村田兆治の思い出

3日前、村田兆治(72)が羽田空港で現行犯逮捕されたと報道されました。

私の第一印象は「そんなのウソに決まってる」でした。

村田兆治がそんなことをするはずがない。まーたマスコミがウソをついている。ひょっとしたら空港職員がウソをついてるかもしれない。あるいは巨人の陰謀。

ネットでは野球の記録で話したい広尾晃さんを筆頭に、薄っぺらいデータを鵜呑みにする若者たちが一斉に村田兆治を「老害」呼ばわりしている。

ちょっと待て。

お前ら見たんか、聞いたんか? 村田兆治の生き様を。

私はシューレスジョーが八百長に関与してると言われた小学生の気分ですよ。

 

昭和生まれの明治男

今巨人でコーチやってる村田修一って人がいます。

あの人のニックネームは「男・村田」ですよね。

なんであの人が「男」なのか、ご存じです?

 

村田兆治が「男」だったからですよ。

昔「吹けば飛ぶような、将棋の駒に」って歌が流行し、みんなで村田兆治を称えたものです。

映画「居酒屋兆治」では高倉健が主人公の兆治を演じ、大阪のヒーロー河島英五は「村田兆治vs清原和博のラプソディー」を歌っていました。

パリーグには名物審判・村田康一さんもいました。昭和は村田の時代だったのですよ。

 

村田兆治は不屈の男でございまして、NPBで一番最初にトミージョン手術を受けた男。

同じ頃アキレス腱を切った門田博光と投げる腕にメスを入れた村田兆治。あの頃もマスコミはみな揃って「こいつらはもう終わりだなw」と報じていました。

だが門田と村田は帰ってきました。

門田はアキレス腱断裂後に1000安打と300本塁打を積み上げ、村田兆治は3年間のブランクの後35歳で17勝をマークして復活しました。

 

週刊ゲンダイは「暴力を振るうような男だから、村田は引退後、監督もコーチもできなかったんだぜw」とアホなことを書いています。

村田兆治、門田博満、衣笠祥雄、前田智徳。

彼らはストイックすぎる特別な選手だったのです。彼らの指導に付いてこられる若者など100人に1人しかいません。

落合博満も同タイプ。オレ流。落合も長年コーチをやりませんでした。実は落合も監督コーチには不適格なタイプだったのかもしれませんね。

 

村田兆治は広島出身

そんな村田兆治さんですが、実は広島出身で幼少期はカープファンでありました。

出身校は福山電波工業。現近大福山。

大阪の「三ッ寺」という場所に「兆治」という居酒屋さんがありまして、非常に高級感溢れる看板に圧倒されて、私はまだ一度も暖簾をくぐったことがないのですが、グーグルで調べてみればなんてことはない一人3000円のホルモン鍋のお店だそうです。

お店のご主人が近大出身で村田兆治の大ファン。大学の後輩の糸井嘉男や佐藤輝明も食べに来たことがあるそうです。

なーんだ、知らんかったわ。今度村田兆治の話をしに行ってみよっと。

兆治さんのすぐ近くにある明石焼きの「味穂」さんや、三ッ寺会館の怪しいスナックには若い頃よく行きました。

 

水島新司の漫画「あぶさん」にも村田兆治は特別な登場をしていて、当時パリーグのエースだった山田久志、東尾修らを抑えて「あぶさんの最大のライバルは村田兆治」という描かれ方をしていました。実際、南海とロッテが張り合ってた時代でしたし、後にあぶさんの師匠、野村克也がロッテに移籍したことも大きい。

村田兆治は金田正一監督と師弟関係にあったそうで、金田監督のお葬式で弔辞を読んだのは村田兆治だったそうです。

村田兆治の相棒は袴田英利捕手。袴田は大学で江川卓の球を受け、プロでは村田兆治の球を受けた名捕手。そんな袴田捕手の出身校は静岡県自動車工業高校。決して野球の名門高ではなく、同校からプロ入りした選手は袴田と長嶋清幸の二人だけであります。

  

村田兆治の台名詞と言えばマサカリ投法、フォークボール、ワイルドピッチ。そして何と言っても始球式であります。

現役引退後、始球式に呼ばれる度に140km超のストレートを投げ続け、星野伸之や山本昌広より速いストレートを投げ続けた村田兆治。

著書の中に「還暦力 60歳で140kmを投げる方法」という本がある。誰が読むんだ、コレ?笑

60歳で140km出せる人間は村田兆治と大野豊の二人だけでしょう。マネできるはずありません。

 

地団駄踏んで人生

最後に暴投・・・じゃなかった冒頭で触れましたが、

37歳の村田兆治vs18歳の清原和博の対決を歌った歌があります。

1985年に高校3年生の清原が甲子園で1試合3本塁打を放ち、1986年にプロ入りすると1年目から31本塁打を放った清原。

令和の今で言うと三冠王の村上宗隆や、アメリカで15勝&30本塁打の大谷翔平もかなり凄いですが、1985~6年の清原はもっと凄かったんですよ。王貞治を超えるんじゃないかと言われたほどです。

その清原に対し、37歳の村田兆治はなぜかストレートしか投げませんでした。

38歳の山田久志もそうでした。130kmしか出ないのに山田は清原にまっすぐ一本で勝負したそうです。

理由はもちろん「清原が小僧だから」です。

 

プロ野球のエースが18歳の小僧に決め球なんか投げるかよ、という男の矜持。

プロ野球のエースが空港職員に暴力など振るうはずないのです。

村田兆治vs清原和博を歌った歌は河島英五さんの「地団駄」です。じだんだ。

バブル経済へと向かうマハラジャ時代に、不器用な歌を歌う河島英五もまた昭和の男でありました。

私も当時はカラオケ屋さんで河島英五の「時代遅れ」をよく歌ったものですが、みんなが歌うのはB'zやTMで温度差を感じましたね。笑

 

昭和時代は暴力でなかったことが、令和の今では暴力と言われます。

私が小学生の頃はつまらないことで担任の先生からよくグーパンチされてましたよ。でもそれを暴力だなんて思ったことは一度もないですね。俺が悪いことをしたから大人に殴られたんだと理解してました。

 

村田兆治が空港職員の肩を押したことはおそらく事実なのでしょう。

それを「ひぃぃぃ! これは暴力、暴力だーー!! 警備、警備ぃーーー!!」とキャンキャンわめいたのが若き空港職員の方なんじゃないですかね。見てないから知らんけど。

村田兆治は一般人、しかも女性に暴力を振るうような人間ではないですよ。会ったことは一度もないけど、私はプレーを見ればその選手がどんな人間なのか手に取るようにわかるのです。

村上宗隆の打撃技術は凄いけど、人間としてはまだまだ幼いです。見りゃわかるんですよ。

村田兆治はマスコミで言われてるような傲岸不遜な人では決してありません。村田兆治を40年見てきた私にはわかるんです。


おしまい
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ありがとうございました。

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