唐突ですが今日は巨人の新ヘッドコーチ元木大介さんの思い出を語ります。
私、元木と同学年でしかもわりと近所の高校に通っていました。
甲子園のスター
元木大介は大阪市の私立上宮高校出身。
私も公立高校に失敗したら上宮高校に通うはずでした。
元木の同級生でチームメイトと言えばご存じ種田仁。
1番サード種田仁。4番ショート元木大介。
元木は甲子園に3回出場。甲子園通算6本塁打。
これは甲子園100年の歴史で2位タイの快記録。他の2位の人は桑田真澄と中村奨成。
4回出場した松井秀喜は4本塁打ですからね。3回出場で6本塁打はかなり凄い。
元木は昭和63年と平成元年に甲子園出場。
当時の甲子園球場にはまだ清原和博の残り香が強烈に漂っていて、全国の高校野球ファンは
「もう一度あんな怪物を見たい!」
と強く感じていました。
そこに現れた元木大介。
歌舞伎役者のようなイケメンでホームランバッター。そりゃもうアイドル的な人気でした。
ただ元木の他にも大阪にはアイドル的な高校生が二人いて、うちの学校の女子はみんなそっちへ行ってました。
上宮高校からわずか100mの場所にある清風高校ってとこに池谷君と西川君っていう有名なコンビがいたんですよ。
たぶん上宮高校は学校のグラウンドで練習していないと思います。私、元木を見たことないですから。
でも清風コンビは学校の体育館で練習していたんですよ。私、西川君を見たことありますもん。
なのでスポーツファンは上宮よりも清風高校によく行ってたんじゃないかと思います。30年前の記憶ですみませんけど。
ドラフト会議での元木
そしてプロ野球ドラフト会議にもまだ清原の残り香が漂ってました。笑
巨人が桑田を指名した時の清原の顔。
巨人が大森を指名した時の元木の顔。
まるっきり同じでした。
今でも覚えてます。元木とキヨのあどけないふくれっ面。
18歳はまだ子供ですけど、甲子園の大スターにしては清原も元木も無邪気というか純朴すぎました。
私、実は元木をカープに欲しかったんです。右の大砲でポジションはショート。慶彦の後継者を早く欲しかったんですよ。
元木は田淵ダイエーから1位指名を受けるも入団拒否。巨人逆指名と入団拒否。私の一番キライなパターンで悪の殿堂入り。
元木がハワイでフラフラしている間、パリーグに野茂旋風が吹き荒れ、セリーグは与田と佐々岡の新人王争い。
1991年、無事巨人に入団した元木はプロ初打席となったオープン戦でロッテ小宮山悟のスローカーブをしゃがんでよけるもど真ん中ストライク。全国放送でこの恥ずかしいシーンが何度も何度も放送された。
四番元木で清原路線のはずが、いつの間にやら2番ショートで右打ちや送りバントを繰り返す。
2005年、33歳で引退するとヘキサゴンとラーメン店。
2018年、少年野球の指導者として活躍すると2019年には原監督に招聘されてリーグ優勝。
2020年はヘッドコーチ就任。
10年間のバラエティー生活からたった2年で巨人のヘッドコーチ。
浪人して良かったのう、元木。
清原も助けてやれよ。