また40年前のネタで恐縮です。
坂倉将吾が炭谷塾から帰還してチームに合流。やっと出た坂倉ネタ・・・からなぜかヤットデタマンを思い出しまして、私の記憶はまた40年前の彼方に飛んじゃったんです。
昭和50年代の日本は野球まみれでした。今日はタイムボカンシリーズとピンクレディーの話。
ピンクレディーの年表
1976年8月。ミーちゃんとケイちゃんのピンクレディーが鮮烈デビュー。ペッパー警部。
1976年11月にSOS、
1977年3月にカルメン'77、6月に渚のシンドバッド、
3ヶ月おきに新曲を出してテレビを支配し続けるピンクレディー。
無関係ですがキャンディーズの「普通の女の子に戻りたい!」は1977年7月。
この頃の広島カープは最下位を独走中。9月には王貞治(37歳)が通算756号。
1977年9月にウォンテッド、1977年12月にUFO。
んで年が明けて1978年。いよいよ私がカープファンになる年。
3月に飛び出したのがピンクレディー最大のヒット曲サウスポー。
この曲はズバリ「王貞治vsミーちゃん」の歌。
フラミンゴ相手にベンチのサインは敬遠だけど魔球ハリケーンで勝負するお話。
当時の小学生に「王vsピンクレディー」は夢の対決でした。志村vs加藤、ゴジラvsガメラみたいなもんでした。
1978年のプロ野球は王貞治率いる首位巨人をヤクルトと広島が追いかける展開。
ヤクルトの主力はチャーリー=マニエル。
カープの主力は浩二・衣笠・江夏なんですが、私が気になったのは「ヨシヒコ」という両打ちイケメンと、「きたべっぷ」というヘンな名前の赤ほっぺでした。
タイムボカンシリーズ
1978年のアニメ漫画も野球ネタが溢れていました。
再放送の「巨人の星」と「ドカベン」は小学生にはちょっと難しかった。
「侍ジャイアンツ」は面白かった。「キャプテン」も夏休みの再放送の定番でした。
週刊ジャンプの「フォーエバーしんじくん」とか「ブンの青春」もよく読んだ。キン肉マンより好きでした。
んで有名なタイムボカンシリーズ。
1976年タイムボカン
1977~78年ヤッターマン
1979年ゼンダマン
1980年オタスケマン
1981年ヤットデタマン
1982年逆転イッパツマン
ヤッターマンはよく見ましたねえ。
ヤッターワンとヤッターペリカン、おもちゃ全部揃えたと思ったら今度はヤッターキングが登場。
ヤッターキングは買ってもらえませんでした。だってサイズが大きくて値段も高いんだもの。
ゼッコーチョー!でおなじみ中畑清のニックネームは「ヤッターマン」でした。
中畑がガンちゃんに似ていたからではなく、後楽園で打った時よく「ヤッター!」ってガッツポーズをしてたから。
中畑のスランプが長引いて久しぶりのヒットを打つと「ヤットデタマン」と言われたりもしてました。
1982年の逆転イッパツマンはもうまさに野球パロディそのもの。
イッパツマンの操るメカはその名も「逆転王」
「逆転王、見参」
んで逆転王がピンチになると助けに来るのが「三冠王」でした。当時ロッテの落合博満が王貞治以来となる三冠王に近づいていたため。
タイムボカンシリーズに「コヤマさん」というデカい人が登場します。
コヤマさんとアナウンサーの二人がヤッターマンvsドロンジョたちの戦いを解説するんですが、私はこの「コヤマさん」の元ネタは阪神の精密機械「小山正明」さんのことだと思っていました。←実は違ったそうです
なんかこういう細かい野球ネタがタイムボカンシリーズには溢れていました。
タツノコプロはタイムボカン以外にも「一発寛太君」という「9人家族で1チーム」という野球ほのぼのアニメも制作しています。
タイムボカンはフジテレビ土曜日の18時30分。
一発寛太君はフジテレビ日曜日の18時00分。
んで19時になれば日テレで巨人戦。こちらはほぼ毎日で視聴率20%。
まあ野球まみれでしたね。昭和50年代のゴールデンタイムは。長嶋さんのおかげかな?
2020年現在では考えられない時代です。笑