山本由伸の連投について

2025.11.2(日) 

トロント 4-5 ドジャース トロント

ドジャースがWS優勝。連覇は球団史上初でMLBでも2000年ヤンキースの3連覇以来だそうだ。

 

2000年のワールドシリーズ

25年ぶりのワールドシリーズ連覇。

25年前に何があったのか?

3連覇のかかったヤンキースの相手はニューヨーク=メッツでした。

ともに本拠地をニューヨークに置くチームだったので、2000年のワールドシリーズは「サブウェイシリーズ」と呼ばれて日本でも大きな話題となった。

 

ヤンキースが4勝1敗でメッツを破り、WS3連覇。MVPはデレク=ジーター。

敗れたメッツの1番打者は元カープのティモ=ペレスで、3番バッターはマイク=ピアッツァ。6番が元ロッテのベニーで、監督はボビー=バレンタインでした。

イチローはまだオリックスにいました。

 

2025年のワールドシリーズ

2025年のワールドシリーズはドジャースが優勝。2連覇は初めてらしい。かなり意外でした。

山本由伸が3試合に登板して3勝。MVP。

由伸の個人記録をメモしておく。日付は日本時間

 

2025年WS 山本由伸

第2戦(10/26) ○9回1失点 105球

第6戦(11/1) ○6回1失点 96球

第7戦(11/2) ○2回2/3 0失点 34球

 

由伸はPOでも完投勝利を含む2勝1敗の活躍。PSG計5勝。

2025年WSの大きな転換点が 10/28の第3戦 でした。

ドジャースタジアムで延長18回の死闘。両軍の投手が底を突き「WSで野手が投げるのか?」という雰囲気が漂い始めました。

その時、2日前に9回完投勝利していた山本由伸が「投げます」と志願。チームメイトも投手コーチも全員で止めましたが、ブルペンに投手は1人も残っていませんでした。

結局18回裏にサヨナラホームランで決着がついたため、山本由伸の登板はありませんでしたが、由伸は19回表に向けた登板準備を完了していました。

 

日米の野球ファンはこのやり取りをずっと見ていました。

だから2勝3敗で迎えた第6戦の由伸の好投に感動しました。3勝3敗。

第7戦がまたしても延長戦。由伸は9回裏からマウンドに上がり11回裏まで2回2/3を投げました。先発で100球投げた翌日にリリーフで34球投げました。

 

9回裏4対4、1死満塁、打者7番バーショ。

ハッキリ言って由伸のタマはヘロヘロでした。

「そりゃそうだよ。いくら由伸でも無理だよ」

と私は思いましたが、味方のファイプレー連発で由伸はピンチを切り抜けます。

まず1死満塁でセカンドゴロ。ホームでタッチアウトになった3塁走者は代走で出てきた選手でした。

スタートは悪くありませんでしたが、スライディングがヘタ過ぎてビックリしました。

お前、主力選手に代わって出てきた代走じゃなかったっけ? 遅すぎる。羽月なら悠々セーフでした。由伸ツーアウト。

 

2死満塁から由伸はカーブを打たれる。

「終わった、サヨナラだ」

私はそう思ったが、レフトもセンターも最後まで諦めず全力で背走する。

最後にランニングキャッチした選手は、守備固めでこの回の1死満塁から登場した子でした。

いやドジャースは代えてて良かったね。この采配の機微でブルージェイズは幸運を逃しました。

 

ブルージェイズは第6戦でも走塁ミスで1点差負けしています。

第7戦も9回裏の先頭打者ゲレーロJrの飛球がスタンド手前で失速。あれが入ってりゃ感動的だったのに惜しかったねえ。

その時、佐々木朗希は何をしていたかって?

佐々木はブルペンで由伸のアップを眺めてました。「朗希が行けよ」という考えもわかるが、第6戦のタマを見てると同点の9回裏に朗希は出せない。

朗希も慣れないリリーフで連投してました。危なっかしくてやっぱ由伸という気持ちも十分理解できる。

 

レギュラーシーズンなら絶対やらない継投ですが、ワールドシリーズ第7戦はハッキリ言って「何でもあり」です。絶対に負けられない戦い。

由伸クラスなら1回くらいムチャしても大丈夫です。

過去にもムチャな連投をした偉人は大勢います。今からそれを 証明 します。

 

2001年のランディ=ジョンソン

ここからが本題です。

今日も昔の話をします。長文です。

2001年のWSでビッグユニットこと ランディ=ジョンソン も第6戦に先発勝利して、第7戦で優勝投手になっています。今回の由伸とそっくり。

個人記録も書いておく。

★2001年WS ランディ=ジョンソン

第2戦(10/28) 〇9回0失点 111球

第6戦(11/3) ○7回2失点 104球

第7戦(11/4) ○1回1/3 0失点 17球

  

ランディ=ジョンソンもこの年WS優勝とMVPを獲得。PS5勝。

ランディはシーズンも21勝してサイヤング賞。ランディが鳩にボールをぶつけてしまう有名なシーンは2021年のオープン戦でした。ランディはこのシーズンも殺人的なタマを投げていました。

ワールドシリーズで連投したランディは、翌年どうなったか?

2002年のランディ=ジョンソンは前年を上回る 260回24勝 をマークして、5回目のサイヤング賞に輝きました。WSで1回くらムチャしてもどうってことないのですよ。

 

2013年の田中将大

続いては日本から。

「先発勝利した翌日に胴上げ投手になった投手」と聞いて、日本人が真っ先に思い出す名前は2013年の 田中将大 でしょう。当時楽天イーグルス。

田中はレギュラーシーズンでもリリーフで胴上げ投手になっています。2013年9月26日の西武戦。県営宮城球場。

この胴上げ投手は、田中が先発した翌日ではなく「先発予定の前日」でした。

星野監督が胴上げはマー君で行くと決めて、田中をブルペンに入れていました。

 

先発翌日の胴上げは日本シリーズでの出来事です。

田中は日本シリーズ第6戦に先発しました。対巨人。

ここで完投してマー君が胴上げ投手になる予定でしたが、まさかの惜敗。9回4失点160球で敗戦投手。

レギュラーシーズン24勝0敗の男が今年初めて負けました。菅野→山口→マシソンで2対4。

 

翌日の第7戦、田中はいちおうベンチ入りします。10点くらいリードすれば胴上げ投手になれるから。

8回終わって3対0。楽天リード。美馬が6回、則本2回。

3点差は微妙なリード。

「田中が出てくるのかな。則本でいいのになあ」と思って見ていたら、出てきたのは田中将大。

前日160球の田中が第7戦にリリーフ登板して胴上げ投手になりました。個人記録は以下の通り。

2013年日本シリーズ 田中将大

第2戦(10/27) ○9回1失点 127球

第6戦(11/2) ●9回4失点 160球

第7戦(11/3) S1回0失点 15球

 

この年のマー君はメジャー挑戦が決まっていたので、完投翌日のマー君を連投させたことで星野監督はアメリカのマスコミからボロクソに批判されました。

だが12年後の今、お前らは山本由伸の連投を賞賛してるじゃないか。アメリカなら良くて日本じゃダメなのか。日本シリーズをナメるのも大概にせい。

 

日本シリーズでムチャな連投をした翌年のマー君はどうなったのか?

ニューヨーク=ヤンキースで13勝5敗である。

ちょっと肘を痛めてオールスターを辞退もしたけど、1年目にしては及第点じゃないか。

田中将大は7年契約で6年連続2ケタ勝利。約束は十分守りましたよ。

 

1989年の阿波野秀幸

昭和63年(1988年)の阿波野秀幸は先発完投から中1日でダブルヘッダー2連投。しかし最後は敗れた。

平成元年(1989年)の阿波野は10/12の西武戦(西武)で先発勝利。中1日で10/14のダイエー戦(藤井寺)で2回投げて胴上げ投手。

阿波野は翌年以降、徐々に成績を落としました。

阿波野の場合は先発の後のムチャなリリーフ起用もあったんですが、そもそもルーキーイヤーからの最初の3年間で720イニング投げてますので、こっちの方が原因かなと思います。 

1989年の阿波野秀幸

西武25回戦(10/12) ○7回0失点

ダイエー26回戦(10/14) S2回2/3 0失点

1989年の阿波野は19勝しましたが、パリーグMVPは49HRのブライアントでした。

 

日本シリーズで4勝した人

最後に2人。日本シリーズで4勝した人を私は知っている。

稲尾和久杉浦忠 である。

さすがの私も生まれていないので、記録だけ貼っておく。

1958年日本シリーズ 稲尾和久

第1戦(10/11) ●4回3失点 先発

第3戦(10/14) ●9回1失点 先発

第4戦(10/16) ○9回4失点 先発

第5戦(10/17) ○7回0失点 救援

第6戦(10/20) 〇9回0失点 先発

第7戦(10/21) ○9回1失点 先発

 

稲尾は落合博満が師事する大投手。川口和久の名前は稲尾から付けられました。

巨人の四番はルーキー長嶋茂雄でした。長嶋は第1戦から第7戦まで全部四番サード。

 

1958年の稲尾は日本シリーズ7試合に登板して4勝2敗。 

「当時の野球はアバウトなんだよw」

と笑うなかれ。

昭和の野球でもさすがに「2日連続先発完投」は珍しいことでした。先発→リリーフ→先発の3連投が基本。

稲尾は第3戦と第4戦に連続完投しましたが、第3戦と第4戦の間には移動日の「中1日」があります。移動日があったため「2試合連続先発完投」が可能でした。

 

第5戦の「7回0失点」は3点ビハインドの4回からリリーフ登板。1勝3敗で後がなかったため稲尾が投げました。んで延長11回までもつれたため、予定外のロングリリーフ。

第5戦と第6戦の間にはよく見ると「中2日」あります。移動日と雨天中止があったので第6戦は休養十分でした。

「ほな第7戦の完投勝利はなんやねん?」

これは私にもわかりません。0勝3敗から3勝3敗に追いついた勢いとノリでしょう。三原マジックなのかもしれません。

 

1959年の杉浦忠

第1戦(10/24) ○8回2失点 先発

第2戦(10/25) ○5回1失点 救援

第3戦(10/27) ○10回2失点 先発

第4戦(10/29) ○9回0失点 先発

杉浦忠さんは長嶋と立教同期。長嶋は南海を裏切って巨人入団。杉浦は律義に南海入団。

南海が身売りされた1988年、南海最後の監督が杉浦忠。福岡ダイエーの初代監督も杉浦。

 

1958年、西鉄稲尾の4勝は日本シリーズ3連敗からの4連勝。

1959年、南海杉浦の4勝は日本シリーズ4勝0敗の4勝。

巨人のV9が始まるのは1965年から。もう少し先のことでした。

 

杉浦さんの4連投4連勝も子供の頃から何度も聞かされた。

杉浦さんの場合も第3戦と第4戦の間に雨天中止が1試合ある。

昔の人でもやはり投手をめちゃくちゃに酷使することはなかったんだなあ。