達川光男 (たつかわみつお)
1955年生まれ。捕手。右投げ右打ち。
1977年ドラフト4位でカープ入団。広島商業→東洋大学。背番号40
実働15年、1334試合出場。通算895安打。ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞3回。この妄想選手名鑑で一番書きたくなかった選手が達川光男です。ネタが無尽蔵で書き切れないからです。かなり端折りますよ。
もくじ
■話の半分はウソ
■猪俣と蓑田の話
■監督コーチの時
■デッドボールまとめ
話の半分はウソ
達川光男に関する話のネタは尽きません。とてもブログ1本に収まらない。
それに私の作る選手名鑑は「ウィキペディアに載っていないことを書く」ことをモットーとしています。当たってないのにデッドボールだとウソついたことや、守備の時に相手バッターにしゃべりかけ続けたことなんかはいちいち書きません。達川の代表的なエピソードはウィキペディアでご覧下さい。読み応えありますよ。
現役時代も引退後もずっと一人でしゃべり続けてる達川ですが、だいたい話の半分はウソです。ウソというか思いつきのギャグ。マツダスタジアムで赤松真人がホームランキャッチした時、
「赤松は五輪に出れば金メダル取れますよ」
「山本芳彦にも金一封を送らにゃいけん」
などと解説しました。
五輪で金メダル取ったのは栗林や森下だし、赤松にホームランをもぎ取られた横浜・村田修一はその直前に3塁ファールフライを打ち、それを山本芳彦がエラーしていたのです。達川は何かオモシロいギャグを言おうとして毎度テキトーなことばかり言ってるのです。
猪俣と蓑田の話
達川の現役時代について。
珍プレーの印象が強い達川ですが、守備は確かに上手かった。今もエラそうに解説するだけのことはある。さらにバッターが見逃した時だけ右手を出してきて、両手で拝むようにキャッチするのがカッコ良かった。投げているピッチャーに向かって手を合わせて「ありがとう!」と言ってるようでした。強肩で盗塁阻止率も高かった。
津田恒美とのコンビでは津田に強い返球をして津田のテンションを上げたり、見逃し三振の時にストライクコールより先にボール回しを始めるのもカッコよかった。ああいう態度は投手だけでなく味方の野手もリズムに乗ります。これも一つの「リード」だと私は思います。現役選手の坂倉将吾がこういうリードを随所に見せます。まあ今度見てみてよ。
達川の打撃はしぶとくてチャンスに強かった。あまりヤマを張ったり決め打ちするタイプではなく、どのタマにも粘り強く食らいついていく打撃が多かった。いつも引き合いに出して悪いのですが、西田真二の通算本塁打数が44本で達川は51本です。打席数が違うとはいえ達川も大した物です。
達川は殊勲打が多かった。サヨナラ打もいくつかあったような記憶がある。
1987年9月4日(金)の広島阪神22回戦で、達川は阪神・猪俣隆から逆転サヨナラ2ランを打っているのですが、なぜかネットのどこを探してもその記事が見つかりません。だから私が書いときます。
9回表終了時点で0対1、阪神リード。先発はドラ1ルーキーの猪俣隆。プロ初完封なるか!?という展開。9回裏2死から7番ランスが四球で出塁。代走今井。
2死1塁で打席に達川。ベンチには西田真二、長内孝、小川達明、木下富雄が控えている。
阪神の吉田監督も迷ったと思いますが猪俣続投。阿南監督は動かない。達川で繋いで9番の代打で決めるつもりだったのか。
私はこの試合をテレビで見てました。達川がサヨナラホームランを打ちそうな予感がありました。なぜかと言うと猪俣は無失点ですが5四球出してますし、この時代の達川は打率.270くらい打ってたんですよ。若い頃の達川は守備で手一杯な感じでしたが、1986年頃から達川は結構タイムリーや長打を打ち始めていました。私はここでまた意外性の一発が出るんじゃないかと思ってました。それにいざとなれば例のデッドボールもあります。既に達川の珍プレーは全国のプロ野球ファンに認知されており、ノーコンの猪俣は厳しい内角攻めをできなかったかもしれない。笑
んで結果はレフトに逆転サヨナラ2ラン。見事でした。
小早川毅彦が江川卓を引退に追い込んだ逆転サヨナラ2ランも有名ですが、そのホームランは達川のサヨナラホームランから2週間後の出来事です。1987年9月20日(日)のことでした。ソース
むろんこの試合もテレビで見てました。この時も一発出そうだなと思っていましたよ。
法政大学出身の猪俣も見事なもので、達川に打たれた翌週の登板でなんと14奪三振のプロ初完封を記録しています。達川を抑えていれば2試合連続完封でした。
次は巨人・蓑田浩二を三振に取った話。
1988年7月11日(月)、東京ドームの巨人戦。9回表を終わって4対2。カープ2点のリード。
先発の大野豊(33)は9回裏のマウンドにも向かいます。1988年の大野は開幕からずっと防御率0点台で好調でし。好調の理由はこの年から投げ始めたパームボールがオモシロいように決まっていたからです。1987年までの大野豊は「防御率2点台の好投手」でしたが、1988年以降の大野豊は伝説エースへとレベルを上げました。本当です。大野豊の通算成績は1988年以後ワンランク向上しています。パームボール効果です。ぜひ見てみて下さい。特に防御率とWHIP。全く別人です。
9回裏、8番有田にヒットを打たれ1死1塁。9番を打ち取り2死1塁。1番に阪急からトレードでやって来たベテラン蓑田浩二。一発もあるコワい打者。
カウント2-2からのパームボール。蓑田が振って達川が捕る。空振り三振ゲームセット!・・・かと思いきや、球審が「ダメダメ、タッちゃん、ファールだよ」と宣告。この時の達川はもうマウンドの上で大野とハイタッチしてました。
達川の珍プレーっていつもこうでした。審判のコールより先にボール回しを始めたり、デッドボールでもないのに勝手に1塁へ歩き出したり。
バックネット際のファールフライを捕球したように見せかけてアウトをもらい、バックネット席の阪神ファン30人から一斉に猛抗議を受けたこともあります。「コラ審判、ダマされるな!ネットに当たっとる!」
現役時代の達川の「セルフジャッジ」が非常にオーバーでして、当時の草野球界にもたいへんな悪影響を及ぼしました。デッドボールの当たった当たらないは全国の小学生がマネしましたし、学生は特に自打球を猛アピールしました。打者がボテボテのゴロを打った時、全然足に当たってないのに「当たった当たった」といって1塁に走らないのです。これはかなり流行しました。モロに達川の影響です。笑
とにかく蓑田の三振は取り消し。ファールでプレー再開。
次はウラをかいてストレートかと思ったんですが、達川は同じボールを要求し、また低めワンバウンドのパームボールを空振りさせました。今度は正真正銘空振り三振、ゲームセット。
この時の達川は低めの難しい変化球を2球ともしっかりミットの真ん中で捕球しています。しかもファールチップの時は、バットに当たってワンバンしたボールを片手でラクラク捕ったうえ、審判に「捕ったどー!」とアピールまでしているのです。スゴい捕球力です。黙ってればカッコいい捕手なんですけどね。笑
監督コーチの時
三村敏之監督のトータルベースボールが敗れ、1999年に達川が1軍監督に就任します。
この頃、世間では「2000年問題」とか「ミレニアム」とか言われたように「1000年に1度のお祭りムード」が漂っていました。セパの各球団は特別な監督を据えることに力を入れていました。
巨人の長嶋茂雄(63)は監督7年目を迎え、権藤博(61)の横浜ベイスターズは前年日本一。中日には星野仙一(52)がいて、阪神は前年までヤクルト監督だった野村克也(64)を招聘。ヤクルトはレジェンド若松勉(52)を新監督に迎え、カープもミレニアムイヤーを達川光男に決めました。
当時の達川は44歳でした。青年監督をカバーするべく鬼軍曹・大下剛史(55)を呼び戻しました。しかしもうすぐ21世紀という時代に「胃から汗が出る」と言われた練習は時代遅れだったかもしれない。新井貴浩や河野昌人らの若手は軍隊式の厳しいシゴキを歓迎したかもしれないが、既に年俸2億円だった江藤智や前田智徳ら主力には「またかよ・・・」みたいな寒い空気が流れたかもしれない。以前書いた妄想記事の江藤智FA移籍の真相もまんざらデタラメではかもしれない。
達川監督のミレニアムイヤーは投手陣がボロボロで相手も強かった。2年連続5位でした。
達川はこの後、阪神星野、中日谷繁、ソフトバンク工藤の下でバッテリーコーチやヘッドコーチを歴任しました。カープでは戦力に恵まれませんでしたが、阪神でリーグ優勝、ソフトバンクでは2年連続日本一に輝きました。達川の頭脳は本物だったのです。
その一方で、テレビ解説では鋭い発言を10回に1回くらいするものの、残りの9回はテキトーでネット民からは「逆フラグ」と笑われることも多かったです。
デッドボールまとめ
達川の珍プレーについては枚挙に暇がなく、全部書き出せば長編小説1冊分くらいのページが必要です。
2020年だったか、達川本人もテレビの解説で
「私の時代にビデオ判定があったら、あんなに長く現役でプレーできなかったでしょうね」
と笑っていました。私もその通りだと思います。
私はビデオ判定否定派ですが、達川みたいなグラウンドの詐欺師が出てこなくなることもその理由の一つであります。
子供の頃は達川の当たっていないデッドボールが大好きでした。
しかし今、會澤翼や坂倉将吾が達川みたいな詐欺師まがいのインチキをしたら2人を応援できるかな?まあできるとは思いますけど、男前のアツにはあまりやってほしくない。笑
カープのレジェンドなので達川のことはもちろん大好きですが、取材もしないでテキトーな解説をされると時々イラつくのは事実であります。笑