上宮高校の話

今日も唐突に 上宮高校 の話をします。

カープファンなら誰でもよく知っていますよね。

 

上宮高校のOBたち

若い方は知らないかもしれなしが、上宮高校は大阪市内にある私立高校である。今は知らんが昔は偏差値60くらいの進学校だった。

読み方は「うえのみや」高校。甲子園には春8回、夏1回出場している。優勝も1回。

OBには 元木大介黒田博樹 がいる。西山秀二や笘篠兄弟も上宮。

 

実は私も上宮高校に合格したことがある。その時は第一志望の公立高に受かったので上宮には行きませんでした。行ってたら元木や種田とチームメイトになるところでした。

私が中学3年生だった1986年の夏はPL学園の余熱が凄くて、大阪の高校野球はPL一択でした。

私のような野球マニアでさえ、1986年の雰囲気は

「上宮って聞いたことあるな。2~3回春のセンバツに出てたかな?」

という認識でした。

 

ポスト清原、ポストPL

元木と種田の代が上宮最強世代。

彼らが高校2年生になるまで、大阪はPL学園の天下でした。

 

歴史を整理すると以下の通り。

1985年夏、Pl学園が全国制覇。「甲子園は清原のためにあるのか?」の年。

1986年春は池田高校、1986年夏は天理高校が優勝。

1987年春はPL学園が優勝。3年生の立浪片岡、野村橋本。私と元木は高校1年。黒田博樹は中学1年。

1987年夏もPL学園。いわゆる一つの春夏連覇。高校2年の宮本慎也もサードで出てた。

 

最強PL。私も野球部。

桑田清原が小学6年生の時、立浪片岡が小4で、私と元木が小2だったのです。黒田博樹は4歳。

1980年代のプロ野球は広島カープが最強でしたが、高校野球は完全にPLでした。そこに風穴を開けたのが 上宮高校 だったのです。

俺も上宮に行ってたらプロに入って、黒田に向かって「おい、クロ!」とか言ってたかもしれないなあ。いや黒田は怖いんだけどさ。

 

元木大介は巨人を退団して、今年から上宮高校野球部のB会長に就任したらしい。元木でも絶対に「おい、クロ!」は言えないはずである。黒田はマジで怖いんだよ。

 

高校野球の監督

私の息子が今、中3なんですよ。

んで「上宮高校とかどうかなあ」と思って、この記事を書きました。息子は野球をやってません。

 

元木と種田のチームは春に準優勝。夏はベスト8。仙台育英の大越基にひねられた。

大越はアツかったなあ。俺らの代で一番アツかった。帝京吉岡に負けたけどさ。

熊工の前田智徳は涼しかった。俺は尽誠学園の宮地克彦を応援してた。西短附の新庄剛志はまだ無名でした。

 

私と元木の3年後、黒田博樹が高校2年生になりました。

チームのエースは元日本ハムの西浦。黒田は背番号15番の控え投手。上宮は秋の近畿大会で準優勝するが、暴力事件で春のセンバツを出場辞退。

暴力をふるったのは選手ではなく 監督 でした。昔はこういうことがよくあったのです。すまんのう、黒田よ。

 

高校野球の監督ってプロとはまた別の難しさがあります。

黒田が卒業した翌年、上宮高校は元木も黒田もできなかった全国制覇を達成します。1993年春、平成5年の春でした。

この時のチームにプロ野球選手はいない。

1993年世代はよくわからない。ドラフト会議で1位指名されたのはカープ山根雅仁、オリックス平井、阪神平尾、西武松井。

カープが下位指名したのが福地和広(寿樹)でした。

 

黒田の時に暴力沙汰を起こした山上監督の教え子の一人に、田中秀昌さんという方がいて、長い間近畿大学の野球部監督をしておられました。

2023年に66歳で勇退されましたが、田中監督の教え子には佐藤輝明や勝田成がいました。

 

現在の上宮高校

上宮高校は1997年春のセンバツを最後に甲子園に出ていません。

大阪桐蔭、履正社、柏原などの強豪がひしめく大阪府で、たった1校しか出られない夏の選手権予選はかなりキビシイ。

春のセンバツは近畿大会ベスト4が安全圏なのですが、そもそも大阪でベストスリーくらいに入ってないと、近畿大会に出ることもできない。センバツはセンバツで難しさがあります。

 

上宮は元々スカウト活動とかに熱心じゃなかったのかもしれない。PLや大阪桐蔭は全国レベルでしたが、上宮の選手はみんな大阪の子でしたから。