原のタッちゃんがさ
「FA制度は選手の権利」
っていつも言うじゃない。
アレ、大ウソですからね。
選手漁りのタッちゃんの、言うことなすこと、全部ウソ。
FA制度は巨人の権利。FA宣言した選手の半分は巨人に入っている。1~2年でポイ捨て。
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スポーツはビジネス
資本主義はお金の世界。
日本もすっかり資本主義国家の旨味を吸い尽くし、今ではモノを作らない金融業、不動産業などの第3次産業がGDPの60%を占めております。
だから金満球団は選手を育てず買っています。
ヨーロッパサッカー界も同じ構造。今では「おらが町のクラブ」って雰囲気のチームがリーグ優勝を果たすことはほとんどなくなりました。
石油王やロシアマネー、中国ファンドの力で選手を買い漁ったチームが連覇する時代。
ドメスティックな巨人の漁り方なんて「かわいい方」です。海外のチームはもっと「えげつない軍資金」を持っており、もっとドライに選手を買い漁ってます。
イタリアの「おらが町のチーム」
だから各国のリーグ戦は首都圏の金満球団が優勝を独占している状態が続いています。
ヨーロッパの中堅都市に存在する「おらが町のチーム」は30年も40年も優勝できません。
おらが町のチームには資金がありません。
そこで若い選手を発掘して育てて戦わないといけません。カープと同じ構造。
ここにイタリアの「おらが町チーム」を一つ紹介します。
それはACFフィオレンティーナ。
ロベルト=バッジョ、マヌエル=ルイコスタなどの世界的スーパースターを発掘&育成したフィオレンティーナは「おらが町チーム」の好例。
本拠地はフィレンツェ。人口は38万人です。広島市は120万人。
このイタリア8位の地方都市の名を世界中の誰もが知ってる理由はルネサンス発祥地だから。
500年前にミケランジェロ、ラファエロ、レオナルド=ダビンチらが活躍したのがフィレンツェなのであります。
イタリア中部に位置し、ブーツで言うと膝あたり。「ピサの斜塔」もフィレンツェから車で1時間ほどの距離にあるため観光ツアーでは同じ日に組まれることが多く、翌日はお隣のベネツィア(ベニス)に行ってゴンドラに乗るというのが定番コース。
かつてはヒロシマ・ナガサキもフィレンツェ並みの国際的知名度を誇っていたと思うんですが、最近ではその名を知らない外国人が増え、私は少し寂しいです。
そんなフィレンツェの地元ファンから強く愛されているサッカークラブがフィオレンティーナ。
愛称はヴィオラ。チームカラーの「紫」を意味します。
ホームスタジアムのアルテミオ=フランキは47,000人収容。トスカーナの山並みが見える牧歌的スタジアムです。
歴史的な都市のわりに地元のサポーターはどことなく阪神ファンっぽいです。フーリガンになりやすい。笑
この時点で既にフィオレンティーナがカープっぽいなってお感じの方も多いでしょう。
しかしまだあるんです。
次の3つのエピソードが特にカープっぽいのです。
生え抜きエース「引き抜き」事件
1985年5月、ロベルト=バッジョ(18)がフィオレンティーナに入団。
体の小さいバッジョはケガの多い選手でした。そんなバッジョをクラブとファンは3年間面倒を見てきました。
1988年、バッジョは21歳にしてチームの背番号10を背負うエースに成長。イタリア代表にも選出される。
1990年5月、イタリアW杯を2週間後に控えたどさくさの隙に、バッジョは名門ユベントスに移籍すると発表されます。
移籍金は160億リラ。当時のレートで約20億円。今じゃ普通ですが30年前は破格の金額だったんですよ。
突然の発表にフィオレンティーナのサポーターは狂乱。森下が今日、巨人に強奪されたようなものとお考えください。フィレンツェの町は警官隊が出動するほどの暴動に見舞われました。50人もの負傷者を出し、町中でユベントスの旗が燃やされました。
バッジョ自身もユベントスへの移籍を望んでおらず、これはクラブ同士が勝手に進めた移籍だと言われました。
1991年7月、ユベントスのバッジョはフィレンツェでのフィオレンティーナ戦に臨みました。
フィオレンティーナ1点リードの後半、ユベントスは同点PKのチャンスを得ます。
キッカーに指名されたのはバッジョ。
しかしバッジョはこれを拒否。そして監督の怒りを買い途中交代。試合も結局1対0のままフィオレンティーナの勝利。
バッジョは試合後に
「自分の心は紫だ」
と言いました。黒田博樹の「カープを相手にボールを投げるところが想像できなかった」にソックリ。
交代を命じられたバッジョは、フィオレンティーナのサポーターが投げ入れた紫色のスカーフを拾い、それを首に巻いてピッチを後にしました。コレ実話です。
バッジョは対戦相手に情けをかけましたし、サポーターは移籍の時に町を破壊しました。やってはいけないことですね。お前に言われんでもわかってますよ。
でも爽やかですよ。選手とファンの相思相愛っぷりが。私はそう思います。
ちなみにサッカー界には「ファンタジスタ」という言葉がありますが、これは元々ロベルト=バッジョを指す言葉でありました。
「バッジョ=ファンタジスタ」なのです。今日ファンタジスタと呼ばれている選手は「バッジョに似た選手」という意味なのであります。これも実話ですよ。
男気残留
バッジョを失ったフィオレンティーナが次のエース候補として獲得したのがガブリエル=バティストゥータ(22)。アルゼンチン人のストライカーです。
1991-92シーズン、バティストゥータの右足から放たれる強烈なキャノンシュートは「バティゴール」と呼ばれ計13ゴールをマーク。バティは一躍イタリアのスター選手になります。
92-93シーズンも16ゴールを挙げますが、チームは低迷。まさかの2部(セリエB)降格。
2年連続2ケタゴールのバティストゥータの元にはビッグクラブからの移籍オファーが殺到。しかしバティは男気残留。
1シーズンでチームを1部(セリエA)に押し上げ、95-96シーズンは26ゴールで得点王に輝く。
1996年には21年ぶりにイタリア杯優勝。
男気残留からの20年ぶり優勝。どこかで聞いた話でしょうが。笑
感動したサポーターはお金を出し合いフィレンツェにバティストゥータの銅像を建てました。当時のバティは27歳。まだ現役バリバリの頃ですよ。これもなんだかカープっぽい。笑
バティはフィオレンティーナで9シーズンを過ごし、通算167ゴールを挙げました。
イタリア建国の祖を真似た「ガリバルディポーズ」もバティのトレードマークでした。
チームが破産!そこでファンはある行動に出る・・・
そんなバティも2000年にローマへ移籍。移籍金は700億リラ(35億円)でした。
怒りに燃えるフィレンツェ市民はバティストゥータの銅像を破壊しました。やっぱりか。笑
ちなみにバティは移籍1年目にローマで中田英寿と共にリーグ優勝しています。
90年にバッジョを売却し、00年にバティを売却したフィオレンティーナ。
なぜ毎回そんな悲劇を繰り返すかと言うと、もちろんそれはお金がないからです。涙
2001年にはバティの相棒・ルイコスタも850億リラ(40億円)でACミランに売却。
それでもお金が足りず、2002年とうとうフィオレンティーナは経営破綻してしまいます。
フィオレンティーナは解散。事実上の消滅です。
カープはこうならないように選手年俸をケチり、アホな回文を一生懸命考え続けているのです。
それでもカープが消滅するよりマシでしょうが。「ドッテンカープ」も許してやってくださいな。
その後のフィオレンティーナはどうなったか?
フィレンツェ市民は諦めませんでした。
彼らはフィレンツェに新しいクラブを作りました。「たる募金」みたいなこともやったんじゃないでしょうか。知らんけど。
新チームはイタリア4部リーグでダントツの優勝。チーム名「フィオレンティーナ」の商標権も債権者から買い戻します。
2部→1部とトンドン拍子に駆け上がった新生フィオレンティーナ。
わずか2シーズンでセリエA復帰を果たしました。
ただし厳密に言いますと、破綻する前のフィオレンティーナと新生フィオレンティーナは別のチーム扱いとなるはずです。
しかしフィレンツェは歴史ある都市だし、フィオレンティーナも100年続いてきたし・・・
まあいいじゃんw
と継続扱いされることになって現在に至っています。さすがイタリア。テキトーです。笑
NPBで言えば近鉄の歴史が楽天に継続されるようなもの・・・とは違うか。笑
とにかくフィオレンティーナは2021年現在、セリエAの14位。
今年もまたエースをユベントスに引き抜かれチームは低迷しております。苦笑
最後のリーグ優勝は1969年。52年前。
それでもまた若い選手を育成し、スターとして世に送り出すことでしょう。