昔の球場の思い出

OB選手名鑑のライトル記事を書いている途中、気が付いたことを番外編としてメモしておきます。
どれも私の小学生時代に通った野球場の思い出です。

以前、大阪球場での私のクソどうでもいい思い出話を書いたことがあるんですが、実は「江夏の21球」の舞台も大阪球場なんですよ。

1979年、パリーグは近鉄が前期優勝、阪急が後期優勝。
プレーオフを制したのは近鉄バファローズ。
そして日本シリーズは広島と対戦。第1戦は大阪球場で開幕しました。
ですから第6戦、第7戦も大阪球場だったのです。

当時の近鉄バファローズには本拠地が2つありました。
デーゲームの時は藤井寺球場。ナイターの時は日生球場。
※ふじいでら、にっせい(日本生命の略)ですよ。ねんのため。

藤井寺球場は収容32,000人でしたがナイター設備がない。しかもちょっと郊外。
日生球場は大阪のまあまあ真ん中。大阪城の近く。しかし収容20,000人。

んで、なんと近鉄球団は日本シリーズ用に南海ホークスの本拠地、大阪球場を借りるという英断を下すのです。笑
大阪球場は収容30,000人、ナイター設備OK。しかも交通の便が最強。
地下鉄や近鉄や国鉄(当時)の駅から徒歩5分。
南海なんば駅に至っては「駅が球場」でした。意味わかります?
駅を出たら目の前が大阪球場というシチュエーションなんです。

夢のような球場だなあ、大阪球場。
ほんのちょっぴり治安が悪かったけど。

まあ、とにかく牧歌的なパリーグでした。
近鉄さんはプレーオフも大阪球場を借りる始末。1979年、80年。

んで近鉄リーグ2連覇。
張り切って日本シリーズに挑むも相手は広島。
日本シリーズなのに結構空席が目立ちました。笑

記録を調べてみました。
1979年の日本シリーズ観客動員数。

第1戦大阪球場 25,121人
第2戦大阪球場 27,848人
第3戦広島市民 29,032人
第4戦広島市民 29,057人
第5戦広島市民 29,090人
第6戦大阪球場 27,813人
第7戦大阪球場 24,376人

広島市民球場は当時29,000人収容だったのでしょう。毎日満席。
しかし近鉄の主催ゲームでは相手がカープのためか8割程度の入り。
すみません。なんか責任感じます。ゴメンね巨人じゃなくて・・・

第7戦が「江夏の21球」の試合。
3勝3敗で迎えた大一番なのに一番お客さんが少ないんです。
前売りチケットが売れなかったのかな?

さらに気の毒だったのが翌1980年。
近鉄はシーズン最終戦で後期優勝。ゲーム差なし。
勝った方が優勝という日本ハムとの最終戦で、カープを蹴った木田勇を粉砕したのです。
その勢いのまま、プレーオフでも前期優勝のロッテを3タテ。2年連続リーグ優勝。
んで日本シリーズで再び30,000人の大阪球場を借りる。

するとまた今度も相手は広島。苦笑
前年をさらに下回る17,371人(第3戦)、21,254人(第4戦)、22,287人(第5戦)。
ほんとすみません。カープで。

ま、とにかくライトルとギャレットの時代はこんなでした。
大阪に住んでた私は甲子園のカープ戦にもよく行きましたが、実は日生球場や大阪球場にもよく行っていました。親に連れられて。

藤井寺球場には高校生になってから行き始めました。
1990年に野茂英雄が入団。
これは見に行かなきゃと思い、友人と二人で野茂のオープン戦初登板と、公式戦初登板の両方を見に行きました。
どちらも西武じゃなかったかな・・・そしてどちらも客席はガラガラでした。笑
デビュー後すぐの野茂はストレートが130kmくらいしか出ていませんでした。
そんでもみんな空振りしてました。
良い投手になるんだろうなという印象でした。
あの17奪三振でプロ初勝利を挙げた試合でも多分140kmそこそこしか出てなかったはずです。

西宮球場というのもありましたね。
いつだったか覚えてませんが1回だけ行ったことあります。
「あれが山森の登ったフェンスかあ」と。

この4つの球場、今はもう全てなくなりました。
関西に残された球場は甲子園、グリーンスタジアム、大阪ドーム。
京都の西京極と大阪の舞洲スタジアムも素晴らしい球場なんですが、収容人数がプロ仕様ではありません。
この中ならグリーンスタジアムが一番好きだなあ。