昨日の試合でDeNAの大和選手にサヨナラヒットを打たれたので、つい大和選手の高校時代を思い出してしまいました。
今日は鹿児島県の私立樟南高校のお話をします。
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樟南高校はスポーツの名門
樟南高校野球部は私の好きな野球部ランキング第3位です。
1位広島商業、2位都城高校、3位鹿商工、4位金足農業、5位松山商業。
私が野球を応援し始めた昭和50年代に活躍したチームで、いずれもスモールベースボールを信条とする守りのチームでした。
これらのチームが池田高校やPL学園を苦しめて、結局最後に逆転負けするところがもうたまらないのです。
ディスイズ高校野球。坊主頭のお兄ちゃんが全員号泣。ああ青春。にっくき水野。にっくき桑田。
樟南高校はかつて鹿児島商工高校でした。通称「鹿商工」かしょうこう。
鹿商工のユニフォームは白黒のスッキリしたデザインで黒いラインが太目。
なんとなくパンダみたいでした。
んでパンダ模様の中に「鹿商工」の漢字が3文字。
パンダの中に鹿。
パンダの中にシカです。カワイイでしょ。笑
2年生の田村君が真っ黒いグリグリメガネで甲子園に登場した時、衝撃的なカワイさに私は生まれて初めて男の子を好きになりました。ポッ♡
私は決して鹿商工をバカにしてませんよ。
マジメに褒めてます。キッパリ。
当時、どこの高校もチャラチャラとアルファベットのロゴマークに走る中、漢字のロゴマークには男らしさとハードボイルドを感じました。
たぶん「鹿商工」の漢字が全国で一番大きかったと思います。
熊工と星稜はやや小さい。天理と智辯は色がイヤ。
都城も大きいなあ。男らしいユニです。明豊は未出場。
とにかく樟南高校は歴史ある学校です。
強いのは野球部だけでなく、なんかもう全部のクラブが全国大会に出場してます。
樟南高校ホームページのトップがいきなり部活動。笑
勉強も頑張れよ。
名勝負列伝
樟南高校野球部を代表する名勝負と言えばやっぱ
1994年夏、第76回選手権大会・決勝戦
でしょう。vs佐賀商業。樟南高校元年。
3年生のエース福岡真一郎とキャプテン田村恵のバッテリーは2年生時から甲子園で活躍しており当時アイドル的な人気を誇っていました。この夏は人気者バッテリーの最後の夏としても注目されていました。
私に言われんでもわかっとると思いますが、キャッチャーの田村君て2013年のドラフト会議で大瀬良大地を引き当てた田村スカウトですからね。
超イケメンな福岡君とクールなキャプテン田村君は決勝進出。
これまで4試合に完投勝利している福岡君。
決勝戦も5回まで3対0とリードするも、疲労の見え始めた6回表にワイルドピッチなどで3失点。同点。
その後1点ずつ取り合い4対4の同点。
9回表。
福岡君は1死満塁のピンチで1番打者を三振にとりツーアウト。
続く2番打者。
初球。
満塁ホームラン。
8対4。甲子園は大熱狂。アナウンサーは絶句。
福岡田村は肩を落とすが涙は見せない。だってまだ試合は終わっていないから。
3番打者を3球三振に斬って取る。
樟南高校OBたち
樟南の福岡田村が打たれたのが佐賀商業。佐賀商業は初優勝。
広陵の野村小林が打たれたのは佐賀北高校。佐賀北高校初優勝。
佐賀商と佐賀北は頑張れば歩いて行ける距離にあります。
今日のDeNA戦に先発するのは野村祐輔。
巨人の小林誠司はまた人身事故。
田村スカウトは今日も九州でお仕事中。
福岡真一郎さんの息子さんは昨年甲子園に出場されました。
みんなそれぞれの人生だなあ。しみじみ。
樟南高校。その他の有名なOBたち。
前田大和(2005年卒)
高校生の時からいい選手でした。1番ショート。足が速くて肩も強い。
守備は荒っぽいがセンスを感じました。カープに欲しかった。東出みたいになれると思いました。
プロに入ると内外野をどこでも守り、特にセンターが上手かった。守備範囲がものすごく広かった。
上野弘文、鶴岡慎也(1999年卒)
1999年夏の甲子園でベスト4。
鶴岡君はどことなく田村っぽかった。笑
上野君はこの頃から良いストレートでカープに欲しかった。
樟南は準決勝で優勝する桐生第一に2対0で惜敗。正田樹のチームでした。
鶴岡君は日本ハムで正田とバッテリーを組みました。
戸田隆矢(2011年卒)
中学時代は兵庫県の神戸須磨クラブに所属。
1個年上の野間峻祥に可愛がってもらってました。
プロ入り後は寮で転倒しんだり、トミージョン手術を受けたりと、散々な目に遭いました。
2020年現在、27歳。
かつて
「戸田隆矢はチェン=ウェインになれる」
と発言した師匠・久本祐一は先日FMラジオで塹江敦哉を大絶賛。
トッティはケガさえなければ今の塹江のポジションにいたかもね。
番外編 小野幸一(1990年卒)
この人は鹿商工ではなく鹿児島商業出身の投手。
20世紀の鹿児島県代表は鹿児島商工、鹿児島実業、鹿児島商業のBIG3が独占していました。
21世紀に入り川崎ムネリンの鹿児島工業が頭角を現し、代打オッシャーの今吉君が早稲田のハンカチ王子に敗れました。
羽月隆太郎の神村学園も21世紀になって強くなりました。
鹿実と樟南は21世紀でも強いですが、鹿児島商業は最近聞かなくなりました。
1990年ドラフト2位でカープに入団した小野幸一が鹿児島商業最後の大物でした。
右投げの本格派で私も大いに期待しました。背番号44。
しかしケガに泣き、4年で引退。
同年、高校時代の1個先輩、井上一樹が投手から打者に転向しました。