part2からの続きです。
司会
栗原さんは2012年の5月に2回目の手術をされ、そのシーズンを棒に振ることになりました。
そして翌2013年もわずか23試合の出場にとどまりました。
ここから辛い時代が続きますが、この頃の心境をお聞かせください。
栗原
苦しかったし、辛かった。
監督が野村さんになって、チームが強くなってきたところで、自分はずーっと三軍でリハビリですからね。
この年に海外FA権も獲得しましたが、結局メジャーどころの状態じゃなかった。
そう言えば僕、30歳になってからホームランを一本も打ってないんですよ。
新井
えっ! そうなの!?
栗原
はい、最後のホームランを打ったのは29歳の時です。
新井
それは辛かったやろなあ。
栗原
あの頃、マエケンが出てきて、キクマルも出てきた。
チームも初めてクライマックスシリーズに出た。
優勝争いをするチームになってきて、新井さんと黒田さんも復帰。
僕、これをずーっと二軍で見てたんですよ。東出さんと一緒に。
僕ら32歳とか33歳でしたから、本当、野球人としてチームに貢献できないことが悔しかったですよ。
新井
そうやなあ、俺もわかるよ。
栗原
新井さんの活躍にも正直嫉妬してましたよ。
「堂林、何やってんだ!新井さんのポジションを奪わんかい」って。笑
新井
あははは
栗原
2015年はもう自分でファーストのポジションを奪い獲ろうとは思えなかったですね。
打席に立つことが目標になってました。もうこうなるとプロ野球選手としてはダメです。
新井
そんなに悪かったんか・・・
栗原
ひじさえ治れば誰にも負けないって言い続けて、5年間頑張ってきましたが、やはり限界でした。
僕の30歳から34歳までの5年間はほんとに苦しかった。神様はいなかった。
で、僕が退団したその年にカープが優勝。セリーグのMVPは新井さん。
もう笑うしかないですよね。苦笑
新井
俺とケンタがカープのクリーンアップを打ってた頃、俺たちの後ろに野村さんや前田さんがいてくれた。
キクも丸も、栗原健太が後ろにいてくれたから、今のあいつらがあるんじゃ。
お前の存在は間違いなく、カープ優勝の原動力だよ。
栗原
ありがとうございます。
新井
俺はお前が10年間、俺に口をきかなかった理由を知ってる。
同じ理由で俺もお前に挨拶すらしなかった。
俺たちは一塁しか守れないライバル同士やったからや。
栗原
本当なら年下の僕から先に挨拶に行かなきゃいけないのに、僕は行かなかった。
あの頃はまさに「どのツラ下げて」って心境でしたよ。
全盛期の7年間を阪神ですごして、衰えたから今度もまたカープを利用するのかって思ってました。
「カープをなめるな、この野郎」って。
でも新井さんは、あの大活躍でカープファンを味方につけた。
この人にはかなわないと思いましたよ。
新井
もしカープ以外のチームからオファーが来てたら、そっちに入団してたかもしれない。
俺はカープにいちゃいけないと思ってたから。
ケンタのその反応は当然だと思う。
栗原
一つ教えてください。
優勝ってどんな感じですか?
新井
うーん、そう来るかぁ!?
俺も初めてやし、40歳やし、他の奴らと違うかもしれんけど、「頼もしい」って感じたわ。
栗原
頼もしい?
新井
そう、頼もしい。
まわりにいるみんなが頼もしくて、それが嬉しいの。
なんか大きなお父さんに守られてるような感覚。
去年は独走に近かったから、そんな風に感じたのかもね。
山を登った時のような達成感って感じは、あんまりなかった。
栗原
イーグルスが今年好調なのは僕も嬉しくて、イーグルスで優勝したい。
優勝ってどんな感じか、自分でも味わいたいと思います。
新井
おう、広島で対決しよう。
栗原
僕は二軍のコーチなので広島には帯同しません。苦笑
新井
じゃあ選手として来いよ。
栗原
あはは。でも実は今もウエートを毎日やってます。
新井
そうか、現役への未練か。
栗原
未練じゃないですよ。
でも、友人のマニー=ラミレスも高知で現役復帰したし、僕もコーチ経由で復帰するかも。
新井
お前もテレビでそんなおやじギャグ言うたら、どのチームも獲ってくれんわ。笑
司会
えーそれではお二方、そろそろ番組終了のお時間です。
最後にお二人の2017年の抱負と意気込みをお聞かせください。
新井
はい、リーグ優勝と日本一です。それしかありません。
栗原
僕もチームの優勝が目標です。
あとは育成枠の若者を一人でも多く、一軍に送りたいですね。
司会
お二方、今日はお忙しいところ、本当にありがとうございました。
栗原&新井
ありがとうございました。
おしまい。
このブログ記事は完全に妄想とフィクションです。最初に戻る