100脇田義信さん[広島東洋カープOB]

脇田義信(わきたよしのぶ)さん
1945年1月生まれ。アナウンサー。
1968年日本テレビ系列の「広島テレビ」に入社。
TSSの神田アナウンサーと並び、全国放送でカープを盛り上げ続けた名アナウンサー。
今日もめちゃくちゃ長文です。スミマセン。

■プロ野球いれコミ情報
■やるときゃやっとる
■田坂るりさんと福岡ののんちゃん
■宮本和知、辛坊治郎、森たけし
■山本浩二との絆


(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});

■プロ野球いれコミ情報
以前ブログに書いたフジテレビのプロ野球ニュースとともに、大阪のカープファンがカープ情報を仕入れるためのもう一つの貴重な番組が日本テレビの「ズームイン朝」でした。
1979年放送開始。

オープニング音楽は
ちゃっちゃっちゃー、
ちゃらちゃらちゃら、
ちゃっちゃっちゃー、ちゃらっちゃら

平日の午前7時に放送開始。
司会者は徳光和夫さん。
まず最初の3分間で全国の天気をリレー中継。
7:05~7:20まで朝のニュースヘッドライン。
CMを挟んで7:20からは各地のローカル放送に切り替わり、地元の天気予報を5分間。
んで7:25になると突然、麹町(当時)のマイスタジオ(全国放送)に切り替わる。
ローカル局からからCMカットなしでいきなり全国放送に替わるんです。なんか妙にカッコよかった。

徳光さんが飛んでくる野球のボールをキャッチ。
巨人が勝った日は徳光さんが元気に
プロ野球、いれコミ情報!
とコーナータイトルをコール。

ビジターで巨人が負けた時はしょんぼりと
プロ野球、いれコミ情報・・・
とトーンダウンするパターン。
後楽園で巨人が負けた時は、巨人に勝ったチームの局アナが登場。
徳光さんの代わりにボールをキャッチ。
広テレの脇田さんは
やったぜ浩二、いれコミ情報!
とか勝手にアレンジしてコールしていました。

脇田義信さん。
当時は広島テレビのアナウンサー。後に取締役にも就任されました。
黒縁眼鏡とカープの帽子がトレードマーク。
番組初期は脇田さんお一人でしたが、昭和60年代に入ると引退した池谷公二郎や小林誠二とコンビを組みました。

この1980年代前半という時代はカープの第1期黄金時代。強かったです浩二衣笠
当時のプロ野球いれコミ情報では巨人、カープ、阪神、中日しか登場しませんでした。
しかも巨人プラス2球団しか、いれコミ情報に登場できませんでした。
基本的にはカープ、阪神、中日の中から2チームだけがいれコミ情報に登場できたのです。
朝の貴重な10分間なのでやむなし。巨人が5~6分。残りの4分が2球団の枠。
この脇田さんの「2分間の大活躍」が大阪人の朝の楽しみでした。
脇田さんは前夜のプロ野球ニュースとは違うカープ情報を紹介してくれていたので、
「脇田さん、わかっとるやんけ!」
と子供ながらに嬉しかったものです。

いれコミ情報が終わるとCMを挟んでウィッキーさんのワンポイント英会話。
ここらへんで7時30分を過ぎるので、ぼちぼち小学生はウンコして学校に行く時間でした。

■やるときゃやっとる
そんな脇田さんが1985年頃、突如はやらせようとしたのが

やーるときゃやっとる。パンパンパン!
やーるときゃやっとる、パンパンパン!

というヘンな音頭。(注:パンパンパンは手拍子)

脇田さんのウィキペディアには「やっちょる」と記載されていますが、正確には「やっとる」です。
間違いありません。だって毎朝見てたんだもん。

この音頭はカープファンの私でさえ寒かった
脇田さんのことは大好きだったけど、これだけは好きになれませんでした。ごめんなさい。正直で。
脇田さん、たぶん1年で「やっとる」を封印。
いや、2年目も押し通したかな・・・覚えてません。
覚えているのは池谷公二郎がとてもイヤそうに「やっとる」をやっていた姿。
プロデューサーの命令だったのでしょう。哀れ池谷。
やはり「やっとる」はすぐに消えました。ひと安心。笑
でもたまにカープが劇的勝利した時だけ、思い出したように「やっとる」を繰り出してました。
脇田さんと言えば「やるときゃやっとる」です。

■田坂るりさんと福岡ののんちゃん

そんな脇田さんも1990年代に入ると出世して偉くなられます。
部長から取締役へトントン拍子。
するといれコミ情報に出る回数が減ってきます。
そこで登場したのが当時20代の田坂るりアナウンサー。
フジの中井美穂ちゃんとか福岡放送ののんちゃんに比べると、るりちゃんはちょっとだけ美人度で負けてました。←超失礼!

しかしるりちゃんのカープ愛は本物。
そしてなんと!
「やるときゃやっとる」
を復活させたのです。笑
るりちゃんの「やっとる」はかわいらしかったです。ゴメン脇田さん。

1989年に南海ホークスが福岡ダイエーホークスとなり、福岡放送からもプロ野球いれコミ情報が届くようになりました。
この頃はもうすっかりヤクルトの伊藤さんや、ホエールズの魁三太郎さんもレギュラーでしたよ。
ただ女性はるりちゃんとのんちゃんの二人だけ。
この福岡放送ののんちゃんがめちゃくちゃかわいかった!
お名前は堤信子アナウンサー。当時の野球部員にも大人気。
中井美穂派と、のんちゃん派がいましたね。
私はお二人とも大好きでしたが、一番好きだったのはクイズダービーの渡辺真理さんでした。TBS。
のんちゃんは全国放送の「はなまるマーケット」にも出演しておられたので、お顔を見ればどなたもご存知だと思います。

今日も長くてスミマセンね。
もうちょっとで終わります。

■宮本和知、辛坊治郎、森たけし
2019年から巨人の投手コーチに就任した宮本和知が20年間MCを務めたズムサタの「プロ野球熱ケツ情報」はこの「プロ野球いれコミ情報」の名残り。
全国放送でも大活躍で、ヨットでちょっと色々あった名司会者、辛坊治郎さんもいれコミ情報のOB。
関西ローカルの「すまたん」で阪神ファンの森たけしアナウンサーが阪神の旗を背中でクルクル回しているのもいれコミ情報の名残りです。
若き辛坊さんと森さんもヘンな「阪神音頭」を数多く作曲され、なんとCD(レコードかも)まで何枚かお出しになられております。笑
代表作は「やーってくれたね、タイガース!」の歌。

■山本浩二との絆

脇田さんは胃がんのため、2005年3月29日に60歳の若さでお亡くなりになりました。

2005年4月1日のカープは東京ドームで開幕戦を戦っていました。巨人戦。
9回表に緒方孝市がダン=ミセリから逆転2ランを放ち、9回裏を黒田が締めて4-2。

3連戦が終わって、当時の山本浩二監督は脇田さんのご自宅を弔問に訪れ、
「脇さん、ありがとう」
とお線香をあげました。
そして完投勝利の黒田のウィニングボールを脇田さんの御仏前に供えたそうです。

松田元オーナーも山本浩二も、脇田さんのことを「カープの一員だ」と常々語っておられました。
当時のプロ野球ニュースは「中立な番組」でありましたが、いれコミ情報は文字通りカープに入れ込んだ番組でした。
朝の生放送で全国ネット。
そこで我らの脇田さんは大巨人軍を相手に10年間お一人で戦い続けられたのです。笑

時にはカープが負けて坊主頭にさせられたこともありました。
その時も、脇田さんは古葉監督からカープの帽子をプレゼントされたそうです。
脇田さんはいい人でアツい人でした。知性も感じられる方でした。
慎んでカープOB選手名鑑の中に書きこませていただきます。

選手名鑑もくじ