カープ選手名鑑を更新していて、いろんな記録や人間関係を調べていると、3名の「ちょっと不思議なOB選手」を発見しました。
私はこのお三方の現役時代を全く覚えておりません。
インターネット上で拾ったエピソードだけで記事を書きます。
ちょっと不思議な3人のカープOBたちです。
1.福島久晃
福嶋久晃 (ふくしまひさあき)
1947年生まれ。捕手。右投げ右打ち。PL→大昭和製紙→大洋→広島。背番号10
通算703安打。二ケタ本塁打6回。オールスター出場3回。
1975年~1981年まで7年間、大洋ホエールズの正捕手でした。超一流の選手です。
1965年、福島はPL学園3年生の時、第1回ドラフト会議でカープからドラフト8位指名を受けました。
んで福島は入団を拒否します。
ドラフト元年のこの年、カープは12球団最多の18人を指名。なんと8人に入団拒否されました。
でもカープはまだマシな方でした。他の11球団は半分以上の選手に入団拒否されています。巨人でさえ8人中3人が拒否しています。
理由は前年まで12球団と自由に入団交渉できていたのに、いきなり1球団に限定されたアレルギー反応のためだと思われます。
事実、福島は1年間だけ社会人野球でプレーし、翌1966年にドラフト外(事実上の自由交渉)で大洋に入団。就職先をキープしながらプロと入団交渉をしたものと思われます。
大洋も弱くて貧乏だと思いますが、19歳の福島君がカープがイヤで大洋が良かった理由は何なんでしょうねえ。出身地は和歌山県です。
PL学園時代、1つ年下の後輩に後にカープにもやって来る2000本安打の加藤秀司がいました。
とにかく、そんな福島がプロで18年間活躍した後、阪神から移籍してきた若菜嘉晴に正捕手の座を奪われます。
1985年、右の代打要員としてカープに移籍。
なんといきなり4/13の開幕戦で阪神のストッパー山本和行から代打サヨナラ安打を放ちました。
ちなみに開幕2戦目にも福島は山本和行から代打安打を打っています。
福島はシブく活躍しましたが1985年オフに現役引退。
カープ在籍はこの1シーズンだけでした。私の記憶に全く残っていない選手でした。
んでこの方、とんでもないエピソードの持ち主でございまして、ゴルフ好きなカープファンの方には常識かもしれませんが、福島選手の娘さんはプロゴルファーの福嶋晃子さんでございます。
2.小川邦和
小川邦和 (おがわくにかず)
1947年2月生まれ。投手。右投げ右打ち。尾道商業→早稲田大→日本鋼管→巨人→・・・
右サイドハンドの中継ぎ投手。NPBでは8年間で248試合に登板。2シーズンほど100イニング以上投げたシーズンがあります。
成績はかなり地味。
しかし、この方を解説者としてご存じの方は多いと思います。
小川邦和はかなり変人だったようです。
あの堀内恒夫がそう言ってるくらいですから。
25歳で巨人にテスト入団。中継ぎでそこそこ活躍。
1977年オフ、ミスター長嶋茂雄に向かって「長嶋さんの野球はしっちゃかめっちゃかだ」と言い放ち退団。小川はプロ5年目の30歳でした。
どうでもいいんですが広島の人って「しっちゃかめっちゃか」をよく使う気がします。私の親戚だけでしょうか?
大阪の人間で「しっちゃかめっちゃか」を使う人を私は見たことない気がします。「わや」とか「めちゃめちゃ」など便利な言葉がありますのでね。
とにかく小川は30歳で自由契約の身に。
1978年、小川はなんとビックリ、メジャーに挑戦。
小川邦和投手メジャー挑戦。巨人を昨年引退した小川が、マリナーズのキャンプに参加することになった。
黒田真二投手が日本鋼管福山を退社。崇徳高3年春選抜優勝、その年日本ハムD1指名を拒否入社。体調不良が理由
スポーツニッポン 78.3.16#タイムトラベル新聞#プロ野球 pic.twitter.com/0nQcM0OiPi— タイムトラベル新聞1978 (@shinbun_supotu) March 16, 2020
1964年にマッシー村上がMLBデビュー。
村上雅則のMLBデビューは「挑戦」と言うより「偶然」でした。
1978年の小川邦和が日本で最初の「大リーグ挑戦者」ではなかったでしょうか。私は当時を知りません。
小川は2年間アメリカ・マイナーリーグでプレーしましたが、メジャー昇格は叶いませんでした。
んで小川は1980年オフ、2年連続日本一の広島カープに入団。1981~83年までの3年間、主に敗戦処理で76試合に登板しました。
1983年オフ、小川は再び自由契約の身に。
すると36歳の小川、またしても海外挑戦。凄いね、この人。
30歳でもアホバカ呼ばわりされたのに、36歳で再び海外に挑戦。
さすがにアメリカの球団には拾ってもらえず、メキシコの独立リーグでプレー。
影響を受けた阪神の若菜まで海を渡りメジャー挑戦。
1984年には阪神の山本和行、1985年には西武の江夏豊がメジャーを目指す。
今日の「日本人メジャーリーガー」への道を開拓したのは実は野茂英雄ではなくこの小川邦和ではないのか?というお話でした。
小川邦和は早稲田大学文学部卒。
サルトルとか坂口安吾とかを読んでたらしいです。ソースはウィキペディア
野球界においては変人でも、一般社会においては視野の広い国際人だったのかもしれませんね。
巨人退団後のキャリアは、
バンクーバー・カナディアンズ→ホールヨーク・ミラーズ→広島東洋カープ→アグアスカリエンテス・レイルロードメン→オブレゴン・ヤキス
実に複雑怪奇であります。笑
3.沢幡誠士
長くなりました。沢幡選手については一言で終わります。さわはたせいし。
この人、高橋慶彦の真っ赤なポルシェ伝説をでっち上げた人です。
ソースは慶彦チャンネル。
慶彦曰く、
「夜中に広島から東京までポルシェを飛ばした話は真っ赤なウソ」
だそうです。
真っ赤なポルシェは真実。
夜中に東京まで彼女に会いに行ったのも真実。
しかし「夜中にポルシェで」がウソ。本当はタクシーだったそうです。それも名古屋から東京。
尾ひれを付けて話を大きくした人物が、当時の飲み仲間・沢幡誠士投手だったそうです。