藤川球児は阪神をクビになりかけたことがある

阪神の藤川球児は昔、阪神をクビになりかけたことがあります。

関西では有名な話で、鳴かず飛ばずだったプロ5年目の藤川球児はトレード要員と見られていました。なんでもトレードのオファーを出してきたのは広島カープらしい。

これにストップをかけたのが岡田彰布監督でした。岡田は二軍監督時代からずっと藤川の才能を高く買っていたのです。

 

5年目の藤川

2002年、藤川球児プロ4年目。

背番号92に変更した藤川はシーズン後半、一軍ローテに定着し12試合に先発。1勝5敗。防御率3.71。売り出し中の栗原健太にプロ初本塁打を献上する。

 

2003年、藤川球児プロ5年目。

大学生ルーキーが大豊作で和田毅が14勝5敗、永川勝浩が3勝3敗25セーブ、新垣渚8勝、木佐貫10勝、村田修一25本塁打。

PL→立教の上重アナは日テレ入社。高知商業の同級生、広末涼子はできちゃった結婚。

この年の藤川球児は17試合で1勝1敗、防御率3.38

23歳の藤川球児は阪神の「構想外」になりかけていました。

そこにストップをかけたのが岡田監督でした。

「あかんで、そんなん。コイツをクビにしたら阪神の歴史が変わるで、おーん」

 

6年目の藤川

2004年、藤川球児プロ6年目。

この年、藤川は運命の人に出会う。それが山口高志コーチである。

山口コーチと藤川は二人三脚で新しいフォーム作りに着手。ここで代名詞の「火の玉ストレート」が完成する。

藤川は8月にリリーフ投手として一軍に定着。2か月間で26試合に登板し、防御率2.61、WHIP1.13の活躍。来季への飛躍を大いに予感させるものでした。

 

2005年、藤川球児プロ7年目。

この年が藤川が80試合登板でブレイクした年。この年、藤川は 25歳 でした。藤川は意外と遅咲きだったんですよ。

 

5年目の小林樹斗

ハイ。前置き終わり。ここから本題。

戦力外通告を受けていた小林樹斗がカープと育成契約を結んだと発表されました。めでたい。

前川誠太も育成契約。前川の場合は「ちょっぴり残念な育成契約」かもしれない。前川の場合は支配下契約を目指していましたのでね。

小林樹斗の育成契約は嬉しい育成契約。もう1~2年チャンスをもらえました。

 

小林樹斗は2022年と2023年に2年連続で右肘の手術をしました。

んで今年2024年夏に復帰。10月のフェニックスでも投げて、11月に第二次戦力外通告。育成契約するんなら、その時に言ってくれよ。ビックリしたぜ。

 

藤川が遅咲きだった理由も体が細いことや右肩痛が原因でした。

でも新しいフォームを手に入れた藤川球児は伝説になりました。樹斗にだって可能性はあるっての。

戦力外通告を受けた後、オールスターに出た選手はゴマンといます。宮地克彦、山本和範、入来兄。山本和範は年俸2億円まで行きましたよ。

まだまだやれるぞ、小林樹斗。

野村祐輔コーチがお前の運命の人かもしれないな。


おしまい
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ありがとうございました。

-がけっぷち