46藤本和宏を知っておけ [広島東洋カープOB]

藤本和宏 (ふじもとかずひろ)

1947年生まれ。投手。左投げ左打ち

1966年ドラフト外で西鉄ライオンズ→1970年から広島カープ。

通算109試合、10勝10敗、防御率2.79

 

伝説のサウスポー

実働8年、通算10勝という平凡な成績ですが、この藤本投手について私は名前だけ知っていました。10年に1回くらいこの投手の名前がニュースに出てくるからです。

私は昨日までこの投手は右投手だと思ってました。200勝投手の藤本英雄さんや南海のエース藤本修二は右投手でしたから。

でもカープの藤本は左投手でした。知らんかったなー。

 

この方はある出来事が起きるたび、名前が登場します。近いところでは2024年、その前は2012年。

そう、大瀬良大地や前田健太が ノーヒットノーラン を達成するたびに出てくる名前が藤本和宏さん。

広島カープでノーヒットノーランをやったことがある投手は 5人

外木場(3回)・藤本・佐々岡・マエケン・大瀬良。回数は7回。

 

カープファンなら外木場の3回は誰でも知ってますよね。沢村栄治と並びNPB最多。MLB最多はノーラン=ライアンの7回。

だから「球団7度目のノーヒットノーラン!」と言われると、

「外木場、外木場、外木場。あと佐々岡、マエケン、大瀬良やろ・・・。えーっとあと一人誰だっけ?」

ということがだいたい10年に1回くらい起きます。

 

んで

「ああ、そうそう、藤本さんやったなあ。名前だけ知ってるわあ」

となるのです。

 

若い頃は選手の個人記録を全部覚えたり数えたりしていましたが、年を取るとだんだんめんどくさくなってきて、

「チームが勝てば何でもいい!」

と考えるようになってきました。

だけど去年大瀬良がノーヒットノーランやった時、

「どうでもいい! 1勝は1勝!」

とブログに書いたので、ちょっとそっけなかったかなあと反省し、今日は大瀬良のために藤本さんを特集します。※参考記事

大瀬良大地のノーヒットノーランは2024年6月。あの時はまだ優勝を争ってましたので、個人記録まで頭が回らなかったんですよ。

 

ノーヒットノーランまでの道のり

藤本和宏は山口県光市出身。

高校→社会人と進み、西鉄に入団。当時のチームメイトには池永正明やジャンボ尾崎がいました。

西鉄では1勝もできずに戦力外通告。やんちゃな性格で中西太監督とも合わなかったそうだ。

 

藤本は福岡がダメなら近くの広島と考えたのか、カープの入団テストを受けます。そこで根本陸男監督が直々に見て「こいつは使える」と合格。

カープ1年目の1970年は一軍10試合に終わったが、二軍では12勝をマークして二軍の最多勝を取っている。1970年に藤本が二軍で達成した「9者連続三振」は今なお二軍の最多記録です。※yahoo

ちなみに一軍最多は佐々木朗希の13者連続三振。オールスター最多は江夏豊の15者連続三振。

 

藤本がブレイクするのはカープ2年目の1971年のこと。

6月から一軍に定着した藤本は6/18の大洋戦で9回1失点。これがプロ5年目での初勝利でプロ初完投勝利でもあった。

6/29の中日戦では1対0で完封勝利。今度はプロ初完封勝利。たった1ヶ月でとんでもないシンデレラストーリーである。高木宣宏みたい。

 

1971年8月19日(木)、広島市民球場での中日戦でノーヒットノーラン達成。藤本は5勝目を挙げる。この試合は平日なのにダブルヘッダーの2戦目であった。

カープ球団としては3度目のノーヒットノーランでした。外木場に次いで2人目の快挙。順番も覚えたい方は「外木場、外木場、藤本、外木場」と覚えよう。

 

最優秀防御率

藤本和宏のサクセスストーリーはまだまだ続く。

8/24の大洋戦では10回1失点の好投。

8/29のヤクルト戦では1安打完封勝利。この1安打完封勝利が実は1回裏の先頭打者のヒットで、藤本はその後をノーヒットノーランしている。与四球は2

「ノーヒットノーラン」と「先頭打者の安打のみの1安打完封」を達成した投手は国鉄・金田正一以来2人目でしたが、同一シーズンに両方をやったのは藤本が史上初。ちなみに翌1972年に外木場が同じ記録を打ち立てている。恐るべし外木場。

 

このように藤本はセリーグの各球団をグイグイ抑えて続けていきました。

最終的には43試合(20先発)、10勝6敗、防御率1.71で最優秀防御率のタイトルを獲得。

1988年の大野豊に抜かれるまで、藤本の1.71は左腕投手の球団記録だった。右腕も含めると長谷川良平の1.68。現在は前田健太の1.53

 

晩年

ここまで見て「おや?」と感じた人も多いでしょう。

1971年の藤本和宏は最優秀防御率と2ケタ勝利。しかし藤本の通算勝利数も10勝。

これは間違いではなく、藤本がプロ野球で挙げた10勝は全て1971年シーズンのものでした。

翌年以降は主に中継ぎで投げていたこともあり、0勝。藤本はノーヒットノーランから3年後の1974年に戦力外通告を受け退団となりました。

 

過去90人のノーヒットノーラン達成者のうち、通算勝利数が最も少ないのは近鉄・エルビラの7勝ですが、2番目に少ないのが藤本和宏でした。3位はたぶん中日・近藤真一の12勝でしょう。

来年床田や森下がノーヒットノーランを達成すれば、おそらく「球団史上6人目のノーヒッター」と報じられると思います。

その時はどうか「カープのノーヒッター2人目は藤本和宏だった」と思い出してください。


おしまい
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ありがとうございました。

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