今日は私の「月極駐車場の思い出」について語らせていただきます。
・・・・
って何の話か全然わかりませんよね。
以前、私の初恋話(実話)をブログに書いたんですが、それに続く思い出話。第二弾。
今日は妄想でなく実話であります。
大阪府守口市の月極駐車場での思い出話。
スポナビブログも終盤ですが、れっきとした広島カープのお話ですよ。
では参ります。
今日も与太話にお付き合いくださいませ。
私は小学校5年生まで大阪府の守口市というところに住んでいました。
私の母親は世界の松下電器産業(!)で働いておりました・・・社員食堂のおばちゃんとして。
私は守口市の小学生。母親と妹と3人暮らし。
カープお得意の母子家庭ではありません。父親は単身赴任中でした。
私の小学生時代とは1978年から1983年のこと。
そうです。第一次カープ黄金時代。
すっかりカープファンだった私は、毎日ボールとバットを持って野球ごっこをしておりました。
おもいきり野球ができるジャンボ公園は徒歩5分くらいかかりました。
さりとて徒歩1分のミニ公園ではサイズが小さいし、砂場とかブランコがドーンと真ん中に陣取っておりました。
なので、小学生の悪ガキどもがどこで野球をしていたかというと・・・
それが月極駐車場!
なのであります。
えーと・・・
今思うと・・・
非っ常にまずいですね・・・
良い子のみんな! マネしちゃだめだよ!!!←説得力なし
でも、これがですね、非常にいいグラウンドだったんですよ。←反省しろ
地面はアスファルト。イレギュラーなんかありません。
サイズは乗用車15台くらい停められたのかな・・・
しかも小学生が放課後に遊ぶ時間ですから、ほとんどの車は出払っているわけですよ。
これ・・・遊ぶなってほうが無理でしょう。
近所の友達と、バットとグローブと軟式ボールを持って、しょっちゅう遊んでいました。
大阪の小学校でしたから、友達はほとんど全員が阪神ファン。
たまに巨人ファンがいましたが、
「江川が好き!」
とは死んでも言えない空気が当時の大阪にはありました。空白の一日事件。
なので、巨人ファンの小学生がモノマネするのはいつも角三男か中畑清。
阪神ファンの友達は真弓明信の争奪戦。
「今日は俺が真弓やで」
「なんでや、俺が真弓や!」
「おまえ、昨日真弓やらしたったやんけ! 今日は岡田で辛抱せえ!」
「いやや、岡田なんか絶対いやや!」
なぜか岡田はいまいち人気なかったです・・・
真弓の次に人気があったのは小林繁。
明石家さんまのおかげで当時の大阪の小学生は全員、小林繁のモノマネができました。
あとひそかに人気があったのが平田勝男。
当時の私は知らない選手だったんですが、私のまわりでは平田勝男がなぜか大人気でしたね。まだレギュラーになる前ですよ。
友達がみんな平田の真似をしたがるんで、私は本物の平田より先にモノマネの平田を知りました。
掛布雅之の場合はみんなが憧れの選手だったんですが、彼は左打ちでした。
右利きの小学生が掛布のモノマネをするのは非常に難易度が高かったんですよ。
大人気の選手でしたが、掛布のモノマネで打つ小学生は少なかったです。
んで、私です。
大阪府守口市の小学校。
全校生徒600人くらいいたのかな・・・
でも校内でカープファンは間違いなく私一人でした。断言。
カープファンの友達を探しに探しましたよ。
でも見つかりませんでしたよ。
全校にカープファンは私だけ。
もう誰のモノマネでもやりたい放題であります。
競合ゼロ。
北別府も、山根和男も、江夏豊も、高橋慶彦も山本浩二も衣笠祥雄も・・・みんな単独指名!です。
・・・
でも当時は嬉しいというよりも寂しかったですね。
同じカープファンが一人もいませんから。
実は今でも境遇はあまり変わっておらず、いまだに私のまわりにカープファンは数人しかいません。
今、甲子園を真っ赤に染めている関西のカープファンの方ってどこにいらっしゃるのでしょうか・・・
今、スポナビブログでカープの思いを書き込んで、それに反応してくださるカープファンの方と交流できるのは非常に楽しいです。
おっと、本題に戻ります。
私は毎日のように月極駐車場で野球ごっこをしていました。
1番慶彦、2番衣笠、3番ライトル、4番浩二、5番ギャレット・・・
全部一人でモノマネできるんです。
一方で真弓争奪戦に敗れた友人たちは、苦しみながら北村照文、佐野仙好、木戸克彦を一生懸命にモノマネしていたわけです。
似ているか似ていないか本人もわからない。
阪神ファンでもわからない。
ちなみに私の妹も野球ごっこについてきて、私の真似をしたがりました。
小学校1年生の女の子なんで、みんな下から山なりに投げて、打たせてくれて、よく一緒に遊んでくれました。
さらにちなみに、妹はかなり大きくなるまで「プロ野球の長嶋」と言えば「カープの0番」のことだと思っておりました。
この月極駐車場がまた、絶妙なサイズだったんですよ。
乗用車15台分くらいかと思いますので、本物の球場の内野より少し狭いくらいです。
周囲が高さ1mの壁かネットかがしてあったんで、キャッチャーも要らないんです。
そして何より「ホームラン」がありました。
ランニングホームランじゃありませんよ。
柵越えのホームランです。
このサイズですから「あの壁を越えたらホームラン」という見事に絶妙なサイズだったんです。
これは小学生にはロマンでしたねえ・・・
柵越えですよ、柵越え・・・遠い目
先ほど述べた徒歩5分のジャンボ公園。
ここは本当に大人が草野球をしていたような大きな公園でして、もしホームラン性の当たりを打とうもんなら、打者はもちろんランニングホームラン。しかし守備側の球拾いはチョーめんどくさい。
試合はだらけるし、ピッチャーは打たれたくないから力入れて投げるし、そうなるとストライクも入らない。
そもそも小学校の頃って、小学生の投げるボールとはいえ、本気の球ってけっこう速いんですよ。
「本気で投げるの無し!」じゃなかったですか? 小学生時代は。
打つよりも投げるほうが簡単なので、たぶん全国の小学生の野球ごっこは「全力投球禁止」だったと思うんですよ。どうでしょう?
ピッチャーは打てそうな球を投げるという、まさに野球ごっこでした。
野球ごっこをするのに、ジャンボ公園では広すぎる。
手頃なサイズの公園には遊具がドーンと置いてある。
なので、駐車場で野球ごっこをしてたんです。
ただし問題もありました。
15台のうち出払ってくる車が大半と申し上げましたが、もちろんいつもいつも停まっている車が0台だったわけではありません。
たまに1台か2台か車が停まってる日があるんですよ。
そんなときは「ちぇっ」と思うんですが・・・
そこで悪ガキどもはどうしたかと言いますと・・・
試合決行!するんですよ。
もし今、私が、私の車を停めている場所で野球をしている小学生を発見したら、
「なにしとんじゃ! ゴルァ!!!!」
ですよ。
いやあ、今思い出すと非常にまずいですね。
良い子のみんな! 絶対マネしちゃダメだよ!!!←2回目
禁じられた遊びです。深く反省します。
しかしなんでですかね、当時は一度も大人から怒られたことがなかったです。
けっこう大っぴらにやってましたし、誰にも見つからなかったわけじゃないんですけども。
21世紀の今日、公園で野球をする子供たちをほとんど見なくなりました。
たまーに見かけたら、それはユニフォームを着たリトルの子たち。
イチローや大谷翔平のモノマネをしている小学生を私は大阪で見たことがありません。
一度もです。
私は一度もイチローのモノマネをする小学生を見たことがありません。
ドラえもんのジャイアンや、サザエさんのカツオくんは今でも原っぱで野球に興じています。
ホームランを打てば、たまにご近所さんの窓ガラスを割り、カミナリさんに怒られたり褒められたりしています。
考えさせられますね。
この月極駐車場での私の思い出話は、美化しちゃいけない話ですけども、非常によく憶えています。
以上、ゴールデンタイムにプロ野球を全国放送していた時代の話でした。