「妄想対談」佃正樹vs達川光男~広商の思い出

この記事は管理人の妄想100%で完全にフィクションです。
どうぞ暖かい目でご覧ください。よろしくお願いします。

夏の高校野球選手権~第100回大会特別企画~
広島商業のエース佃正樹と捕手・達川光男のスペシャル対談

・・・


ご無沙汰してます。笑

達川
うおおお、懐かしい顔じゃのう。


タツも変わらずお元気そうで。

達川
こりゃ今日は久しぶりじゃけ、ワシいつもよりようけしゃべるよ。
覚悟しときんさいね。笑

■昭和48年、春のセンバツ準決勝について
広島商業2-1作新学院

達川
そりゃあもう!
この試合が100年続く高校野球のベストゲームじゃないですか!


タツはちょっと謙遜というものを覚えなさい。笑

達川
ほいじゃがどうじゃ?
清原、松坂、大谷、いろいろおるが、甲子園の一番の怪物言うたら誰じゃ?


そりゃ当然、江川よ。

達川
ほうじゃろうが。


わしらよく2点も取れたの。笑

達川
しかも2安打で、で。
あの手は1回しか使えんけえ、もう1度作新と当たったらハア勝ち目はないじゃろうの。


いや、それはわからん。
また新しい別の手を考えるのが迫田さんじゃ。

達川
江川は3試合で25イニングを投げ被安打6の50奪三振。もちろん失点ゼロ。
なにせ予選から全部ノーヒットノーランか1安打完封なんじゃけえ。
この翌年から高校野球が金属バットを導入するんじゃが、あれは材木や部費を節約するため言う話じゃったが、ワシは本当は「江川対策」じゃないんかと思うとるんじゃ。


ほんと、江川を相手に木製バットじゃ対戦相手は試合放棄しないといけなくなる。

達川
そう。バットが折れて折れて足らんようになるんよ。
巨人戦で後楽園に行った時、江川にこの話をしたら
「広商はどうせバットに当たらないからいいじゃない(笑)」
ってカバチたれよるんじゃ! 勝ったのはワシらなのによ!
悔しいてのう、ホンマもういっぺんダブルスチールしちゃろうか思たで。怒


まあ江川はそれぐらいの怪物やった言う話ですよ。

達川
あの試合にギリギリ逆転勝ちできたおかげで、ワシと佃もすっかり意気投合した。
春は準優勝じゃったけど、夏は佃のおかげで優勝できた。
江川に勝ったあの試合がワシらの原点じゃのう。


タツとわしとはそれまで決して一心同体ではなかった。お互いにどこか冷めたところがあった。
じゃが江川という強敵を倒すために自然と心が一つになれた。
もし作新と当たってなければ夏の優勝もなかったかもしれんのう。

■昭和48年、夏の選手権決勝について
広島商業3x-2静岡

達川
決勝戦でサヨナラスクイズ。
あれで広商野球が全国に広まったの。


サヨナラ優勝スリーバントスクイズか・・・

達川
3回戦のツーランスクイズを決めたんは金光じゃったかのう?


あれはわしじゃ。

達川
おー、こりゃ失礼。
ええバントじゃったんはハッキリ憶えとる。


高校野球初のツーランスクイズじゃ。

達川
あれはほんまに凄かったんで。
普通スクイズ言うたら1点しか入らんじゃないですか。
テレビ中継も三塁ランナーがホームインしたのを見たら、次は一塁でバッターがアウトになるのを映してる。
だから二塁ランナーのホームインはテレビに映っとらんかったそうじゃ。
テレビ見とる人には広商に2点入ったのがわからんけえ、NHKにはえっとクレームが入ったらしい。
「なんで広商が逆転しとるんじゃ、まだ2対2の同点じゃろうが!」
いうての。


球場で見とった人も、たぶん半分以上は「2塁ランナーの達川はどこに消えたんじゃろ?」と思ってただろうな。笑

達川
あれでいよいよ広島野球が復活したいう感じじゃったね。
広島野球言うてもカープじゃないんよ。
当時のカープはセリーグのお荷物でまだ「青ヘル」じゃったけえね。
広商もそうじゃけど、広陵も長いこと勝ってなかったけえ、この優勝で広島野球がまた陽の目を見たようなそんな感じじゃったよ。


しゃもじ持って「宮島さん」を歌うんも、ありゃもともと広商の応援じゃけえの。

達川
ほうよ! よう言うてくれたのう・・・
昭和63年に同級生の川本が広商を15年ぶりの優勝に導くんじゃが、そん時に縁起がええ言うてカープが真似しはじめたんじゃ。広商OBのワシの許可がいるっちゅうのに!

■広島伝統の機動力野球について


あの時代の監督さんはみんな策士いうんか、小技が大好きだったね。

達川
うんうん。


わしは大学で江川と同じチームになったけど、江川だけでなく六大学は凄かったよ。
岡田彰布とか鹿取義隆とかね。プロに行く奴ってこういう連中なんだなって思った。
広島野球と中央の野球はスケールが違う。
よく金光と一諸に
「広商でやってたチマチマした野球はなんだったんだろう」
ってボヤいたもんだよ。

達川
わしはそのチマチマした野球のおかげでプロでメシが食えたんじゃけどの。


ほうよ、わしは今日はその話をしに来たんじゃ!

達川
ワシがプロに入った時のカープは黄金時代。
ワシは22歳で正捕手の水沼さんは31歳。
今で言えばゴールデングラブの會澤翼と中村奨成みたいなもんよ。
水沼さんは足が速いし、よく打つんじゃ。


それでお前はどうしたんじゃ。

達川
もう何でもやったよ。練習もしたけど、ささやいたり演技力を磨いたり・・・


そこよ!
今年からビデオ判定も始まったけど、今の時代にお前のデッドボール作戦は通用するんか!?

達川
ハッキリ言って通用せんじゃろ。笑


じゃあどうするんな?

達川
迫田さんみたいに違う手を考える。


どんな?

達川
実はビデオを騙す秘策があるんじゃが、まだここでは言えん。
ワシがソフトバンクのコーチをやめたら言うよ。


ほうか。相変わらずじゃのう。
そもそも広島野球が小技じゃ機動力じゃて言うようになったんはいつ頃からなんかの?

達川
さあのう・・・ワシらが子供の頃からもう「広島野球は守りと機動力じゃ」て言うとったからのう。
それこそハア100年ぐらいにはなるんと違うか?


いまだに若いカープが機動力いうて
走りまくってくれるのは、カープファンには嬉しいことじゃ。

達川
今のワシはソフトバンクじゃけ迷惑しとるよ。笑

・・・

ビデオ判定の時代に達川光男が現役だったらどうなったかなあ・・・と妄想したかったんですがオチが見つからず、謎の思い出話に方向転換しました。
佃正樹さんも川本監督もお若くして他界されましたが、お二人が残した伝統の広島野球はいまだ健在です。
1988年の広商は夏の決勝戦で前田幸長と九州のバース山之内を擁する福岡第一を1対0で破り優勝。
佃・達川の広商以来15年ぶりの快挙でした。
このチームも飛びぬけた選手はおらず守備とバントのチームでした。四番サードの重広君はカープに来てほしかった・・・
あれから30年、広島県勢は夏の甲子園を制しておりません。西村と白濱は春の優勝。
野村祐輔と小林誠司、上本崇司(中田廉はベンチ外)の広陵高校は佐賀北に満塁ホームランを浴び準優勝。
中村奨成も決勝戦で高橋昂也の愛弟子・清水達也と西川愛也の花咲徳栄に敗れて準優勝でした。
現在の広商野球部は活動休止中。
今年の夏は30年ぶりに広島県勢の優勝が見てみたいですね。