山本和男(やまもとかずお)
1954年生まれ。投手。左投げ左打ち。
1980年ドラフト外でカープ入団。柳井学園高→新日鉄光。背番号26
通算193試合8勝4敗0S、ERA3.53
もくじ
■山口県熊毛郡について
■ワンポイントリリーフについて
■清川栄治との関係
■ラーメンが美味しい
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山口県熊毛郡について
山本和男投手は山口県熊毛郡の出身。
この熊毛郡(くまげぐん)という地名、カープファンにはあまり馴染みがないかもしれません。
もしご存じでしたらごめんなさいなのですが、由宇練習場のある岩国市に隣接するのどかな町でありながら、実に多数の大物有名人の出身地なのであります。
まず日本の初代総理大臣、伊藤博文。
続いて「昭和の妖怪」こと岸信介。そして弟の佐藤栄作。
野球界ではロッテの快速王河本育之。河本の同級生には達川光男のモノマネ、松村邦洋。
そしてカープ初のワンポイントリリーフ投手山本和男に、カープ初の逆輸入選手飯田宏之。
すごいんです、山口県熊毛郡。笑
ワンポイントリリーフについて
山本和男は1980年にドラフト外でカープに入団。背番号26。
1981年、ルーキー山本和男は1年目に一軍で30試合に登板。防御率3.90。立派な成績。
しかし江夏のトレードに怒り狂っていた小学生の私には新しい26番がいかにも頼りなく見えました。
よく似た名前の山本和行(阪神)は小林茂と並ぶ阪神のエースでした。
私は同じ「山本和」でもあっちの山本が羨ましかったです。広商だし。
プロ4年目の1984年、山本和男はキャリアハイとなる46試合登板を果たしリーグ優勝&日本一に大きく貢献。日本シリーズにも2試合に登板。
清川栄治との関係
山本和男は左サイドハンドのリリーフ投手でした。
当時パリーグには左殺しのL永射保がいたし、セリーグにはG角三男がいました。
この二人の左サイドハンドに比べて山本和男は全然球も遅いし、変化球も普通。
江夏の背番号を引き継いだ山本和男でしたが、カープの中でも若手の大野豊や川口和久に比べると全然もの足りない投手でした。
そして1983年オフ、カープはまたドラフト外で無名の左投手を獲得します。
それが清川栄治でした。私の好きな選手ランキング第6位、リリーフのスペシャリスト。バース殺しでクロマティ殺しの人。
1986年、24歳の清川は50試合に登板し優勝に貢献。31歳の山本和男は3試合に終わる。
1987年の清川はまたもバースとクロマティを殺しまくりました。
1988年4月20日、東京ドームの巨人戦。
清川栄治は7回裏2対3、1点ビハインドの場面で登板。
駒田・岡崎・クロマティ・原・吉村・篠塚を斬ってプロ初勝利。清川の名言「ついに勝ってしまった」が飛び出す。
その翌日4月21日、東京ドーム巨人戦。
6回裏2対0。2点リードで山本和男が登板。前日2イニングの清川は休養。
私は
「清川なら右も抑えられるけど山本和男じゃ無理だよう」
と思いました。
んでさっそく右の原辰徳に逆転スリーランを浴びて3年ぶりの敗戦投手になりました。
私の山本和男の最後の思い出はこの試合でした。真新しい東京ドームに山本和男はちょっぴり時代遅れな感じでした・・・
34歳の山本和男はこの年のオフ金銭トレードでオリックスへ移籍。
ラーメンが美味しい。笑
90年に現役引退。
サラリーマンを経て1994年に広島市内にラーメン店をオープンしました。「ラーメン・焼き肉かずさん」
タクシードライバーから若い女性まで幅広いお客さんに愛されているそうです。お近くの方はぜひどうぞ。皆実町です。
山本和男のプロ生活は江夏豊と清川栄治の間にいて、同世代には大野豊や角三男。
ライバルが偉大すぎました。
山本和男はプロ通算193試合に登板。超立派。ドラフト逆指名の山内泰幸は184試合、澤崎俊和は180試合です。