1988年9月13日(火)
西武1-0近鉄 西武球場 20,000人
1位西武。61勝43敗6分。勝率.587。残り20試合。
2位近鉄。53勝47敗3分。勝率.530。残り27試合。6.0ゲーム差。
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1988年9月のパリーグ
9月13日(火)、南海ホークスの身売りを発表。
9月14日(水)、阪神・掛布雅之選手(33歳)が現役引退を発表。
9月16日(金)、近鉄・山崎慎太郎が日本ハムを相手に完投勝利。西武は試合なし。5.5ゲーム差。
9月17日(土)、近鉄サヨナラ勝ち。西武は試合なし。5.0ゲーム差。甲子園では緒方孝市(19歳)がプロ初本塁打。
9月18日(日)、近鉄・ブライアント23号で3連勝。西武は工藤公康(25歳)が延長10回完投勝利。5.0ゲーム差のまま。
この3連戦は近鉄の本拠地・藤井寺球場で行われた。16日(金)の観衆は5,000人。17日(土)は9,000人。18日(日)は18,000人。
藤井寺球場の最大収容人数は32,000人。当時のパリーグとしては日常的なガラガラスタンド光景でしたが、ファンもまだ西武を本気で追いかける気持ちは薄かったようだ。
近鉄は日生球場で南海に2連勝。観客10,000人。
西武は東京ドームで日本ハムに痛恨の2連敗。これで3.0ゲーム差。
ちなみに東京ドーム元年のこの年はハムの試合も連日30,000人超。
近鉄は西宮球場でも阪急に2連勝。23日(祝)は20,000人。25日(日)は10,000人。
西武も大阪球場で南海に2連勝。3.0ゲーム差。
9月26日(月)。西武は南海に1対0で競り負ける。加藤伸一&井上祐二の完封リレー。試合のなかった近鉄と2.5ゲーム差。
9月29日(木)
ロッテ3-11近鉄 川崎 3,000人
西武7-8日本ハム 西武 14,000人
これで1.5ゲーム差。この間、近鉄8連勝。西武3勝4敗。
[9月末時点の順位表]
1位西武。64勝47敗6分。勝率.577。残り13試合。
2位近鉄。61勝47敗3分。勝率.565。残り19試合。1.5ゲーム差。
1988年10月のパリーグ
10月1日(土)
近鉄0-6西武 藤井寺 32,000人
渡辺久信(23歳)が2安打完封。14勝7敗。阿波野秀幸(24歳)9回表に力尽く。13勝10敗。2.5ゲーム差。
10月2日(日)
近鉄10-5西武 藤井寺 32,000人
1回表に西武が4点先制するが、2回裏に近鉄が一挙7点を取り逆転。再び1.5ゲーム差。
10月4日(火)
日本ハム0-1近鉄 東京ドーム 30,000人
西武6-9阪急 西武球場 20,000人
残り試合の多い2位近鉄に優勝マジック14が点灯。首位は依然西武。0.5ゲーム差。
10月5日(水)
日本ハム0-2近鉄 東京ドーム 35,000人
ついにゲーム差ナシで近鉄が首位に立つ。マジック13。小野和義(23歳)が西崎幸広(24歳)に投げ勝ち3安打完封。
強力打線のイメージだが、1988年の近鉄のチーム防御率3.23はパリーグ2位である。
近鉄vs西武。最後の直接対決
10月7日(金)
西武5-2近鉄 西武球場 25,000人
10月8日(土)
西武4-2近鉄 西武球場 28,000人
シーズン最後の直接対決。近鉄は痛恨の2連敗。
雨天中止ゲームの多かった近鉄は10月7日(金)から13日間で15試合という超過密スケジュールに立ち向かうこととなった。
しかし1戦目は渡辺久信が完投で15勝目。2戦目も郭泰源(26歳)が完投で12勝目。
清原和博(21歳)は阿波野から意表を突く二盗を決め、郭泰源は「とにかく優勝したい」と力強くコメント。
リーグ3連覇を果たしたライオンズだが貪欲なまでの勝利への執念で近鉄特急の勢いを完全に沈黙させた。
[10月8日時点の順位表]
1位西武。67勝49敗6分。勝率.578。残り8試合。
2位近鉄。64勝50敗3分。勝率.561。残り13試合。2.0ゲーム差。マジック13。
近鉄、怒濤の追い上げ
2位近鉄は残り13試合でマジック13。
残り11日間で13試合を消化しなければならない近鉄のスケジュールは以下の通り。
●10月9日(日)~10日(月)ロッテ3連戦 藤井寺
●10月11日(火)~13日(木)ロッテ3連戦 川崎
●10月14日(金) 阪急1試合 藤井寺
●10月15日(土)~16日(日) 南海2連戦 大阪
●10月17日(月) 阪急1試合 西宮
●10月18日(火)~19日(水) ロッテ3連戦 川崎
移動日ナシ。
近鉄は西武戦の連敗後、怒濤の7連勝。ちなみに藤井寺って大阪府ですよ。近鉄選手は西宮と大阪球場には自宅から通勤できます。
王者西武もなかなか負けない。
この間の西武は試合の序盤に大量リードしたり、デーゲームで近鉄のナイター前に勝利を決めたりしていて、近鉄サイドにとっては「勝っても差が縮まらない」というジリジリとした展開を見せていた。
しかし10月12日(火)の南海戦でついに西武が敗れる。延長10回サヨナラ負け。
だが近鉄も苦しい。主砲のオグリビーが体調不良の上、10月14日(金)にはチームリーダー金村義明(25歳)が左手有鉤骨骨折で一軍登録を抹消された。
西武は残り8試合を6勝2敗でフィニッシュ。130試合を終えて73勝51敗6分。
[10月16日時点の順位表]
1位西武。73勝51敗6分。勝率.589。残り0試合。
2位近鉄。72勝51敗3分。勝率.585。残り4試合。0.5ゲーム差。マジック3。
そして伝説の10.19へ・・・
残り4試合でマジック3。阪急1試合。ロッテ3試合。いずれも敵地でのゲーム。
こう書くと厳しい数字に思えるが、とにかくこの時のミラクル近鉄は負ける気がしなかった。
しかし立ちはだかったのは阪急・星野伸之(22歳)。
10月17日(月)
阪急2-1近鉄 西宮 15,000人
この時、阪急の選手は2日後に自分たちがオリックスに身売りされることをまだ知らない。
阪急は石嶺和彦(27歳)が阿波野から22号2ランを打ち先制。近鉄もブライアントの31号ソロで1点を返すが反撃もここまで。星野完投。近鉄敗れる。後がなくなった。
近鉄ナインは15連戦の12試合目であったため、西宮に宿泊せずナイター後に京都までバス移動して宿泊したそうだ。
少しでも川崎に近づいておきたいという球団の温情だったそうである。
残り3試合でマジック3。
10月18日(火)
ロッテ2-12近鉄 11,000人
この期に及んでもまだ川崎球場はガラガラ。笑
昭和のパリーグはかくも悲哀に満ち満ちていた。さあ優勝マジックは2。残り2試合である。
10月19日(水)
ロッテ3-4近鉄
ロッテ4-4近鉄 川崎 30,000人
プロ野球史上最もアツい日は「1988年の10.19」でしょう。
カープファンの私でもそう思う。
見てましたよ。梨田のタイムリーも、安部アナウンサーの「ディスイズプロ野球!」も、高沢秀昭(30歳)の同点ホームランも、淡口のスーパーキャッチも。
しかし近鉄の怒濤の追い上げもあと一歩及ばず西武ライオンズ4連覇達成。
3日後の10月22日(土)は日本シリーズ第一戦。清原和博が中日の小野和幸(26歳)から特大ホームランを打ちました。
とにかく1988年の近鉄バファローズは1ヶ月ちょっとで6.0ゲーム差を追い付きました。
9月16日から10月19日までの近鉄の成績は21勝5敗1分。勝率は驚異の8割超!(笑)。西武も12勝8敗で勝率6割でした。
2019年5月のカープの成績は20勝4敗1分です。今、もう一度やりましょう。
おしまーい。