18佐々岡真司[広島東洋カープOB]

佐々岡真司(ささおかしんじ)

1967年生まれ。投手。右投げ右打ち。

1989年ドラフト1位でカープ入団。島根県立浜田商業高校→NTT中国。背番号18。

プロ通算570試合登板。138勝153敗106セーブ。防御率3.58。

もくじ

■史上最高のドラフトイヤー
■プレースタイル
■100勝100セーブ
■投手コーチ時代
■53年ぶりの投手出身監督へ



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史上最高のドラフトイヤー

佐々岡は清原和博と同い年の1967年生まれ。

1989年に高卒社会人4年目でプロ入りします。

入団会見で「目標は津田さんです。真っ直ぐで押せる投手になりたいです」と泣かせるコメント。

ちなみに1989年(平成元年)のドラフト会議は史上最豊作の年で、野茂英雄、潮崎哲也、佐々木主浩、元木大介ら蒼々たるメンバーが1位指名されました。

野茂には8球団が競合。カープはドラフト前から地元NTT中国の佐々岡を指名すると公言。見事に単独1位指名に成功しました。

1位指名の後も、2位古田敦也、4位前田智徳、5位新庄剛志らが指名されています。

プロ野球史上最も豪華なドラフト会議と言われるのも無理ありませんね。

1990年が開幕すると、このドラ1ルーキー達が全員躍動します。

野茂は奪三振ショーを繰り広げ、小宮山悟、酒井光次郎、西村龍次は先発ローテで大活躍。

潮崎哲也と佐々木主浩はセットアッパーを務め、与田剛はクローザーで当時最速157kmデビュー。

パンチパーマの佐藤和弘はマイクパフォーマンス、元木大介はハワイでのんびりキャッチボール。そんな1990年でした。

カープのルーキー佐々岡真司は開幕5戦目に先発登板。対大洋、横浜スタジアム。

ここまでカープは4試合を終え1勝3敗と躓いていました。

カープは前年も藤田巨人に独走優勝を許しており、私は「今日負けると今年も負けるぞ。頼むぞルーキー!」と佐々岡を送り出しました。

佐々岡は見事プロ初登板で完投勝利。4月12日(木)のことでした。

津田が故障(と病気)で離脱した5月以降、佐々岡はストッパーに回りました。1年目の成績は13勝11敗17セーブ。この年、当時の日本記録17試合連続セーブポイントも達成しますが、新人王は与田に取られてしまいました。

プレースタイル

ドラフト前の佐々岡の評判は「ノーワインドアップから140km台後半のストレートとキレのあるスライダーを投げる右腕」との触れ込みでした。

当時の私はトレンディエースで名を馳せていた「西崎幸広タイプかあ・・・」と胸を踊らせたものでした。

んで佐々岡の顔を見てちょっぴりがっかり。

でもボールはエース西崎に負けていませんでした。

噂通りの150kmとスベるスライダー。1年目はフォークもよく投げていました。ドロップのようなカーブも時折投げていました。

投球フォームも独特。

両足を前後に大きく開いてマウンドを踏みます。ノーワインドアップから右手も左手も伸ばしきったまま始動し、そのまま振り抜きます。

一番最初このフォームを見て「大丈夫か、コイツ・・・」と心配したザ・アーム投げでした。佐々岡は体が固かったらしいです。

しかし佐々岡はユニークな投球のフォームのわりにコントロールも抜群でした。

佐々岡のピッチングフォーム、私は今でもマネできます。

打撃も良かった。郭源治からライトにサヨナラホームランも打ちましたし、送りバントも上手かった。

ギクシャクした投球フォームでしたが牽制も守備も上手かったです。

3年目あたりからは投手・佐々岡の打席にも応援歌が流れるようになりました

佐々岡は31歳のシーズンにモデルチェンジ。

1999年に新球シュートをマスターします。んでいきなり15勝&ノーヒットノーラン。しかし2度目の沢村賞はならず。20勝4敗の新人上原浩治に負けました。

佐々岡はシュート獲得に伴い、ウィニングショットをそれまでのスライダー&フォークからドロップカーブに切り替えます。

これがおもしろいようにハマった。シュート&カーブのコンビネーションで投手生命は10年延びました。後の黒田博樹や大竹寛のシュート習得にも影響を与えたとか与えないとか。

佐々岡のカーブはまさにキレてるって感じで小気味良かったです。

佐々岡がカーブをリリースする時にロージンの白い粉がボールからピュッと巻き上がるのもカッコ良かった。玉木重雄と張り合っていました。粉飛ばし。

阪神とヤクルトに計6年間在籍したトーマス=オマリーはずーっと佐々岡の天敵でした。

対戦データは残っていませんが、私の印象では打率.500以上打たれているイメージです。

スライダーもカーブもシュートもストレートも、高めも低めも全部打たれました。

タイミングよりオマリーのスイング軌道が佐々岡のボールに合っていたような印象です。

100勝100セーブ

なぜ佐々岡がカープのエースと言われてきたか。

2年目のリーグ優勝、MVP&沢村賞の大活躍も印象的ですが、ファンに支持され続けた最大の理由は18年間の現役生活を通じて大野豊のように先発とリリーフを繰り返し、チームのピンチを救い続けてくれたからなのです。

山本浩二、三村敏之、達川光男。歴代の監督からの信頼が厚く、時に先発完投、時にリリーフで3イニングとたらい回し大車輪の活躍でした。

マーティ=ブラウンとは選手としても監督してもチームメイトでした。

1つ年上の野村謙二郎と仲が良く、オフになるたび一緒にローカル番組に出演していました。横山竜士は釣り仲間。

同い年の清原和博とも仲が良かったようですし、2個上の古田敦也とも仲良しでした。

特に古田とは因縁があります。佐々岡(40歳)が引退した2007年シーズンは広島市民球場での引退試合でホームラン王を争っていた村田修一(26歳)にホームランを浴びてこれが現役最後の登板かと思いきや、翌日の神宮球場での古田敦也(42歳)の引退試合に「ワシが投げなきゃいかんじゃろ」と古田の最後の打席にリリーフ登板。

まさかの2日連続引退試合。笑

兼任監督だった古田の「代打オレ」ではなく8回裏の4打席目でした。結果はショートゴロでスリーアウトチェンジ。

アウトになった古田は一旦ベンチに戻り花束を持って登場

この花束は自分のためではなく、神宮で現役最後の登板を果たした佐々岡に手渡されたのでした。

このように相手チームからもリスペクトされた佐々岡は、100勝100セーブという記録以上にライバル達からカープのエースと認められていたと言えるのではないでしょうか。死球を当てたクラークにはぶん投げられましたけど。

投手コーチ時代

引退後、2008年から2014年まで7年間解説者として活躍。私は佐々岡の解説はあんまり覚えていません。

ちょうど地上波からプロ野球中継が消え始めた時代なので、関西人の私はRCCの佐々岡の声が印象にありません。

まだスカパーもなかったんでね。

2015年、佐々岡48歳でカープの二軍投手コーチ就任。

2016~2018年はカープセリーグ三連覇。連覇に貢献した薮田和樹やアドゥワ誠は佐々岡チルドレンと言われました。

2019年、佐々岡は一軍投手コーチに就任。チルドレンの床田寛樹、山口翔、遠藤淳志の活躍もむなしくチームは4位。連覇ストップ。

当ブログでも佐々岡の継投策とブルペン軽視の傾向には何度も苦言を呈してきました。

53年ぶりの投手出身監督へ

2019年オフ、緒方孝市監督の辞任を受けて佐々岡新監督があっさりと誕生。52歳。

長谷川良平さん以来53年ぶりの投手出身監督。

2019年から中日で指揮を執る与田剛監督とはアマ、プロ、監督として3度目の対決。新人王を奪われた借りを返すのだ。

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