋平「あの花道が・・・不思議な光景だ」

初心者でルールも知らなかったあの桜木君が、高校全日本のセンター河田君にマークされるんです。
大一番の試合終盤で。

カープファンの琴線じゃないですか・・・
ルールも知らないあの新井が胴上げ・・・
黒田が泣きながらあの新井に抱きつくとか・・・
人的補償の赤松真人があの新井を胴上げに呼ぶとか・・・

あかん・・・続きが書けなくなってきた・・・
ということで、
「今の黄金時代のカープのいいリズムを生み出しているのは誰かわかっているか、堂本よ。それがわかっていないとひょっとすると食われるぞ」コンテストを勝手に一人で開催します。

ノミネート選手は以下の10人。
鈴木誠也
菊池涼介
新井貴浩
黒田博樹
前田健太
中﨑翔太
野村謙二郎
緒方孝市
高信二
河田雄祐

カープを強くしたのは一体誰か?
三連覇のキーマンは誰なのか!? ←私の個人的妄想です
次回発表します。
お楽しみに。