プロ野球の世界にはなぜか「特定球団にだけ強い選手」が存在します。
いわゆるキラーと呼ばれる選手たち。
特にカープキラーと言われる選手たちの存在は非常に目障りです。←褒めてます
最近では元中日の八木智哉、藤井淳志。
うっとおしかったなあ・・・←褒めてるんだってば
ヤクルトの小川とかDeNAの今永もカープキラーと言われますが、彼らはカープ以外にも十分強い。
巨人キラーと言われた川口和久、平松正次、村山実も別に「キラー」ではありません。ただの大エース。相手がどこでも強い選手でした。
そこで今回は
普段ショボいくせになんでカープ戦だけ張り切ってんねん!
という選手たちを紹介します。4人います。
<1>定岡正二(巨人)
そうです、あの負け犬サダです。←古い。
鹿児島実業からアイドル的人気で巨人に入団。
長嶋茂雄新監督が初めてドラフト指名した選手がこの定岡。
入団6年目から頭角を現し先発ローテに定着。
江川や西本ほどの成績は残せなかったものの、角三男の助けを借りて黄金期のカープ打線を苦しめました。
<2>三沢淳(中日)
1970年代に5度の2ケタ勝利。
1980年代には勝利数より敗戦数が上回るようになるが、それでもなぜかカープ戦では好投していました。
サイドスローで球も遅いんですが、なんかのらりくらり打てませんでした。
同じ時代にベテランだった星野仙一も三沢と似たタイプだったんですが、星野はよくボコっていたのにな・・・
<3>欠端光則(大洋)
プロ入り4年目の1984年にロッテから大洋にトレード移籍。当時22歳。この年、カープ日本一。
2年連続日本一を狙うカープの前に立ちふさがったのが23歳の若き欠端。ちなみに「かけはた」と読みます。
1985年の欠端はシーズン防御率が5.07ながら、対カープ5勝0敗、防御率3.38。
ギャップありすぎやろ、欠端・・・
140km台のストレートとフォークボールでカープを苦しめました。
欠端がいなければ幻のカープ3連覇!があったのかもしれないです。
<4>矢野和哉(ヤクルト)
ヤクルトの12番。
左サイド気味のスリークオーターから140km台の速球とキレのいいスライダーを投げてきます。
矢野が活躍したのは浩二引退後の「カープ超絶左打線」だった時代。
カープの1~3番はスイッチトリオなんですが、4番小早川、5番長嶋、7番ランスのポイントゲッターはみんな左打者。代打も西田と長内。右は片岡、斎藤、小川。
左だらけのカープ打線は苦しめられました。
巨人も中軸に篠塚、クロマティ、吉村なんかがいて矢野に苦しめられていましたが、原辰徳が矢野に滅法強かった。
以上です。
他にカープキラーの思い出があれば教えてください。
佐々岡がオマリーを全然抑えられなかったこと、前田智徳が山口鉄也を全然打てなかったことも印象深いです。